アルバン・ベルク四重奏団のモーツァルトK.589&K.590(1989.2録音)を聴いて思ふ

mozart_22_23_abq闇の中の一条の光には熱がある。何という温かみ。
順風満帆でなかったからこそわかる他人の痛みとでも表現しようか。なるほど、晩年のモーツァルト作品に共通するのは「共感」だ。

正確無比な技術に支えられ、鋭敏ながら潤いのある音楽が現出する。
澄んだきれいな音色。ベートーヴェンもバルトークもシューベルトも、そのセンスがいかんなく発揮された名演奏だが、殊にモーツァルトの晩年の作品にみる漆黒の美しさは類を見ない。これほど完璧に晩年のモーツァルトの無垢な心を表現し得た演奏がかつてあっただろうか?

アルバン・ベルク四重奏団が解散して早8年を超える。
実演がもはや聴けないことは実に残念だが、残された音盤を繰り返し聴くことでせめてその渇きを癒そうではないか。彼らが残した数多の録音はいずれも僕の座右の盤。これほどまでに透徹され、また統制されたアンサンブルは今後もなかなか出まい。機械仕掛けのようでありながら内から醸される感性たるや並大抵でない。円やかな響き。4つの弦楽器が織りなす絶妙なバランスを伴った音の伽藍。

チェロを愛したプロシャ王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の依頼により生み出された通称「プロシャ王四重奏曲」は、いずれもが最晩年のモーツァルトの無駄のない完璧な筆致による「絶対」の音楽。旋律は豊かで、また音調は愉悦と哀感が交錯し、聴く者をたちまち魅了する。

モーツァルト:
・弦楽四重奏曲第22番変ロ長調K.589「プロシャ王第2番」
・弦楽四重奏曲第23番ヘ長調K.590「プロシャ王第3番」
アルバン・ベルク四重奏団(1989.2録音)

いま書いている四重奏曲を版刻に送り込む前に、やはり私は生活していかなくてはなりません。少なくとも600フローリンを手にしたら、かなり落ち着いて書けるでしょう。
(1790年5月初め、モーツァルトからプフベルク宛)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P424

結局、プフベルクからは1000フローリンが送金されている。
当時のモーツァルトの経済状況はやはり苦しい。
困窮が彼の創造力に与えたパワーには計り知れないものがあろう。
負がもたらす抑圧からの解放こそがモーツァルトの音楽作りの源泉。

クリスチャンらしくない人間どもの中から、それでも最もクリスチャンらしい人を探し出し、訪ねていくのに時間がかかって、まったくの無一文になってしまいました。―四重奏曲を完成できません。
(1790年5月17日付、モーツァルトからプフベルク宛)
~同上書P425

恨み辛みだって必要なのだ。
特に、ヘ長調四重奏曲K.590の第2楽章アンダンテには、苦悩の中でようやく出逢った人間らしい人間の慈悲深さが投影されるよう。ここでのアルバン・ベルク四重奏団の演奏は、他の四重奏団のそれを冠絶し、見事に心がこもる。第3楽章メヌエットの優しい調べ。そして、ソナタ形式による終楽章アレグロの崇高さ。細かい音の動きから感じられる作曲者の心の機微を完璧に捉えた名演奏。

 

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2 COMMENTS

雅之

>負がもたらす抑圧からの解放

>恨み辛みだって必要なのだ。

そういう登山道はとても重要です。スポーツの世界などが典型的ですが、若いころは特に反抗期がないと人間的に成長できないのではないでしょうか(チョイ悪オヤジにも)。

これも前にご紹介した本ですが、中村修二氏などまさにそのアプローチでの成功者です。

怒りのブレイクスルー ―「青色発光ダイオード」を開発して見えてきたこと (集英社文庫)  中村修二(著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4087477045/ref=pd_lpo_sbs_dp_ss_1?pf_rd_p=187205609&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=4834250520&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=5BXBWCC4JD5E5EPBJAD3

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岡本 浩和

>雅之様

中村修二さんという人はすごいですよね。

>若いころは特に反抗期がないと人間的に成長できない

同感です。いい子ちゃんではどうにもなりません。

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