クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管のワーグナー「パルジファル」(1956Live)を聴いて思ふ

knappertsbusch_collection_parsifal_recordings音楽の面白さは完璧に同じものを再現することができないところ。
作曲家が残した総譜を頼りに再生を試みようとも二度と同じものは生まれない。もちろん解釈者によって音楽そのものは変わる。しかし、同じ人間であっても時と場所が変われば自ずと音楽は変るのだ。
この世に同じ日が一日もないように、同じものは存在し得ない。だからこそ日々は決してルーティンではないのである。どんな日であっても心持ち次第で刺激的。すべては意識のあり様。

ハンス・クナッパーツブッシュの「パルジファル」全曲。
1956年のバイロイト音楽祭。第1幕の敬虔な前奏曲から相変わらず呼吸は深く、何やら荘厳な物語が始まる雰囲気を醸す。

わたしの前奏曲はすべて根源的でなくてはならない。(ベートーヴェンの)レオノーレ序曲のように劇的であってはならない。もしそうなればドラマが余計な存在になってしまうからだ。
日本ワーグナー協会監修/三宅幸夫・池上純一編訳「パルジファル」(白水社)P5

ワーグナー自身のこの言葉に彼の芸術のすべての意味が託されているのだと思う。
「根源的」。確かにクナッパーツブッシュは作曲家の真意を見透かしていた。人類、否、世界創世の大本につながるべく音楽を紡がねばワーグナーの意志に逆らうことになる。その意味で、クナッパーツブッシュによるバイロイトの「パルジファル」は特別だ。
ヨーゼフ・グラインドル扮するグルネマンツの目覚めからすでに神々しい。
そして何よりフィッシャー=ディースカウ演ずるアムフォルタスの巧さ!!

アムフォルタス
(わずかに身を起こし)
そう、それでよい。御苦労、しばし休もう。
痛みに悶える夜も去り
森の朝のみごとさよ
聖らの湖に身を浸し
波に命もよみがえる
苦しみも影をひそめ
痛みの夜も明けやらん―
ガーヴァン!
~同上書P13

光を求めるアムフォルタス王の言葉に、人間の心の奥底にある願望を思う。ここでのディースカウの声はあまりに人間的。

・ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(アムフォルタス、バリトン)
ハンス・ホッター(ティトレル、バス)
ヨーゼフ・グラインドル(グルネマンツ、バス)
ラモン・ヴィナイ(パルジファル、テノール)
トニ・ブランケンハイム(クリングゾル、バス)
マルタ・メードル(クンドリ、ソプラノ)
ヨーゼフ・トラクセル(第1の聖杯騎士、テノール)
アルフォンス・ヘルヴィヒ(第2の聖杯騎士、バス)
パウル・レンヒナー(第1の小姓、ソプラノ)
エリーザベト・シュルテル(第2の小姓、ソプラノ)
ハンス・クロットハマー(第3の小姓、テノール)
ゲルハルト・シュトルツェ(第4の小姓、テノール)、ほか
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1956Live)

パルジファル登場のシーンにおけるグルネマンツとのやりとりが美しい。
(しかし、ヴィントガッセンに比してヴィナイの声には艶がなく弱いのが残念。いや、ひょっとすると愚者らしさを表わすならヴィナイか?)

グルネマンツ 自分がしたことの罪深さがわかったか。おい小僧、自分の罪の大きさに気づいたか。どうして、あんなひどいことを?
パルジファル 罪とは知らなかった。
グルネマンツ どこから来た?
パルジファル わからない。
グルネマンツ 父親は誰だ?
パルジファル わからない。
グルネマンツ ここへ来る道は誰に教わった?
パルジファル わからない。
グルネマンツ では、お前の名は?
パルジファル たくさんあったが、みんな忘れた。
グルネマンツ 何も知らぬというのか。これほどの愚か者はわしの知るかぎり、クンドリだけだ。
~同上書P25-27

この後に続く舞台転換の音楽も興に乗り、熱が入る。

パルジファル 歩きだしたばかりなのにずいぶん遠くまで来たようだ。
グルネマンツ そうだとも、お若いの、ここでは時間が空間となるのだ。
~同上書P33

既成の枠にとらわれていると真実を見失うもの。ニーチェを失望させたように、一般的にはキリスト教を暗に示唆するかのように解釈されるパルジファルの物語だが、最晩年のワーグナーは(新興?)宗教的な見地でこの作品を創作したのでなく、宗教という枠を超え、より宇宙創成の源に近づかんと道を開こうとしたのではないかと僕は思う。
ハンス・クナッパーツブッシュの「パルジファル」はいつも発見をもたらしてくれる(1956年のバイロイトの音の鮮度はいまひとつだけれど)。

 

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4 COMMENTS

雅之

クナ「パルジファル」のCD、そんなに沢山持てる時代になったんですね。

「2つで充分ですよ、分かってくださいよ」

出典、分からないでしょ(笑)。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

どこかで聞いたことのある言葉だと思いましたが、わかりませんでした。
しかし、今は便利な時代でググったら出てきました。(笑)

以前おすすめされた「ブレードランナー」ですが、あれは実に深いですよね。
もともとフィリップ・K・ディックは好きで結構読んではおりましたが、原作にこの台詞はあるんでしょうか?
「電気羊」は大昔に読んだのですっかり記憶の彼方です。

それと、確かにクナの「パルジファル」は2つ(51年盤&62年盤)で十分です。(笑)

返信する
雅之

>原作にこの台詞はあるんでしょうか?

「ブレードランナー」脚本の決定稿までには紆余曲折な経緯があり、原作「電気羊」とはかけ離れてしまっています。ですから、残念ながらこの台詞はないです。

ところで、「2001年宇宙の旅」⇒「惑星ソラリス」⇒「ブレードランナー」は、まさに哲学的なSF映画金字塔の系譜ですよね。

ワーグナーも「パルジファル」くらいになると、おっしゃるようにある意味宗教を超えていますよね。タルコフスキー作品に連なるような雰囲気さえ感じませんか?

返信する
岡本 浩和

>雅之様

ご丁寧にありがとうございます。
なるほど、そういうことですね。

>タルコフスキー作品に連なるような雰囲気さえ感じませんか?

同感です。
信仰心篤かったタルコフスキーもソ連にあって宗教の限界を感じていたのかもしれません。

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