ウィーン・モデルン

abbado_wien_modern.jpg久しぶりにラッシュアワーの山手線に乗り合わせた。満員電車とはいえ、決して「すし詰め」状態ではないので毎日のように体験されている方々から言わせると「あんなものじゃない」とお叱りを受けるかもしれない。今更ながらだが、東京の人の多さには恐れ入る。同じ日本でも、一方では過疎に悩む農村集落があることを思うと、産業革命以後の進歩の功罪についてあれこれ考えさせられる。果たして本当に社会は進化、進歩しているのだろうか・・・?
何年か前に名刺を交換させていただいたある社長から毎月近況を報告する「通信」が届けられる。その「通信」の裏面には毎回含蓄を含んだ名言が記されているのだが、今日届いたその文書を見ると次のように書かれていた。

心が変われば、態度が変わる
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる
人格が変われば、運命が変わる
運命が変われば、人生が変わる

ヒンドゥー教の教えなのだと。なるほど、その通りだ。しかしながら、天邪鬼的に少々突っ込みたくなるといえばなる。例えば、「心を変える」にはどうすれば良いのか?人への想い、心配りがいかに普通にできるかがポイントだろうが、日常の瑣末な事柄(それは仕事であれプライベートの義務であれ)にいっぱいいっぱいになっているとき人は人に対して本当に心配りができるのか?自分のことだけでせいいっぱいというのが実情ではないか?

僕は思う。やっぱり「環境」であると。職場の人間関係は何でも言い合える関係か?上下関係においても「肩書き」を抜きにして問題は問題として指摘し合えるほどの信頼関係が培われているのか?相手に想いを持てるということは、普段から「包み隠すことなく何でも言い合えている」からだろう。大切にしたい関係であるから時には厳しいことも言える。もちろんその根底には「愛」がある。

タワー・レコードのヴィンテージ・コレクション・シリーズ。発売当初手に入れそこなった音盤たちが廉価盤で次々とリリースされるので願ったり叶ったりだ。つい先日もデュトワ&フィラデルフィア管のラフマニノフが復刻され狂喜乱舞したが(本当は第3交響曲以外の3枚は全部所有しているのでその1枚だけが欲しかったのだが・・・)、アバドが1988年から発案した「ウィーン・モデルン」という現代音楽祭の記録もあわせて発売され、早速それを手に入れた(特に、「ウィーン・モデルンⅡ」はオリジナルではタルコフスキーの顔写真がクローズアップされたジャケットが印象的で、後回しにしているうちに買いそびれたもの)。

ウィーン・モデルンⅠ・Ⅱ・Ⅲ
リーム、リゲティ、ノーノ、ブーレーズ、クルターク、フラー、ダラピッコラ、クセナキス、ペレッツァーニ、ヘンツェの作品
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
アンサンブル・アントン・ウェーベルン、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団ほか

「ウィーン・モデルン」と題された3回の現代音楽祭の記録。その全てを瞬時に捉えて云々するのは難問だが、少なくとも後世に残すべき遺産であることは一聴理解できる。20世紀の後半に活躍した天才たちの足跡がくっきりと示されているところに大きな価値がある。ちなみに、僕はアバドの音楽はそれほど執着して聴いて来なかったので、この音盤に収められている各楽曲の演奏について良し悪しを詳細に言及することができない。

例えば、70年代に録音したマーラーの第4交響曲などいまだに最高の演奏だと思うのだが、それよりも何よりも彼のプロデュース能力(企画力とでもいうのか)にはいつも頭が下がる。そのことは(音盤でも残っているが)ベルリン・フィルのシェフに就任直後から様々な形で催されたイベントを通じても知ることができる。


