グールドのベートーヴェン作品109, 110 &111(1956.6録音)を聴いて思ふ

beethoven_109-111_gould724これほど自己充足し、エネルギッシュかつ熱烈な芸術家に私は会ったことがない。彼が世間に一風変わった態度をとらねばならないのはよく分かる。(松本耿夫訳)

ゲーテのこのベートーヴェンを評した言葉は、そのままグールドにも当てはまる。

グレン・グールドの独特の節回し、呼吸(おそらく彼が繰り返し語るパルス)ははまる。
どうしたらこんな解釈を思いつくものなのかと何を聴いても驚かされる。それを恣意的と捉えるか、熟慮・研究の末の必然の帰結と捉えるのかは人それぞれだろうが、少なくとも僕にはどの作品に関しても期待以上の説得力が感じられ、実に興味深い。
ベートーヴェンの最後の3つのソナタも、聴いたことのないような猛烈なスピードで流れる瞬間と、沈思黙考、ほとんど止まってしまうかのような危うい瞬間が錯綜し、それでいながら一切の弛緩や不自然さを感じさせない音楽が創出されるのだから病みつきになる。彼は間違いなく不世出のピアニスト。

世界に衝撃を与え、一世を風靡した「ゴルトベルク変奏曲」に次ぐ2作目。青年グールドの完璧、完全無欠の音楽は何十年という時を経ても不滅。いや、むしろ時の経過とともに一層の輝きを放つ。

ホ長調ソナタ作品109第3楽章アンダンテ・モルト・カンタービレ・エド・エスプレッシーヴォの、淡々と奏でられる音楽の奥底にある憂愁。この類い稀な重量級の変奏曲が、グールドの抜群の技術を得て、作曲家の意志を超えた「神の声」として魂にまで響く。
続く変イ長調ソナタ作品110第1楽章モデラート・カンタービレ・モルト・エスプレッシーヴォは先の終楽章変奏曲と双生児であり、この情感溢れる音楽に僕はいつも心を奪われる。何という慈しみ!

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109(1956.6.28&29録音)
・ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110(1956.6.26&27録音)
・ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111(1956.6.20,21&25録音)
グレン・グールド(ピアノ)

また、グールド独特のピアニズムが炸裂する第3楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポのフーガの透明感、崇高さ。やっぱり幾度聴いても痺れる。
そして、ジャズの自由闊達な解釈を求めるハ短調ソナタ作品111第2楽章アリエッタにある神秘。グールドのいつもながらの唸り声(鼻歌)が映え、ゆったりと歌われる音楽はまさに天上へと昇華される。それにしても第1楽章マエストーソ―アレグロ・コン・ブリオ・エド・アパッシオナートでの激烈、超スピードの快感。何と喜びに満ちるベートーヴェンであることよ。

ちなみに、グールド自身が書き下ろしたライナーノーツは次のように締めくくられる。

こうしたソナタは、大胆な旅行者がその旅程で束の間途中下車した、野趣に富んだ田舎駅のようなものだ。たぶん、これらのソナタがこれまで図式的に背負わされてきた黙示録的な啓示といったものではないだろう。音楽は扱いやすい芸術である。言うなりに従い、どんな哲学にも柔軟である。自分の欲するようにそれをこねまわすことはけっして大仕事ではない。しかし、ここにある作品群のように、音楽がわれわれをこれほど喜ばしい幸福の国へと連れていくとき、そんな試みはしない方が楽しいだろう。
ティム・ペイジ編/野水瑞穂訳「グレン・グールド著作集1―バッハからブーレーズへ」P94

あくまで下手な思惑は避けろと。
しかし、本人はそう言いつつこの最後の3つのソナタはいかにもグレン・グールドらしい。

 

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2 COMMENTS

雅之

今年の大学入試センター試験共通1次国語の問題を、あるところからこっそり入手してしまいました。ばれると大変なことになりますので、絶対ここだけの話に留めておいてくださいよ!!

>しかし、本人はそう言いつつこの最後の3つのソナタはいかにもグレン・グールドらしい。

(問)このようなグールドの行為に当てはまる四字熟語は、次の内のどれか。

① 言行相反 ② 羊頭狗肉 ③ 口是心非 ④ 言行齟齬 

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