アマデウス四重奏団のブルックナー五重奏曲(1964録音)を聴いて思ふ

こういう録音があったことを僕はすっかり忘れていた。

モノトーンとはいえ、堂々たる威風はまるで交響曲であり、4つの楽章はどれも渾身の出来。第1楽章は、重厚で哀感に満ちるブラームスの作品を聴くかのような錯覚にさえとらえられる。例によって休止で楽想は分断され、一見支離滅裂に動く。しかし、実際は、見事に統一感のある、あまりにブルックナー的な作品であり、繰り返し聴くことでついに生涯の宝物となる。

ブルックナーの没形式性が語られる場合、つねに第1楽章か、とりわけフィナーレ楽章が念頭に置かれている。そして事実そこでは、ときおり没形式性も存在する。それはあたかも巨匠が、まったく計画もなく非論理的に楽想を並べたてたというほどではない。むしろ各楽章のあらゆるところに、理性的でしかも純粋ばらばらにみえるものを統一的な関連にもたらす理念が、つねに明らかというわけではない。その理念もまた探し求められねばならないのである。
(ルドルフ・ルイス)
レオポルト・ノヴァーク著/樋口隆一訳「ブルックナー研究」(音楽之友社)P119

例によって委嘱者(ヨーゼフ・ヘルメスベルガー)の「演奏不可能」というレッテルが、初演を遅らせたが、初演はもちろんのこと、作曲者の生前にも幾度も再演され、そのたびに絶賛を浴びる成功作となった。いかにもブルックナーらしい第2楽章スケルツォは、同時期の交響曲第5番との近似性が指摘されるが、大自然に触発されたようなトリオが美しい。

極めつけは、(ブルックナー作品に否定的であったフランツ・リストさえ気に入って連弾していたといわれる)第3楽章アダージョ。どの瞬間にもブルックナーらしい息吹が感じられ、彼らしい楽想が随所に木魂する。息の長い音楽は14分近くにわたり静けさを保ち、僕たちの心を芯から癒すのだ。

・ブルックナー:弦楽五重奏曲ヘ長調(1879)(1964録音)
・スメタナ:弦楽四重奏曲第1番ホ短調「わが生涯より」(1876)(1977録音)
アマデウス四重奏団
ノーバート・ブレイニン(第1ヴァイオリン)
ジークムント・ニッセル(第2ヴァイオリン)
ペーター・シドロフ(ヴィオラ)
マーティン・ロヴェット(チェロ)
セシル・アロノヴィッツ(第2ヴィオラ)

終楽章の峻厳さ。いつものブルックナー同様、フィナーレは一層難解だ。しかし、旋律は流れるように美しく、ぶつ切れの音楽は実に感動的。時折聴こえる「ロマンティック」終楽章の主題にも似たフレーズの懐かしさ!

私がブルックナーについて考えるとき、必ず浮かぶ光景がある。それはモノクロームの旧い映画の一シーンなのだ。迂闊にもそれがドキュメントなのかフィクションなのか思い出せない。恐らくはロッセリーニ風のセミドキュメントだったかもしれない。第二次大戦末期の市街戦かもしくは爆撃のさなかで、ドイツ人の市民が壕の中か建物の中で難を避けながら、ラジオの前に身を寄せ合って、ブルックナーの弦楽五重奏曲をきいているというシーンであった。この極限情況の中で、すがりつくようにきかれていたブルックナーの音楽とは彼等にとって何であったのだろう。
(広瀬量平「無意識の深淵—いまなぜブルックナーか」)
「音楽の手帖 ブルックナー」(青土社)P70

ブルックナーの音楽は一度や二度聴いたところで理解はできない。
繰り返し聴き、あるとき突然見えるもの。だからこそそこには永遠がある。
アマデウス四重奏団とアロノヴィッツによるアンサンブルは、同じ頃録音されたブラームスの五重奏曲六重奏曲の名演奏に匹敵する素晴らしさ。

 

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