協奏曲のピアノ独奏パートにフォーカスしてみる。
何て音楽的で可憐に煌めく響きであることか。若きベートーヴェンの挑戦と意気込み。
グレン・グールドはかく想像する。
もちろん、これはかれにとって最初の大きな管弦楽曲であった(ハ長調の「協奏曲」作品15に数年先行)。これが書かれたころ(1795年)、ベートーヴェンはピアノ独奏家としてすばらしい腕前を披露しており、自分自身を誇示するためのショーピースをつくる気になったとしてもふしぎでなかった。
~ティム・ペイジ編/野水瑞穂訳「グレン・グールド著作集1―バッハからブーレーズへ」P102
しかし、この曲が単なるショーピース的なものでなかったことは、同じくグールドの続く文章を読めば自ずと理解できる。渾身のカデンツァを持つ変ロ長調協奏曲は、ベートーヴェンのある意味隠れた傑作なのである。
しかしこの作品に対するかれの関心は、自分ではそれを必要としなくなってからもずっと続いたように思われる。かれはハ長調およびハ短調の協奏曲がすでにできていた1800年にその改訂をはじめたばかりか、第1楽章のためにカデンツァ(しかもかれが書いたカデンツァのうちでずば抜けてよいもの)を、きわめて粗削りな動機による彫像といった作風で用意したのである。それは1815年になるまで書けなかったほどのものであった。
~同上書P102
これは盲点。そう言われると確かにグールドの弾くベートーヴェンのカデンツァは素晴らしい(猛烈なスピードと華麗なテクニック、それでいて単に技巧的に陥らず音楽的)。
また、第2楽章アダージョの癒し。グールドは夢見ながら歌う。
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19(1957.4.9&10録音)
・J.S.バッハ:ピアノ協奏曲第1番ニ短調BWV1052(1957.4.9&11録音)
グレン・グールド(ピアノ)
レナード・バーンスタイン指揮コロンビア交響楽団
一方、バッハの協奏曲は幾分気難しさの残る重厚な演奏。ここではバーンスタイン指揮コロンビア交響楽団の伴奏が見事にものを言う。例えば、第2楽章アダージョはバッハの内なる哀愁。グールドの軽快でありながら重みのあるピアノの音が心に染み入る。そして、終楽章アレグロでの弾ける祝祭的音響。
余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙で尤も興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。又は空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気合一つで色々な調子が出る。この調子は画家自身の嗜好で異なってくる。それは無論であるが、時と場所とで、自ずから制限されるのも亦当然である。
~夏目漱石「草枕」(新潮文庫)P144
画に限らず音楽然り。
グレン・グールドの3作目はレナード・バーンスタイン指揮コロンビア響との協演。
若きグールドはどちらかというとまだ大人しい。
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マイケル・クラークソンの新訳が出せそうとはいえ、まだはっきりしません。新しいものを出すことは一番大変なことです。
>余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙で尤も興味ある研究の一と考えている。
「自然には不思議な魅力がある。くだらない、うわべだけの上昇志向を嫌でも忘れさせてくれる。
都会だと、上昇指向に左右される。だからこそ、私には都会の水が合わないのかもしれない」
のだそうです。
http://www.meigennavi.net/word/020/020268.htm
グールドは良いこといいますねぇ(笑)。
>畑山千恵子様
出版が決まりましたらお知らせください。
>雅之様
さすがグールド!
素晴らしい言葉です。
ありがとうございます。