4 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ご紹介の盤は未聴です。曲共々、聴いて勉強してみたいです。
アバドについてですが、時々有名曲の演奏で、楽譜の版をマニアックに混合や改変して賛否両論の的になるのを昔から面白く感じていました。(CDでは、ヨーロッパ室内管とのシューベルト「グレイト」、ロンドン響とのストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」、ベルリンPO他とのモーツァルト「レクイエム」、ベートーヴェンの「第九」等)
例↓
http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/mozart/abbado.htm
これらを知的好奇心で分析的に聴くと、結構一筋縄ではいかない指揮者かも・・・(笑)です。
それに、生きるか死ぬかの大病の後は、指揮も一皮剥けたというじゃあありませんか! 過去実演を聴いた感想で、今を語ってはいけないのかも、とも思います。私も過去の言動を、ちょっと反省しています。
「運命が変われば、演奏が変わる」のですから!
ところで先日、音楽評論家の黒田恭一さんが71歳でお亡くなりになられましたね。私は昔、黒田さんと3回ほどお会いしたことがありましたが、ずっと彼のカラヤンびいきで甘口の評論を好きではありませんでした。しかし今考えると、他人の心を傷つけない優しいお人柄が、つくづく偲ばれます。
クラシック音楽を聴くことによって、人は本当に心が豊かになれるのでしょうか?どうも最近疑問に感じています。何事もそうですが、マニアックになりすぎると視野が極端に狭くなり、他人の価値観を容易に受け入れない偏屈な人間になってしまう危険が大きくなります。そこから脱するには、例えば吉田秀和氏、宇野功芳氏、金子建志氏のように、自分でもピアノで楽譜を追ってみたり、指揮や合唱などで演奏に参加してみたりすることが一番だと思いますが、そうでなければ黒田さんのように謙虚であるべきかなあとも思います。
ネット上に、黒田さんがアバドについて語った文章があります。
生前の黒田さんらしい、暖かみ溢れる文章です。
http://www.audiosharing.com/people/kuroda/reijou/reijou_22_1.htm

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>時々有名曲の演奏で、楽譜の版をマニアックに混合や改変して賛否両論の的になるのを昔から面白く感じていました。
他人と違った「個性」みたいなものを尊重する人なんでしょうね。本当に良くも悪くも一筋縄ではいかない人かもしれません。
>生きるか死ぬかの大病の後は、指揮も一皮剥けたというじゃあありませんか!
皆さんそうおっしゃいますよね。僕も昔一度きり聴いただけなので、最近の演奏はぜひ触れてみたいと思っているところです。
そうそう、黒田恭一さん、亡くなりましたよね。残念です。
>ずっと彼のカラヤンびいきで甘口の評論を好きではありませんでした。しかし今考えると、他人の心を傷つけない優しいお人柄が、つくづく偲ばれます。
若い頃、僕もそう考えてました。僕も雅之さん同様、最近では考えが随分変わりました。
>マニアックになりすぎると視野が極端に狭くなり、他人の価値観を容易に受け入れない偏屈な人間になってしまう危険が大きくなります。
そうですね。僕が考えるに、やっぱり何事も「中庸」で受容してみるという行為が大切なんだと思います。黒田さんもあらゆるジャンルの音楽に相当詳しいようでしたからね。「謙虚」という言葉がとても似合う方だと思います。

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まーの

雅之さんへ
たしかに。
運命が変われば、演奏が変わる。
演奏者は、付き合う相手による影響も大きいから
演奏もそれによって、かなり変わるケースも多いですね。
この私も、今の人と知り合ってから
かなり色々な影響があり、生活自体も全く変わりましたが
音楽ひとつとってもあきらかに前の自分から比べると
変化がありました。
(今回は、良い意味なんですが・・・)

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雅之

まーの様へ
他人との出会いで、人は、どんどん変化していきますよね。
まーの様の演奏は、これからもまーの様の充実した人生と比例して、ますます深みを増していくものと信じています。これ以上まーの様の演奏に感動させられたら、私はどうなってしまうのでしょう?(笑)
運命が変われば、音楽の聴き方も変わる
私も、素晴らしいまーの様や岡本様との偶然の出会いで、視野を拡げることができ、自分の音楽の聴き方を、この1年で飛躍的に進歩させることができました。
お二人に感謝の極みです。ありがとうございます。
※7月7日のCD発売及び9月の多治見公演、待ち遠しいです!!

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