ラインベルガー&レーガー編曲による「ゴルトベルク変奏曲」

何だろう、この違和感は・・・。
確かに音の色合いや音響の幅が拡がり、音楽としては一歩も二歩も進化しているはずなのに、残念ながらもうひとつ心に届かない。何だか「余計な所業」のように僕には思われてならないのだ。タール&グロートホイゼンが演奏した「ゴルトベルク変奏曲」の2台ピアノ版を聴いた。先日のクラヲタ会で渡辺さんからお借りしたもので、何とヨーゼフ・ラインベルガーが編曲し、その版をさらにマックス・レーガーが追加編曲しているという超強者作品。なのに・・・、である。

どの変奏においてもバッハの作品をさらに華麗にすべく手が施され、いかにも19世紀風の味付けが抵抗感を増長するのかどうなのか、僕の耳がお腹と同じように「こってり」より「あっさり」を欲する体質だからか(笑)、どうにも重たい(ひとつには反復をすべて履行しているということも考えられるが、そんなことは理由になるまい)。
それこそ厚ぼったい化粧を施されたバッハ・・。

先日のフルトヴェングラーの言葉を思い出した。「すべて偉大なものは単純である」
そう、バッハの作品はそれ単体ですでに完成形を示しているのだ。ゆえに、ロベルト・シューマンが当時バッハの無伴奏作品にピアノ伴奏をつけたあの版についても「仕事」としては面白いとは思うものの、そうしょっちゅう聴きたいと思わない。何だか余計な添加物が入れられた人工的な味わいというとシューマン・フリークに怒られるだろうが、やっぱりいざ聴くなら原典なのである。
もちろん、19世紀の時点ではそういう行為は常識だったのだろうし、ひとつの優れた作品としては十分認識できる。それに資料的価値も大いにある。でもやっぱり、「ゴルトベルク」を聴くならオリジナルで聴きたいと今日もまた思った。それは正直に。そんなことを言いながら、シトコヴェツキー編の弦楽三重奏版や弦楽合奏版は絶賛しているではないかと言われそうだが、あの編曲はバッハの音符にできるだけ忠実に従おうとしているのに対し、こちらのものは「余計な味付け」をどうしても付けたいようで、どうにも「不自然」に感じてしまうのである。ただし、あくまでこれは僕個人の勝手な感覚・・・。

J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988(2台ピアノ版、ラインベルガー&レーガー編)
タール&グロートホイゼン(ピアノ・デュオ)(2009.4.6-8録音)

僕的に一番の問題は「天使が下りてくるべきところで」天使が下りて来ないこと!!(笑)
つまり、短調のあの長い第25変奏が終わった後の、長調に戻る第26変奏が残念ながら地を這っているのだ。第27変奏についてもそう。おそらく低音部をより強調するアレンジになっているからなのか、愉悦に乏しく僕の心に響かない。第28変奏では少し好転するものの、第29変奏でも「余計な音」が耳につき、第30変奏クオドリベットにおいてはもっと前進する勢いが欲しいところ。

とは言いながら、この版については先日まで存在を知らず、ライナーノーツに書かれている詳細を読んでいろいろ勉強になった。
そもそも大のバッハ・ファンであったラインベルガーがこの作品の編曲(1883年出版)を思いついたのは以下の理由からだそうだ。「恐れ多くも」と断りながら、すなわち「忘却の彼方に追いやられて久しい」2段鍵盤の楽器のために書かれている「この家庭音楽における珠玉の作品を、音楽家と音楽愛好家に」紹介するためだと。なるほど、録音機材ももちろん音盤もない時代のこと、その意味ではバッハ復興の一翼を担った行為であり、真にラインベルガーのバッハへの敬愛から生まれたものであることが理解できて興味深い。

しかも、この編曲版にさらにマックス・レーガーが手を加えているところがミソ。彼はラインベルガーのロマンティックな解釈により現代的な要素を加えた。それと、神経衰弱を患い、不眠症だったレーガー自身が、同じように不眠症に苦しむものに「慰め」と「励まし」という2つの対極的な状態を素材として楽曲を心理学的に考察、アレンジに反映させたそう。

とすると、第26変奏以降で「天使が下りて来ない」のもわからないでもない。あくまで静謐な慰めの音楽だということだ。
結局、これは多分に僕の好みの問題だろう。
渡辺さん、ありがとうございます。


