シューリヒト指揮ウィーン・フィルのブルックナー交響曲第3番(1965.12録音)を聴いて思ふ

bruckner_8_schuricht_vpo余命を悟った時の人間の力は並みでない。
克服しようとするエネルギーと、負けまいとする意志と。
病を患ったカール・シューリヒトの、渾身の力を振り絞ってのアントン・ブルックナー。彼の録音の中でも隅に追いやられたかのような、あまり話題にならない逸品。
確かに無理があったがゆえの停滞感はある。そしてあるべき軽快さは減じている。しかしながら、その分、明暗・軽重の中庸を行く音楽が生まれた。
その上で、音楽の見通し良く、音楽の詳細までもが手にとるように見えるのだから、それこそ老練の極み。

1965年12月に行なわれたブルックナーの交響曲第3番の、ウィーン楽友協会黄金の間での録音は、奇跡を引き起こすこととなった。この夏以来、かの芸術家は4ヶ月ものあいだ病に苦しんでいた。このため彼は、ロンドン、ベルリン、ジュネーヴ、ウィーンで予定されていた演奏会をキャンセルしなければならなかった。ブルックナーの交響曲第8番と第9番の成功を手にしたばかりのEMIの責任者たちは、すぐにブルックナー作品の録音をシューリヒトと続けようと遅ればせながら考えた。マエストロは背骨の痛みが小康状態となり、病の進行がやや治まったときに、無理を押してウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と一緒になった。実際のところ、最後の大きな戦いとなると感じたこの仕事に、彼は最後の力を振り絞って臨もうと決意していたのだ。
ミシェル・シェヴィ著/扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳「大指揮者カール・シューリヒト―生涯と芸術」(アルファベータ)P339

第2楽章の、どちらかというと沈思黙考の趣は、ブルックナーの作風というより、このときのシューリヒトの心身の状態を如実に物語るよう。身体は大変であっても心と魂はまさに空(くう)なのである。汚れのない諦念。
第3楽章はシューリヒトにしては遅い(「かなり速く」という指定にも関わらず)。この重いスケルツォに対して幾分軽くなるトリオの爽快さは絶好調時の指揮者の本懐。

・ブルックナー:交響曲第3番ニ短調
カール・シューリヒト指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1965.12.2-6録音)

そして、宇宙の鳴動たる終楽章の第1主題と、あまりに人間らしい第2主題の愉悦は、シューリヒトの最後の輝き(この美しい歩みは85年を生き抜いてきた指揮者の遺言)。
ここにはウィーン・フィルの団員たちの献身がある。老巨匠の音楽を再現せんと懸命にブルックナーのスコアに対峙するオーケストラがある。

しかし、シューリヒトはこの極度の心労の反動をすぐさま受けてしまった。彼はウィーンから、40度近い熱を発した状態で帰って来た。腰の痛みが再び激しくなっただけではなく、呼吸困難と心臓の機能低下が彼の容態をさらに重くしてしまった。マルタ夫人は2ヶ月のあいだ、ずっと最悪の事態を恐れ続けたのだった。
~同上書P340

世間に理解されないアントン・ブルックナーの貧困を肩代わりし、世に問うまさに命を削っての大演奏。

4番目の交響曲が仕上がりました。「ワーグナー交響曲」(ニ短調)には更にかなり手を加えました。ワーグナーの指揮者であるハンス・リヒターがウィーンに住んでいるのですが、彼は、ワーグナーがそれをいかに高く評価しているかをあれこれのサークルで話題にしてくれました。でもこれはまだ演奏されていません。・・・ヘルベックは、かつてなんらかの形でワーグナーの助力を請うよう努めるべきだと私に言ったことがあります。私が手にしうるものといっては音楽院の俸給だけで、それではとてもやっていけません。9月とそれからあともう1回、私は借金しなければなりませんでした。そうしないと餓死するところだったんですよ。誰も私を助けてはくれません。
(1875年1月12日付、ウィーンよりリンツのモーリツ・フォン・マイフェルト宛)
「音楽の手帖 ブルックナー」(青土社)P55-56

第1楽章の流麗さ、一音一音の意味深さ。
天才は同時代には理解されないもの。
使徒カール・シューリヒトの遺言。
この際、呪縛から逃れよう。
虚心に耳を傾けるのだ。

 

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4 COMMENTS

雅之

冬に行われた演奏を真夏に聴くって真の追体験になるのかなあと、昔からこの季節にクラシック系の音盤を聴いていると、よく脳裏をよぎります。

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岡本 浩和

>雅之様

いやはや、その視点はこれまでありませんでした。
確かにそういわれればそんなような気もしますが、そうでない気もします。
音盤に刻まれた瞬間に時間も空間も閉じ込められて別のものになるように思いますので。
しかしながら、考えさせられます。
ありがとうございます。

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雅之

こんな感想を抱いたのは、
ご紹介の録音を聴くと、いやが応でも、

「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」(松尾芭蕉)

が心中に去来してしまうからかもしれません(笑)。

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