ロベルト・シューマンとも面識や友好関係があり、当時のヨーロッパ音楽界でバッハの復興をはじめとしてなくてはならなかった重要な人物がフェリックス・メンデルスゾーンその人。
数年前に「早わかりクラシック音楽講座」をスタートして以来、何度かメンデルスゾーンは採り上げた。そのお蔭か、それまで知らなかった彼の人間的側面や家庭的バックグラウンドを知ることができ、それによって一層彼の音楽に興味を持つようになった。
それまではどちらかというと裕福な家庭に生まれ育った「お坊ちゃん」作曲家というイメージが支配し、偏見で二流作曲家のレッテルを無意識に張っていたのかも。特に芸術というのは「負の美学」としての側がものをいい、闇の部分、陰の要素がないとどうにも食い足りなく感じてしまう(あの明るい愉悦的なモーツァルトだって数は少ないにせよデモーニッシュな短調作品があるゆえ音楽家として1枚も2枚も上手、天才という名を恣にしているのだと思うし)。
ユダヤ人としての苦労(特にユダヤ問題に関しては現代の極東地域にいる我々には全く想像もできないほどの差別や偏見が存在していた、いや、今もおそらく存在しているだろう)、実業家の家庭に長男として生まれた運命。期待と不安とが入り乱れながら、幼少から大変な英才教育を施されてきたことで失うものもあったはず(結果的にそれらすべてのことが彼の寿命を縮めたといえよう)。
先日、タワーレコードでたまたま発見した新譜。エベーヌ四重奏団によるフェリックスとファニーのクヮルテットがカップリングされた素敵な音盤。
フェリックス・メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第2番イ短調作品13
ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル:弦楽四重奏曲変ホ長調
フェリックス・メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第6番ヘ短調作品80
エベーヌ四重奏団
ピエール・コロンブ(第1ヴァイオリン)
ガブリエル・ル・マガデュール(第2ヴァイオリン)
マテュー・ヘルツォーク(ヴィオラ)
ラファエル・メルラン(チェロ)
※作品13とその他の楽曲で第ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが交替
興味を引いたのは未聴だったファニーのクヮルテット。この作品が生み出された1834年頃のメンデルスゾーン家の諸相。例えば、音楽の師であったカール・フリードリヒ・ツェルターとゲーテとの往復書簡が刊行され、そこでツェルターがメンデルスゾーン家のことを差別的に書いていたことが表面化。
もしもユダヤ人の息子がひとかどの芸術家になったら、それこそ本当に珍シイコト(原文はイディッシュ語)でしょう。(往復書簡中のツェルターの言葉)
ファニーのフェリックスに宛てての怒り心頭の手紙も残されている。
ツェルターの側からは書簡の中に不愉快な嫌な心根がはびこっています。(1833年12月1日付)
そして殿方たちのインクがほとばしるままに論評され中傷され、時には名誉も傷つけられることに、私は最初から最後まで侮辱を感じています。(1834年11月24日付)
何と1年近くにわたって「怒り」が収まっていない様子・・・。おそらくこれは当時の女性一般に対する社会的地位の蔑みなども遠因としてあるだろうけれど。
さらには、1834年4月23日の母レーアの突然の体調不良と重篤な心臓頻拍の発覚。
気が気ではなかったろう。
とはいえ、その音楽には優しさと活気が漲る。自身の才能をこれでもかと世間に認めさせようとする進取の精神と、女性らしいすべてを包み込もうとする大らかさと。変ホ長調という調性とアダージョ楽章で始めるという挑戦と斬新。
付録の(?)メンデルスゾーンの2曲も良い演奏。作品13の方はフェリックスがまだ10代の頃の傑作。一方の作品80は姉ファニーの急逝を悼んで創作した慟哭の四重奏曲(これはフェリックス・メンデルスゾーンが真の天才であることを証明する大傑作だと僕は信じている)。長くなるので、これについてはまた日を改めて書くことにする。
※太字部分は「もう一人のメンデルスゾーン」(山下剛著)から抜粋引用
こんにちは。
ファニーの四重奏曲はエラーと四重奏団のCD(cpo)がありましたが、
エベーヌはさらに進化した演奏です。
この曲の真の姿を初めて示してくれたと思います。
フェリックスの作品80のデモーニッシュな傑作・怪作ぶりは激しく同感です。
ロマン派の弦楽四重奏曲中でも屈指の重要作だと思います。
>木曽のあばら屋様
こんにちは。
エラート四重奏団のものがあったとは知りませんでした。
エベーヌがさらに進化したものだとするならこちらだけでとりあえずいいのですかね・・・。
>ロマン派の弦楽四重奏曲中でも屈指の重要作だと思います。
はい、おっしゃる通りです。
[…] メンデルスゾーンの少年時代の師であったカール・フリードリヒ・ツェルターのゲーテとの書簡集が公になったとき、ツェルターがメンデルスゾーン家のことを差別的に言及しているのを知り、姉のファニーが怒りを顕わにしたことは前にも書いた。 […]