アルゲリッチ&フレイレのザルツブルク音楽祭2009(2009.8.3Live)を聴いて思ふ

宙を見つめ、孤高の音を紡ぐ女。
そして、鍵盤を這うように見つめ、音楽に没頭する男。
おそらくリハーサルの風景なのか、あるいは、ジャケットのためのスチール撮影なのか、観客のいない舞台での2台のピアノが並ぶ、止まったような静けさに満ちるシーンが実に神々しい。

いつだったか、サントリーホールでこの2人のデュオを聴いた。
鮮烈な印象で、2つが一つになる音の饗宴に僕は確かに酔った。しかし、残念ながら、音楽そのものの記憶がまったくないのである。当時、たぶん僕は彼女のソロ演奏を求めていたのだと思う。アンサンブルで薄まってしまう(ように感じられた)個性を直接に知り、その音のシャワーをとにかく浴びたかったのだと思う。

今の僕の求めるものは違う。
譜面と孤軍奮闘する(あるいは自分自身と対峙する)独奏も良いが、音楽の愉悦の源たるアンサンブルに一層魅力を感じるように、歳を重ねるにつれてなった。今あらためて彼らのデュオを聴いたらどんな風に思うのだろう。また、感じるのだろう。
2009年8月、ザルツブルク音楽祭の記録。

ザルツブルク音楽祭2009
・ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲作品56b(2台のピアノ版)
・ラフマニノフ:交響的舞曲作品45(2台のピアノ版)
・シューベルト:4手のためのロンドイ長調D951「グランド・ロンドー」
・ラヴェル:ラ・ヴァルス(2台のピアノ版)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
ネルソン・フレイレ(ピアノ)(2009.8.3Live)

20本の手が縦横に奏でるかのような自然さ。そして、管弦楽のような煌く色彩。
ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」は、適切なテンポで、否、伸縮激しいが曲調に実にマッチした店舗で繰り広げられる人間ドラマに思わず感激する。何という音楽性。また、ロシア的憂愁が見事に映される「交響的舞曲」の有機的な響きと宇宙の鳴動の如くの拡がりに思わずため息が出るほど。何という暗さ、何という激しさ。
そして、明朗で可憐なシューベルトをはさみ(この抜けた透明感は最晩年のモーツァルト以上)、極めつけはラヴェルの「ラ・ヴァルス」!!

蠢く暗澹たる低音から徐々に光明が射す様は、モーリス・ラヴェルの真骨頂であり、例の主題が微妙に顔を出す瞬間のカタルシスに思わず唸る。何という粋!!何という洒脱さ!!ここにあるのは黒と白の饗宴、あるいは、エキゾチズムとソフィスティケートの混交か。

音楽は走る。
音楽は流れる。
音楽は止まる。
音楽はうねる。

自然な流れが堪らない。
ちなみに、ブラームスとラヴェルではアルゲリッチが第1ピアノを、そしてラフマニノフとシューベルトではフレイレが第1ピアノを担当する。役割を交代しての、音色の変化の不思議に、音楽が生き物であり、人間の手によって成されていることをあらためて思う。

 

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