0歳の記憶

kubelic_1965_live.jpg僕には0歳の鮮明な記憶がいくつかある。それがいつの時期だったのかは親に確認して初めてわかったことなのだが、ひとつは生まれて間もない、まだ新生児の頃の思い出。新生児とはいえ「光景」をまざまざと覚えているわけだから目は見えていたことになる。とすると3ヶ月頃くらいの記憶なのだろうか・・・。それは曾祖母と母の妹(つまり叔母ということになる)に入浴させてもらった時に誤って湯船に落とされ、お湯の中に沈んでいったというもの。そんなことを明確にはっきりと覚えているのである。さらに、6ヶ月健診(だったかの)の際、母に負ぶわれてバイクで病院に向かう途中、運転する母が水溜りでハンドルを取られバイクごとこけてしまったという光景。これ以外にもいわゆる「はいはい」をしている時の記憶など、いくつも忘れられない思い出がある。
みんな信じられないと言う。信じようが信じなかろうが、僕の記憶の隅っこにそれらのことがれっきとしてあることは間違いない。残念ながら過去世や前世までの記憶はないが、ひょっとすると記憶のスイッチなるものを押せばそのうち思い出してしまうのではないか。最近ではそんな淡い期待を密かに抱いている・・・。

一昨日聴いたシューリヒトのムジークフェラインでの1965年4月24日のライブ。何度も書くが、シューリヒトという芸術家が、地味ながら計り知れない天才性をもった音楽家であったことがよくわかる一品である。そういえば同時期のクーベリックの来日ライブ盤があったように思い出し、取り出してみて驚いた。全く同日に東京文化会館でかのコンサートが催されていたのである。

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
シューベルト:交響曲第8番ロ短調D.759「未完成」
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(1965.4.24Live)

僕が1歳と1ヶ月を迎えた頃、クーベリックがバイエルン放送響を率いて初来日し、大阪や東京で何回かのコンサートを開催した。まだ外国のオーケストラの演奏を今ほど頻繁には聴けなかったであろうあの時代の演奏終了後の熱狂的な喚声や拍手を聴いていると、まさにその日その時、その会場に居合わせたのではないかという錯覚にとらわれる。
当時のクーベリックの奏でる音楽は若々しさと覇気があった。不思議な「明るさ」が随所随所に明滅する。どの瞬間をとってもポジティブで、邪気がない。ただ、こういう演奏の真意はおそらく実演を聴かないと絶対にわかり得ないだろう。

2日間の「新人合同合宿研修」が無事終了した。良かった。去年以上に良かったという評価もいただいた。受講した新人君たちのうち何名かは最後泣いていた。男泣きする輩もいた。思わず言葉に詰まり、感涙する女性もいた。そのとき「ひとつになった」ような気がした。

来週も「合宿研修」が控えている。今度はどんな人たちに会えるのだろうか。楽しみだ。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>僕には0歳の鮮明な記憶がいくつかある。
胎児や乳児時に記憶の回路が形成され、保持されるということは、科学的にも充分有り得ますよね。胎教や乳幼児時期の育て方は、とても大切ですね。「赤ちゃんのためのコンサート」も、極めて意味のあることだと思います。
ご紹介のクーベリック&バイエルン放送響の1965年4月24日東京文化会館でのライヴのCDは未聴ですが、さぞかし名演だったのでしょうね。私の理想のオケはウィーン・フィルやベルリン・フィルではなく、バイエルン放送響やミュンヘン・フィルなので、このCDも購入して聴きたいです。クーベリックもセッション録音とライヴでは、乗りが全く違う指揮者でしたよね。
1961年に開館した、私と同級生の東京文化会館君の脳裏にも、数々の過去来日した名演奏家の記憶がれっきとしてあるのだと思っています。私は古いホールに行くと、神社仏閣と同じ、神聖な何かを感じることがあります。物故した名演奏家の霊が、こうした場所で、現代の演奏を静かに見守っているのかも・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
少々設定ミスがありコメント欄が開けなかったようです。失礼しました。
>胎教や乳幼児時期の育て方は、とても大切ですね。「赤ちゃんのためのコンサート」も、極めて意味のあることだと思います。
記憶というのは本当に不思議ですよね。おっしゃるように「赤ちゃんのためのコンサート」はとても意義深いものだと思っています。
>4月4日にご紹介のクーベリック&バイエルン放送響の1965年4月24日東京文化会館でのライヴのCDは未聴ですが、さぞかし名演だったのでしょうね。
クーベリックの初来日ライブは名演揃いだと思います。雅之さんがいつも言っておられる「歴史聴き」という観点から聴くと一層感慨深いですね。
>私は古いホールに行くと、神社仏閣と同じ、神聖な何かを感じることがあります。物故した名演奏家の霊が、こうした場所で、現代の演奏を静かに見守っているのかも・・・。
僕も「古いホール」には神聖な何かを感じます。物故した名演奏家の霊ですか!確かにそうかもですね。

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