
これまでいろいろ聴いてきた中で、最も激しい、崩壊寸前場面多々(?)ともいえる、劇的な、しかし、音楽そのものが生きている「第九」は、最晩年のヘルマン・シェルヘンがルガーノ放送交響楽団と収録したライヴ録音だ。
シェルヘン指揮ルガノ放送管のベートーヴェン交響曲第9番(1965.4.5Live)を聴いて思ふ 空前絶後ともいえる、時に粗い、荒れ狂った「第九」は、怒れる獅子ベートーヴェンのある側面を赤裸々に示す、シェルヘンならではの表現。「羽目を外し過ぎ!」という意見は大いに結構。再現芸術が演奏者の意中にかなったものであり、その律動が聴衆を雁字搦めにし、心を動かせるなら本望だといえる。
シェルヘンが自らの死期を悟っていたとは決して思えないが、1年近く後に寿命を全うする本懐が、シェルヘンの人生への回答が刻印される、名演奏であり、また迷演奏だ。
ただし、ここには大いなる「歓喜」がある。
本格的に丙午年が明けた今、世界は「新生」に向けて蠢いている。
なるほど、シェルヘンの「第九」には芽吹きがあり、それはすなわち「新生」に向けての律動だ。
昔ひとりの男がいた。彼は、自分が考え、感じたことのすべてを、偉大な先達から受けついだ音の言葉で表現したいという衝動を感じていた。この言葉で語ることは、彼の心からの欲求であり、それを聞き分けることは、彼が地上で味わう唯一の幸福だった。ほかには財にも歓びにも恵まれず、善意と愛にあふれる心で全世界に面を向けていたにもかかわらず、世間の風はたいそう冷たいものだった。ところが、彼にたったひとつ残されていた幸福も奪い去さられる定めにあった。彼は聾者となり、みずから発するすばらし言葉を、もはや聞きとることもかなわなくなったのだ! ああ、彼は言葉そのものまでも捨て去ろうと思いつめたのだったが、良き守護霊のおかげで思いとどまった。—音なき世界に投げ出された自分の心が、いまや感じとるしかなくなったことさえも、この男は楽の音にのせて語り続けた。—しかし、このときから男の感情は世のならいを超えた不思議の域に入っていったのだ。世の人々が自分のことをどのように考え、感じているのかということなど、もはやどうでもよい他人事と思えた。ただひとつ拠りどころとなったのは、自分自身の内面だけであり、心に渦巻くあらゆる情熱と憧憬の底の底までひたすら沈潜するよりほかになかったのだ。いまや男が住みついたのは、なんと不思議な世界だったことか! この世界のうちならば、目も—そして耳もはたらいた。身体にそなわった耳がなくても聞こえたからだ。そこでは創造と享受がひとつになっていた。—しかし、なんということだろう、この世界は孤独の世界だったのだ。子供のような愛にあふれた心が、孤独の世界に永遠に住みつこうなどと望みえただろうか。哀れな男は周囲の世界にまなざしを向けた。—かつて自分を甘美な至福の歓びでつつんでくれた自然に、そして今なお強い親しみをおぼえずにはいられない人間たちにまなざしを向けたのだ。彼は名状しがたい憧れのとりことなり、それに駆り立てられるように、ふたたび世界の一員となり、世の人々の幸福と歓喜を味わえればと思った—さて、諸君を求めて呼ばわるこの哀れな男と出会ったならば、諸君はその姿を不気味に思って避けるかもしれないし、男の言葉がすぐにはわからないので、いぶかしく思うかもしれない。あるいはその言葉があまりにも奇妙で耳慣れぬ響きなので、この男は何を望んでいるのだろうとたがいに耳打ちしあうかもしれない。ああ、彼を迎え入れ、胸に抱いてほしい。彼の言葉の不可思議な響きに驚嘆しつつ耳傾けるがよい。その言葉が新たに勝ちとった沃野のなかで、諸君はこれまで耳にしたこともない壮麗かつ崇高な響きを経験するだろう。—この男こそほかならぬベートーヴェンであり、かの人が諸君に語りかける言葉こそ、その最後の交響曲の調べなのだから。この奇跡のごとき人が、みずから味わった苦悩と憧憬と歓喜のすべてを前代未聞の芸術作品へと結実させたのが、第九交響曲なのだ!
(松原良輔訳「ベートーヴェンの《第九交響曲》によせて」(1846))
~ワーグナー/三光長治監訳/池上純一・松原良輔・山崎太郎訳「ベートーヴェン」(法政大学出版局)P5-6
リヒャルト・ワーグナーがベートーヴェンの第九交響曲の歴史的コンサートに先立って発表した文章には、ベートーヴェンへのただならぬ敬愛の念が漂う。当時の聴衆にはこの大曲の真意が理解できず、評価されていなかったことに対する、ワーグナーの熱弁は、今となっては可笑しくなるくらい。
ここには文字通り「歓喜」があり、人類が一つにならんとせん、希望があることを、そしていずれ将来、全世界で受容されるだろうと見抜いていたワーグナーの先見がある。
この言葉を実際に音にした最右翼がヴィルヘルム・フルトヴェングラーであり、最左翼がこのヘルマン・シェルヘンなのだと言えまいか(あくまで個人的見解であり、また個人的趣味)。
一期一会の、苦悩と憧憬、歓喜溢れる「第九交響曲」!
僕の手もとにあるのは、1995年に山野楽器からリリースされた全終盤。
