2012年のラ・フォル・ジュルネは「ロシアの祭典」ということで、偶然か必然かこのところのテーマにもってこいのイベントゆえゴールデンウィークが待ち遠しい。とはいえ、年度末あるいは新年のばたばたでチケットは未だゲットせず。余程人気のある演奏会でない限り急がなくても大丈夫だろうと高をくくっているがさていかに。
この2,3ヶ月、相当ショスタコーヴィチに入れ込んだお蔭でロシア音楽(ソビエト音楽)の面白さが一層わかるようになった(本当にわかったかどうかは別問題だけれど)。
久しぶりにシゲティの弾くプロコフィエフを聴いたが、10数年前にはいまひとつピンとこなかった楽曲たちがビシビシと心に響く。
ロシア革命の前後に創作されたプロコフィエフの大傑作。進歩的な作曲家にしては非常にメロディアスで聴き易い作品。例によってこの楽曲もセルゲイ・クーセヴィツキーによってパリで初演されている。
当時、多くのヴァイオリニストがこのコンチェルトに否定的な見解を示し、改作を勧めたたらしいが、自信を持っていたプロコフィエフはそれらの言葉を一切無視したよう。そんな中、シゲティだけはこの作品を高く評価し、後々まで公の前で演奏を続けたということだから、ある意味この作品が現代にまで受け継がれることの恩人であるということだ。
「彼の前にシゲティなく、彼の後ろにシゲティなし」
求道者シゲティを評した言葉だが、唯一無二のヴァイオリニストが愛したロシアのヴァイオリン作品を収めたこの音盤の価値は極めて高い。
と書いていたら、久しぶりに地震・・・。
何だか慣れっこになってしまっているのが怖い(笑)。
そして、今はヴァイオリン・ソナタ第1番第2楽章が流れる。1938年から46年という戦時中の長期にわたって書かれたこの作品にはショスタコーヴィチの木霊も聴いてとれる。特に第2楽章のエネルギーは並大抵でない。プロコフィエフは天才、そしてその価値を見抜き、一切の虚飾を捨て真摯に作品に向かうシゲティはもっと天才(とはいえ、どちらがより天才かという質問には答えられない。いずれも西洋音楽史に君臨する稀有の存在だから。
さて、またしばらくロシアン・ミュージックに浸ることにしよう。
おはようございます。
ショスタコやプロコフィエフの精神は、政治体制の影響も有ったにせよ、詰まるところ実存主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E5%AD%98%E4%B8%BB%E7%BE%A9
に根ざしているのだと思います。
「幸福について―人生論」 ショーペンハウアー(著) 橋本 文夫(訳)
http://www.amazon.co.jp/%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E2%80%95%E4%BA%BA%E7%94%9F%E8%AB%96-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%BC/dp/4102033017/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1333314453&sr=1-1
その、潔く硬質な感触が、私にはとても心地よく、説得力を持って響きます。
シゲティは、バッハやベートーヴェンだけでなく実存主義の硬派な精神にもよく似合います。大好きです。
>雅之様
おはようございます。
>実存主義に根ざしている
>その、潔く硬質な感触が、私にはとても心地よく、説得力を持って響きます
そういうことなんでしょうね。
芸術でも哲学でもどんな学問でも対立や拮抗はありますが、とどのつまり同じことを別の立場観点から論じているもので、どんな思想も「正しい」ものなんだとここのところよく思います。
それはシゲティのヴァイオリンにまさに通じるところですね。
[…] 昨日はプロコフィエフがロシア革命時に創作したヴァイオリン協奏曲を中心にした音盤を聴いた。僕のイメージではあの頃のプロコフィエフはもっとモダンで、バーバリズム的な作品ば […]
暴風のため奇跡の早帰りが出来ました乾です。
シゲティって録音には恵まれなかったヴァイオリニストだったなぁと思います。演奏が悪いとかそういう事ではなく、彼の音って線が非常に細く、録音だと高音がヒステリックに聴こえてしまって私は正直少し苦手です。実にコンサートで聴いてみたかったヴァイオリニストです。
>ふみ君
コメントありがとう。だんだん風雨がひどくなってきたね。
>実にコンサートで聴いてみたかったヴァイオリニストです。
確かにおっしゃる通りだね。マイクに入りきらんだろうな、シゲティは。