6 COMMENTS

Judy

この盤を聴いてもいないのに偉そうなことは言えませんが、岡本さんの文章をよんでToo many cooks spoil the broth.という表現を思い出しました。お蕎麦はせいろ、うどんはかけ、バッハもきのまま、、、がいいんですね〜。お陰様で2月22日以来Grimaud様から一歩も出られない、出たくない状態に陥っています。CredoのCDに書いてあるGrimaudの言いたいことの深さに、どんなに年下でも「様」をつけて呼ばずにはいられません。彼女の胃がんがすっかり回復したことを祈りつつ、うーんと長生きしてほしいと願わずにはいられません。

返信する
みどり

これはまた面白いものをご紹介くださって、ありがとうございます!
内容がどうかより、既にジャケ写でお腹いっぱい感はありますが…(笑)

太文字の箇所がライナー・ノーツからの抜粋であると勝手に解釈させて
いただきますが、ラインベルガーが「音楽愛好家に」としているのは、やはり
元の表題を意識してのことでしょうか?

レーガーの「不眠症に~」の件もどう解釈すべきか…難しいですね。
フォルケルの評伝中の有名な逸話も今では信憑性に欠けるものとされて
いますが、レーガーの時代には真実だと受け止められていたものとすると
それも考慮しなければならないのではないかと思ったりして。

レーガーの譜面って凄いんですよ!(笑)
あくまでも個人的な感覚ですが、あの緻密さには一種の感動を覚えます。

難し過ぎて余り売れなかったと言われていた楽曲を何とか忘れ去られない
よう、しかしその内容は落とさないように…とラインベルガーは2台用に
編曲したのか?とも思ったのですが、ラインベルガー版は楽譜を入手
できたので、レーガー版も手に入ったら比較してみたいと思います。

ところで、岡本さんの仰るゴルトベルクにおける「オリジナル」というのは
「何で」演奏するのかも含まれているのですか?
そこにとても興味があります。

返信する
岡本 浩和

>Judy様

>Too many cooks spoil the broth.

そうですね!シンプルがベストだと僕も思います。

>2月22日以来Grimaud様から一歩も出られない、出たくない状態に陥っています

それはすごい!(笑)
いや、でもこの気持ちわかります。グリモー様は偉大です。
そういえば胃がんだったんですよね。奇跡ですね。

ちなみに、近々また採り上げるつもりですが、グリモーの「皇帝」&作品101の音盤もお薦めです。

返信する
岡本 浩和

>みどり様

>ジャケ写でお腹いっぱい感はありますが

あ、それ皆さん結構そうおっしゃいます(笑)。

>元の表題を意識してのことでしょうか?

すいません、そこまでは調べ切れておりません。

>レーガーの「不眠症に~」の件もどう解釈すべきか…難しいですね。

同じくこれについてもそうです。レーガーなどはほとんど勉強不足で、ライナーに書かれてあることをそのまま引用しただけですので、あわせて今後の宿題にさせていただきます。

>ラインベルガー版は楽譜を入手できたので、レーガー版も手に入ったら比較してみたいと思います。

研究成果をぜひ共有ください、よろしくお願いします(笑)

>「何で」演奏するのかも含まれているのですか?

絶対みどりさんはここを突っ込んでくると思っておりました(笑)
ちなみに、2段鍵盤と謳われているわけですから、基本的にチェンバロと言いたいところですが、僕にとってはグールドやニコラーエワは外せないので、ピアノもありということになってしまいます。
よって、厳密には「オリジナル」ではないです。そのことも本文中に書こうかとも思ったのですが、文章が煩雑になり過ぎるのであえて書きませんでした。

勉強になります。ありがとうございます。

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みどり

ラインベルガー版の音源がないかと探しているのですが、なかなかと
見つからず、取り敢えず、動画はこちらだけ。
http://www.youtube.com/watch?v=HKQUm_qx-L4

>文章が煩雑になり過ぎるので

実際に聴かずとも岡本さんのお言葉を信用なさると仰る高徳の読者を
お持ちであられることに、もう少し思いを致していただきとうございます!

ラインベルガーもレーガーも好きなのですが…やはり「ジャケ買い」は
ありません。 眺めるだけで疲れました…(笑)

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岡本 浩和

>みどり様
毎々のことながら厳しいお言葉ありがたく頂戴いたします。
動画もご紹介のモノ以外は見つからないようです・・・。

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