終曲合唱「安らかに眠りたまえ」が消え入るように終わり、指揮者の腕が下りた瞬間聴衆は徐に拍手を始めた。その後は、幾度も演奏者がステージに呼び戻されての怒涛のような喝采。何とも言えぬ心地良い疲れと安堵感に心身が襲われる。
聖金曜日にバッハ・コレギウム・ジャパンの「マタイ受難曲」を聴いた。これで人生何度目の「マタイ」だろう?かねがね鈴木雅明&BCJの実演に触れてみたいと思っていたので、ようやくというところ。20分の休憩を挟んで3時間半超。さすがに根気が要ったが・・・。
第一部前半は集中力を欠く僕がいた。壮絶な冒頭合唱を期待していたところ、何だか薄い音響で(ピリオド解釈はやっぱり苦手)、肩透かしを食らったような印象を持ったのがそもそも。ただそれは、僕の個人的な趣味嗜好の話なので横に置き、すぐさま意識を立て直して稀代の作品に没頭するよう自分を仕向けた。この特殊な編成の管弦楽をステージ上手上部から眺め、生み出される音楽を視覚的に捉えることで結果的に十分に楽しめた。特に、「ゲッセマネの苦悶」あたりからは俄然意識がはっきりし、食い入るように聴いた。
ともかく合唱の、時間を追うごとにパッショネートになる様子が手に取るようにわかり、面白い。例えば第1部後半、第27番bの「稲妻よ、雷よ、雲の中に隠れてしまったのか」の息もつかせぬ切迫感を伴った合唱では腰を抜かすほど感激。
バッハ・コレギウム・ジャパン受難節コンサート2014
第107回定期演奏会:
2014年4月18日(金)18:30開演
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル
・J.S.バッハ:マタイ受難曲BWV244
ハンナ・モリソン(ソプラノⅠ)
松井亜希(ソプラノⅡ)
クリント・ファン・デア・リンデ(アルトⅠ)
青木洋也(アルトⅡ/証人Ⅰ)
ゲルト・テュルク(テノールⅠ/エヴァンゲリスト)
櫻田亮(テノールⅡ)
ペーター・コーイ(バスⅠ/イエス)
浦野智行(バスⅡ/ユダ/ペテロ/大司祭カヤパ/ピラト)
鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン
第20番テノールのアリア「シオンの娘の対話:主の苦悶は我らの喜びとなる」における独唱と合唱のやりとりの緊迫感が堪らない。
今さらだが、この舞台を観て、少なくとも「マタイ受難曲」においてはエヴァンゲリストと合唱の出来が肝だと痛感した。その点、今回のエヴァンゲリストを務めたゲルト・テュルクの、一切の弛緩のない見事な歌唱は素晴らしかった。そして、合唱の、囁くような静けさと特に民衆の声を発する際の実に攻撃的で激烈な歌の対比に僕は感動した。
第45aレチタティーヴォにおける「バラバを!」と、第45bの合唱「十字架につけよ!」は寒気がするほどの壮絶さ。
ところで、特に印象に残ったのは、ソプラノⅠのアリアとバスⅠのアリア。
第47曲レチタティーヴォでピラトが「彼は一体どんな悪事を働いたというのだ?」の直後、舞台上でアクシデントが。ハンナ・モリソンが続くレチタティーヴォとアリアを歌うのに立ち上がった瞬間立てかけてあったオーボエを引っ掛けてしまい大きな音が・・・。
とはいえ、何事もなくオーケストラはただただ音楽を前に進める。そして、いよいよフラウト・トラヴェルソとオーボエ・ダモーレを伴奏にしての第49曲ソプラノ・アリア「神の愛より出る魂の救い」。美しかった。素晴らしかった。感動した。
ペーター・コーイのバス・アリアも最高。
第65曲「わが心を墓として」の何とも重厚な儚さに涙が出るほど。
一方、クリント・ファン・デア・リンデのカウンターテナーによるアルト・アリアは僕的にはいまひとつ。期待した第39曲のアリア「憐れみたまえ、我が神よ」も、第52曲「私の頬を流れる涙が」も・・・。妙に音楽が人間臭くなり、無理が生じる印象を持ったのである。
それにしても合唱は群を抜く。BCJの各奏者のソロも実に完璧。
「マタイ受難曲」とは不思議な音楽だ。時間が経つにつれ、感動が一層深くなってゆく。
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私も聴きに行きました。大変素晴しい演奏で、最後の合唱は感動的です。十字架にかかったイエス・キリストを墓に納め、深い悲しみにくれる人々の思いに満ちています。何度聴いても、その深さは絶品で、名曲ですね。
>畑山千恵子様
いらしてましたか!素晴らしかったですね。そう、おっしゃる通り、最終合唱は絶品でした。