コチシュのバルトーク「ピアノ・ソナタ」ほか(1996.6録音)を聴いて思ふ

bartok_4_kocsis680芸術的な理念から言いますと、私にとって180度の転換などという事はほとんど起こりえず、目的に向かっていつもだいたい同じ事をしているのが現実です。大事なのはそれをよりよく成し遂げることでしょう。
ファーイ・ミクローシュ&コチシュ・ゾルターン著/梅村裕子訳「コチシュ・ゾルターン―記載音楽家の一年を追って」(現代思潮新社)P7

コチシュの真面目で一途な性質が表現された、実に奥深い言葉であると僕は思う。

まるで異教徒の土臭い舞踊。ピアノを打楽器的に扱いながら呪術的な(?)旋律が重なると、音楽はみるみる飛翔し、聴く者の心を捉え、時に魂にまで届く。
ベラ・バルトークの音楽は土俗の精神を余すことなく伝えながら、都会的洗練の極み。ピアノがうなり、泣く。何という美!
もちろんそれはピアニストの技量による。信念を曲げない強さこそがバルトークを演奏する際の肝になるのだと思った。

ゾルタン・コチシュが死んだ。享年64。若い、若すぎる。
ファーイ・ミクローシュによって上梓された、コチシュの51歳から52歳にかけての(いわば他己)日記には、コチシュの何ということのない(それでいて実に彼らしい)日常が具に綴られており興味深い。

なぜラーンキが一番の親友なのか、と聞かれた時「全く不変だから。僕に何が起ころうとも彼は普段通りに接してくれる」と答えていた。
まあこれは若干、自己中心的である。でも、以前どこかへ向かうクルマの中で、私がラーンキについて少しばかり揶揄するようなことを言い始めたら、ゾリはその瞬間に私の言葉をばっさり切り捨て、もう話を続けることも出来なかった。「不変」というのはたぶんお互いにそうなのだろう。
(2003年11月2日)
~同上書P117

「不変」という言葉が心地良い。
コチシュが1980年代から90年代にかけてPHLIPSに録音したバルトークの作品集はいずれも竹を割ったように快活で真っ直ぐな名演揃い。それこそ彼の真面目な性質が120%刻み込まれた至高のバルトーク。

バルトーク:
・ピアノ・ソナタBB88 (Sz.80)
・戸外にてBB89 (Sz.81)
・9つのピアノ小品BB90 (Sz.82)
・小組曲BB113 (Sz.105)
ゾルタン・コチシュ(ピアノ)(1996.6録音)

何より透明な響き。バルトークの知的な側面とDNAに深く刻み込まれた民族的感性がバランス良く鳴り渡る。コチシュの不変が成し遂げた傑作集。
ところで、2004年5月16日の日記には、コチシュの次のような言葉が残されている。

もちろん、人が亡くなって永遠の世界に旅立てば、後に残った軌跡、業績の何割がその人の生を越えて残っていくものか改めて評価されるのは当然だね。人間の存在は、その人が死後に残すものよりも存在自体の方が大事な場合が多いでしょ。ならば死後、後世に偶然ではなく、大量に偉大なものを残すのはどんな人たちだろうか、と思いを馳せるのは面白い。
~同上書P314

果たしてゾルタン・コチシュの業績は?
少なくともこれらのバルトーク演奏は永遠であると僕は思う。

 

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2 COMMENTS

雅之

今年は秋になっても、ネヴィル・マリナー、ゾルタン・コチシュなど、馴染みの演奏家の訃報が本当に相次ぎますね。

その昔、ラーンキ、シフ、コチシュが、「ハンガリーの三羽がらす」と呼ばれていた時、ラーンキが若い女性にものすごい人気で(後のブーニン同様・・・、そういえば最近はそういうピアニストニに若い女性が群がる大ブームは起きにくくなったようですね)、シフやコチシュのほうがずっと優れているのにと男の嫉妬をしていたのも懐かしい思い出です。

>少なくともこれらのバルトーク演奏は永遠であると僕は思う。

録音の長期保存技術の確立が急務ですね。

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岡本 浩和

>雅之様

マリナーは大往生ですからまだしも、コチシュはさすがにまだまだやってほしかったですわ。
「ハンガリー三羽烏」騒がれましたね、懐かしいです。

>録音の長期保存技術の確立

同感です。

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