ショルティ指揮ウィーン・フィル ヴェルディ レクイエム(1967.10録音)

私は外的な動きや、陰謀、事件の構成には興味をそそられたことはなかった。映画を撮っていくなかで、そうしたものをほとんど必要としなかった。私がつねに興味をそそられたのは、人間の内的世界である。人間の心理、その心理を育む哲学、人間の精神的な基盤の支えになっている文学的、文化的な伝統の内部への旅を行うことのほうが、私には遙かに自然なことであった。場面を次々に転換し、映画のなかに次々にカメラ効果やエキゾチックな自然や〈印象深い〉内部装飾を導入することのほうが、商業的な観点から遙かに有益であることを、私は理解している。私が言っていることの本質にとって、外的効果はただ私が実現しようとしている目的を遠ざけ、曖昧にする。私の関心を引きつけるのは、〈宇宙〉を内包している人間である。理念、人間の生活の意味を表現するために、この理念にある事件のカンバスを備る必要はまったくない。
アンドレイ・タルコフスキー著/鴻英良訳「映像のポエジア―刻印された時間」(キネマ旬報社)P303

タルコフスキーは、大宇宙の働きたる真理と、人体の働きを司る真理が本来一体となるものだということをわかっていたのだと思う。人間の内なる小宇宙は、外的効果によってまさに閉ざされよう。実際、彼の映画はどれもが効果を狙わない、人間の深層の心理を徹底的に追究し、描き上げるものだ。

この映画(「ノスタルジア」)での私の基本的課題とは、世界や自分とのあいだに深い不和を体験している人間、現実と望ましい調和とのあいだの均衡を見出すことができない人間の内的状態、つまり、祖国から離れているということばかりでなく、存在の全体性にたいするグローバルな憂愁によっても引き起こされるノスタルジアを体験している人間の内的状態を伝えることである。
~同上書P304

例えば現在の、コロナ禍で分断され行く人間の関係の未来が描かれているようにも見えるが、監督の主題はむしろ逆だ。タルコフスキーはすでにあの時点ですべてが調和に向かっていることを知っていた。

私のすべての映画は多かれ少なかれ、人々は孤独でもなく、空虚な世界のなかに投げこまれているのでもない、ということを語ってきた。人々は、過去および未来と無数の糸で結ばれており、ひとりひとりの人間が、自分の運命によって世界とのつながりを、まあ全人類的な道と言ってもいいが、そういうものとのつながりを実現しつつあるということを、語ってきたのである。
~同上書P305

愁える心の前途は希望だ。それこそ陰陽二元世界の公式である。
「ノスタルジア」冒頭では、ヴェルディの「レクイエム」から「主よ、永遠の安息を彼らに与え」が使用されていたが、あれは、まさに当時のタルコフスキーの心情を代弁する、同時に主人公ゴルチャコフの真の内面(精神的危機)を癒す見事な方法だったと思う。

・ヴェルディ:レクイエム(死者のためのミサ曲)
ジョーン・サザーランド(ソプラノ)
マリリン・ホーン(メゾソプラノ)
ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)
マルッティ・タルヴェラ(バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団(ヴィルヘルム・ピッツ合唱指揮)
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1967.10録音)

生々しい、重厚なサウンドはジョン・カルショウによって創られたものだ。
何より一流の歌手陣による研ぎ澄まされた歌唱とアンサンブルの妙。そして、「怒りの日」再現時の力強さと有機的な音!!
ショルティは馬鹿でかい音を出すだけの、無機的な指揮に陥りがちな人だと勝手に想像していたが、その先入観を捨てさせてくれたのがこの音盤。彼の遺産の最高の一つだと思う。

人類を滅ぼすことができる戦争の脅威が現実的なものとなり、社会的貧困が最大限の衝撃を与え、人類の苦悩が大声で祈りをあげるこの世界で、必要不可欠なのは、お互いに結びつきあう道を探求することである。これは自分自身の未来をまえにしての人類の聖なる責務であり、個々人の責務でもある。
~同上書P305

タルコフスキーの願い通り、今や世界は一つになる方向に向かって進んでいる。彼の指摘通り、僕たち一人一人が責任をもってそのことに中らねばならない。

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