デュトワ指揮モントリオール響のショーソン交響曲(1995.10.6録音)ほかを聴いて思ふ

saiint-saens_dutoit738フランス的エスプリの極致。
感情を揺さぶる世紀末浪漫といかにもソフィスティケートされた心地良さ。
音楽が拡がる。そして、フランスという国が他に引けをとらない体制を整えているのだと言わんばかりの自負。

エルネスト・ショーソンの唯一の交響曲。
若くして事故死した作曲家の奇蹟。これほどまでに哀しみを湛えた音楽が他にあろうか?
第一楽章ラン―アレグロ・ヴィーヴォの序奏の憂鬱と主部の明朗の対比。
また、第2楽章トレ・ランの暗いながら清澄な調べ。心を揺さぶる音楽の妙は、それこそ「詩曲」を生んだ作曲家の真骨頂。そして、終楽章アニメの歌謡的舞踏。嗚呼、美しい。

・サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調作品78「オルガン付」(1982.6.24-27録音)
・ショーソン:交響曲変ロ長調作品20(1995.10.6録音)
ピーター・ハーフォード(オルガン)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

巷間有名な團伊玖磨作曲の「ぞうさん」に似た旋律を持つ最後の楽章は、聴く者の魂を鼓舞する。

ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね。
そうよ、母さんも長いのよ。
(まどみちお作詞、團伊玖磨作曲)

それにしてもサン=サーンスの天才。流麗な「オルガン」交響曲の美しき旋律の戯れ。重厚なオルガンが、否、敬虔なオルガンが響く際の深遠さ。

シャルル・デュトワの棒の精密さ。さらには、豊かな音楽性。幾度聴いても色褪せることのない永遠。

時の来て、花柄の上にわななきて、
いま、花々は香に匂う、焼香炉もさながらに。
音と香気と、夕ぐれの空気に溶けつ。
ああ、なやましの円舞曲かな、ああ、ものうさの眩惑!

いま、花々は香に匂う、焼香炉もさながらに。
ヴィオロンは、悲しめる心の如くわななきて、
ああ、なやましの円舞曲かな、ああ、ものうさの目眩!
かの空は、さびし美し、大いなる祭壇に似て。

ヴィオロンは、悲しめる心の如くわななきて、
限りなき暗き虚無をば、憎むなる、やさしき心!
かの空は、さびし美し、大いなる祭壇に似て、
陽は溺る、自らが凝る血の海・・・。

限りなき暗き虚無をば、憎むなる、やさしき心、
光ある過ぎ来し方の、ありとある、名残を集む!
陽は溺る、自らが凝る血の海・・・。
あわれ汝が思い出の光れるよ、わがうちに、聖体盒の如くにも!
「夕のしらべ」
堀口大學訳「ボードレール詩集」(新潮文庫)P61-62

何だかドイツ的退廃とは程遠い世紀末の心地良い夢。

 

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2 COMMENTS

雅之

現在、仕事で沖縄に出張中です。

ここは、フランス的エスプリや世紀末の心地良い夢とも、ドイツ的退廃とも遠いです(笑)。

「フランスに行きたしと思えどもフランスはあまりに遠し」

ただ、時々、美しい自然の傍らに残る大戦の爪跡にハッとします。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

仕事とはいえ沖縄ですか!いいですねぇ。

>時々、美しい自然の傍らに残る大戦の爪跡にハッとします。

自然と人間が共生する証でもありますね。

返信する

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