人間というものは面白い。それぞれがそれぞれの世界を持っているのだから。
過去の記憶を美化するのが人間の弱さなのかもしれぬ。
真実は得てして自伝には表わされないもの。
マーラーの死後、フレンケルはウィーンにやってきて、私に夢中になっていたので、適当な時期になったら結婚しようといった。しかし私は彼と結ばれたくはなかった。彼はそのうえその年のうちに二度もやって来たのだが、その間に私は遠く心の旅路についていた。いまの私にとって心の旅こそ私の喜びとなっていたのだった。
~アルマ・マーラー=ウェルフェル著/塚越敏・宮下啓三訳「わが愛の遍歴」(筑摩書房)P41
とはいえ、アルマが孤独であったろうことは確かだ。それは何も夫マーラーの死によるものではない。彼女の場合、潜在的にずっと彼女の心底にあったものだと僕は思う。
さて、私はひとりぼっちだった。しかし、それとは気づかなかったのだが、私の眼のまえの生活は私をそそのかすものであった。私はたくさんの音楽を聞いた。またあいも変わらずおもしろい人たちに私は取りまかれたのだった。
~同上書P41
数多の男を翻弄するアルマの人生は、ある意味「ゲーム」の応酬だったのだといえる。
あまり言及されることはないのだが、オットー・クレンペラーもアルマ・マーラーにのめり込んだひとりだ。
「大地の歌」初演の関係者の集まりで、オットー・クレンペラーはアルマ・マーラーと再会した。・・・(中略)・・・彼女は、よく好んで自称していたように「ヴィーン一の美しい娘」ではもうなくなり、豊満な胸を持つ熟女と化し、酒を飲みすぎ、黒い喪のベールの裏で男たちを指そう微笑を浮かべていた。・・・(中略)・・・それでもアルマはカメラーに満足せず、そのころ本当に目を見張るほどハンサムだったクレンペラーに猛烈に色目を使うようになる。
それまで何度もあまりにひどい鬱に落ち込んでいたため、自分が女性に対して放つ魅力に気づいていなかったクレンペラーは、またたくまに感電状態となり、アルマと集中的に手紙のやりとりをするようになる。
~エーファ・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P76-77
アルマの自伝の中にクレンペラーのことは言及されない。
表わされないものが真実だとするなら、二人の関係にこそ「何か」があったのかも。何より二人の再会が、「大地の歌」初演の関係者の集まりであったことが興味深い。しかも、アルマは初演者ワルターのことはあまり好きでなかったというのだからなおさら。
マーラーの死から6ヶ月後、ブルーノ・ヴァルターがミュンヘンで「大地の歌」を指揮したとき、アルマは初めて公衆の前に姿を現わす。
彼女はあまりブルーノ・ヴァルターが好きではない。彼がマーラーと親密な関係にあるのを、いつも嫉妬していた。
~フランソワーズ・ジルー著/山口昌子訳「アルマ・マーラー―ウィーン式恋愛術」(河出書房新社)P184
自身が中心にいないと気が済まないアルマの性質が如実に顕れた一件だ。
そしてまた、ワルターとクレンペラーのいわゆるライバル関係がもたらすそれぞれの音楽性に、現代の僕たちがひとつの恩恵を被っていることを確認する。
・マーラー:交響曲「大地の歌」
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾソプラノ)
フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1964.2.19-22, 11.7&8 & 1966.7.-6-9録音)
躁鬱病を患うクレンペラーらしい明朗かつ外向的でありながら実に客観的な「大地の歌」。特に、終楽章「告別」におけるルートヴィヒの絶唱に感銘を受ける。「永遠に、永遠に・・・」の自然体の尊さ。
1911年11月20日、オットー・クレンペラーは、ブルーノ・ヴァルターが指揮するマーラーの「大地の歌」の初演を聴きに、またシュトラースブルクからミュンヘンに赴いた。だがクレンペラーは、マーラーが1907年から1908年にかけて中国の詩をもとに作曲した、この深い憂愁に満ちた管弦楽連作歌曲の後期大作に、そのときは馴染めなかった。
悲しみが近づいてくると
心の庭は荒涼として横たわり
喜びも歌も、枯れて絶えてしまう
生は暗く、死も暗い
これが鬱の者にとって格好の糧ではなかったせいかもしれない。あるいはクレンペラーが、グスタフ・マーラーの長年の友人だったかねてからのライバル、ブルーノ・ヴァルターが指揮するという事実に気分を害したのかもしれない。
~エーファ・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P76
この録音は、おそらくワルターの演奏に対する対抗であり、かつて一度は愛したアルマへの今だ終わらぬ恋の想いの反映だろう。
・マーラー:交響曲「大地の歌」
カスリーン・フェリアー(コントラルト)
ユリウス・パツァーク(テノール)
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1952.5録音)
師グスタフ・マーラーへの愛情に溢れる主観の「大地の歌」。
第1楽章「地上悲愁を詠える酒席の歌」の壮絶なうねりと、パツァークの心からの歌に感動。
残念ながらクレンペラーはこの初演を評価していない。やはり作曲者自身の指揮に触れることができなかったことが尾を引くのか・・・。
オットー・クレンペラー―少なくとも当時はワルターの指揮を高く評価していた―もストラスブールから新作を聴きにミュンヘンに来ていた。彼は期待していたほど感動できなかったようで、11月になってアルマ・マーラーに「もし一度だけでもこの作品をマーラーの指揮で聴くことができていたなら」と書いている。もちろんワルターもそう望んだことだろう。彼にとっては、マーラーは知り得る限りで最も偉大な指揮者であり、音楽家であった。
~エリック・ライディング/レベッカ・ペチェフスキー/高橋宣也訳「ブルーノ・ワルター―音楽に楽園を見た人」(音楽之友社)P150
いずれにせよクレンペラーにもワルターにもマーラーへの愛が通底する。
それぞれの思惑が、あるいは心情がこれほどまでの音楽の外面を変えることの面白さに音楽を聴くことの愉しみをあらためて知る。
それにしても世紀のファム・ファタル、アルマ・マーラーの魅力とはどれほどのものだったのだろう?
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