品川にて・・・

brahms_abq.jpgいつも拙ブログにコメントをいただいている雅之さんが久しぶりに来京されるというので、サシのオフ会と称して品川のとある寿司屋で酒を酌み交わした。
それにしても話が尽きることはない。何よりも同好の好みで、異論反論はごくたまにありはするものの、お互い思いの丈を包み隠さず率直に語れるところが素晴らしい。

特にクラシック音楽の場合、ただ同じ趣味を追求しているというだけではかえって喧嘩になる。例えば、カラヤン命という輩に対して、カラヤンの悪口はもってのほか。少しでも否定的見解を述べると、もう口を挟む隙もなく反撃されてしまうのがオチ。逆に、僕が愛好する(例えば)朝比奈先生の演奏などを糞みそにやられると当然ながらむかっ腹が立つ。人は皆感性が違うのだから十人十色、それぞれに主張があり、どれが正しいということはないゆえ、適当に受け流せば何の問題もないのだが、そこは「好き」という事実が災いし、ついつい熱くなってしまう。いずれにせよ「答え」はひとつではない。少なくとも自身の「感性」をたよりに死ぬまでこの世界を全うしようと今は考えている。

明日は第24回「早わかりクラシック音楽講座」。テーマがブラームスであるゆえ、この機会に積年の想いを込めて一席ぶとうと思っているが、それにしても作曲家個々人の歴史をひもとく作業はことのほか面白い。先月のシューマン以来、クララを中心にロベルトとヨハネスのいわゆる三角関係について想いを馳せてみても、結局何がどうだったのかという真相は闇の中。ロベルトにはロベルトの生い立ちと事情が、ヨハネスにはヨハネスの事情が、そして何よりクララがそうであった理由が、その人生を振り返ることでわずかながら事実が浮き彫りになってくる。クララは常に誰かの「支配下」にあった。幼少の頃は神童として父フリードリヒの操り人形であったし、ロベルトと結婚後は基本的に家に入って欲しいと願っていた夫の支配下にあり、それに対する反発が一層夫の心身症を悪化させたという悲しくもどうしようもない事実。そして、ロベルト死後、ヨハネスとの不可思議ではあるものの何か「真実味」を帯びた恋愛というか友情というか表現し難い関係。常に支配されていたクララが今度はヨハネスを支配下においてしまったこと(ヨハネスはクララに遠慮してかついに独身に終わった)・・・。人間ってやっぱり面白い。

ブラームス:弦楽四重奏曲第3番変ロ長調作品67
アルバン・ベルク四重奏団

難産であった交響曲第1番とほぼ同時期に生み出された弦楽四重奏曲。終楽章は変奏曲形式だが、第7変奏、第8変奏で第1楽章の主題が還って来るところが僕にとっての肝。本当にうまくできている。ブラームスらしい頑固で堅牢とした造りの中に、愛らしさを秘めているところが可愛くも切ない。1875年5月23日付クララ・シューマンの日記にはこの曲に言及して次のように書かれている。
「ブラームスの新しい弦楽四重奏曲をヨアヒムが演奏して聴かせてくれた。非常に驚くべき曲だ。・・・ヨアヒムは、これをひそかに持って来たのだった。」
クララとヨハネスが少なくとも精神的につながっていたことは間違いない。


3 COMMENTS

雅之

こんばんは。
昨日はありがとうございました。今回もクラシック音楽談義に花が咲き、とても楽しかったです。
>人は皆感性が違うのだから十人十色、それぞれに主張があり、どれが正しいということはない
おっしゃるとおりです。加えて年齢と経験値が増えるに従い、好みが変化するということも多いから人間は複雑です。でも他人と好みや聴くポイントが違うから、語り合っていて楽しいし、お互い勉強になるんですよね。
>ブラームス:弦楽四重奏曲第3番変ロ長調作品67
勘弁してくださいよ!こんなにヴィオラが活躍する曲(特に第3楽章)を紹介されたら、私、ブラームスが嫌いって言えなくなるではないですか!(笑)本当に名曲ですね!
ところで、初演のヨアヒムたちの演奏スタイル、どんなだったか聴いてみたいものです。今となっては絶対に不可能ですが・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。楽しかったですね。お疲れ様です。
>こんなにヴィオラが活躍する曲(特に第3楽章)を紹介されたら、私、ブラームスが嫌いって言えなくなるではないですか!(笑)本当に名曲ですね!
そうそう、ヴィオラが活躍しますね!「嫌い嫌いも好きのうち」ということです(笑)。確かに初演の解釈、気になりますね。
ところで、ドゥダメル観ましたよ。アンコールだけですが。
いや、面白いですねぇ。おっしゃるとおり「のだめ」オケです。
あぁいうパフォーマンスができる余裕っていいと思います。ショスタコもゆっくり拝見させていただきます。
またぜひお会いしましょう。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 回想シーンに涙する

[…] ここ最近ワークショップなどで「今を生きる」ことを説いているのだけれど、僕自身は意外に過去を回想したりするのが好きで、時折懐古趣味に陥ることがある。何だ矛盾しているじゃないか、言っていることとやっていることが違うじゃないかとお叱りを受けそうだが、別に過去に固執しているわけでもないし、そう言いながらしっかりと今を意識しようとしているからそのあたりは大目に見ていただこう(笑)。 どうしてそんなことをふと思ったのか。 そういえば、クラシック音楽でもドラマや映画でもいわゆる回想シーンが出てくることが多いが、何ともそれが妙にツボにはまるのである。胸がきゅんとすると言ったら大袈裟だけれど、どうにも心の琴線に触れて涙が出そうになる。音楽の手法の場合、例えば第1楽章の主要主題がフィナーレで回想されたりすると、それだけでもうその音楽は僕の宝になってしまう。ブルックナーの第8交響曲や(最近はほとんど聴いていないけれど)ブラームスの第3弦楽四重奏曲などは初めて聴いたときから既に愛聴曲で若い頃は本当に繰り返し聴いた。そういえば、変奏曲などでも最終変奏で主題が調性を変えて出てきたりすると胸が高鳴る(そう、まるで恋しているかのよう・・・笑)。 […]

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