グールドのバッハ パルティータ第1番&第2番ほか(1959録音)を聴いて思ふ

bach_partita_1_2_gould744宇宙開闢の歴史から見ると、人の命というのはあまりに刹那であること、そしてまた、同じ瞬間は2度とないのだということをグレン・グールドは教えてくれる。彼は指定された反復を基本しない。それゆえに、その猛烈なスピードと相まって音楽はあっという間に過ぎてゆく。たった50年という短い人生を駆け抜けていった本人の生き様をまるでそのまま表すかのように。

第一印象は最初の6秒で決定されると言われる。音楽の良し悪しの印象も同じようなものなのかもしれない。いわゆる立ち上がりが重要だということ。昨日のチョン・キョンファのリサイタルでも、何やかんや言いながら、僕は冒頭の数秒を聴いて涙した。
そのことは彼女に対する長年のシンパシーから来たものではなかったように思う。繰り出される音楽の温かさに何より感動したし、不安定な音程と乱れる技術の是非を超え彼女の存在そのもの、目の前でバッハを弾く姿に魅了された。
もちろんチョン・キョンファの演奏のすべてを手放しで賞賛はしない。拍子抜けするような、音楽が停滞する瞬間も確かにあったから。
そんな状態でもリサイタル全体としては多大な感銘を受けることができたのだから、それは50年という長年の経験が成せる技なのだと思う。老練のヴァイオリニストの神髄。

ちなみに、グレン・グールドの風変わりな演奏も、概ね冒頭の数秒で強烈な印象を与え、聴く者の心をとらえる。わかっていても耳にする度に感動するその本質は、彼の魂が一期一会で僕たちに訴えかけようとしているからなのだと僕は思う。

J.S.バッハ:
・イタリア協奏曲ヘ長調BWV971(1959.6.23-26録音)
・パルティータ第1番変ロ長調BWV825(1959.5.1&8, 9.22録音)
・パルティータ第2番ハ短調BWV826(1959.6.22&23録音)
グレン・グールド(ピアノ)

「イタリア協奏曲」第1楽章アレグロの躍動。音符を極めて明瞭に音化し、音の流れを止めずに、それでいてぷつぷつと途切れるような印象を与えるグールドのバッハは唯一無二。録音から60年近くを経てもまったく古びない表現。また、第2楽章アンダンテの重厚な瞑想(絶妙な低音部!)と終楽章プレストの壮絶な闘い!グールドは自らに向き合い、猛烈な音楽を繰り出す。彼はやっぱり宇宙人だ。

そして、変ロ長調パルティータのアンニュイな趣。虚ろな第1曲前奏曲、第2曲アルマンドの解放、第3曲クーラントの飛翔、どの瞬間も作曲家の心が美しく投影され、これ以上のバッハはないのではないかと思わせるほど。終曲ジーグを聴くにつけ、グールドの右手と左手の錯綜する魔法に舌を巻く。とても人間業とは思えない。
さらには、ハ短調パルティータ。
第1曲シンフォニアの天才。例えば、主部アンダンテに移ってからの軽快な響きに、一抹の悲哀を感じるのは僕だけだろうか?バッハの音楽は哀しい。あるいはグールドのピアノは喜びの中に哀しみを閉じ込める。第3曲クーラントが殊に美しい。第4曲サラバンドが泣く。第5曲ロンドーが跳ね、終曲カプリッチョは寂しさを紛らすかのように歌う。

―バッハの生きていた時代に書かれた幾つかの思想・文学作品を見てみると、おもしろいことがわかる。恣意的だけれど、こういったものを挙げておこう―

 1667年 ミルトン「失楽園」
 1675年 スピノザ「エチカ」(完成はさせるが、すぐに出版はしない)
 1719年 デフォー「ロビンソン・クルーソー」
 1726年 スウィフト「ガリヴァー旅行記」
 1759年 ヴォルテール「カンディード」

スピノザは別にしても、ミルトンは、「楽園」にいられなくなる。否応なしに外部に出て行かざるをえなくなる話だし、それ以外の三作も、自分のいるところから外部へ、未知のところに出向いているのが特徴だ。しかもロビンソンは無人島、スウィフトは奇妙な巨人国や小人国、カンディードはヨーロッパから中南米といったぐあい。
一方、バッハはといえば、全然外国に出ていくことがない。狭い地域を動いているばかり。しかし情報ははいってくる。音楽的なスタイルは貪欲なまでに吸収している。当時はすでに宮廷のダンスや組曲にとりこまれるようになっていた、各地のリズムを、自分のものとしている。なかには、身近なところのものではなく、はるか中南米に由来するものもある。
小沼純一著「バッハ『ゴルトベルク変奏曲』世界・音楽・メディア」(みすず書房)P45-46

バッハの天才はそうやって時空を超えたところにある。
それを当然のようにキャッチし、再現したグールドも然り。すべてがあまりに美しい。

 

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2 COMMENTS

雅之

>第一印象は最初の6秒で決定されると言われる。音楽の良し悪しの印象も同じようなものなのかもしれない。

企業面接での鉄則ですね(笑)。宇野さんも同じようなことを言っていましたし・・・。

私は自分の経験上、それは都市伝説だとも思います。6秒でその人の何がわかるのかと。たとえば、チャイコ「悲愴」のような曲でも冒頭の6秒で演奏の良し悪しがわかるのかと。

結局、音楽は宗教の一種だということに尽きるのではないでしょうか。「信じる者は救われる」のです(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

>結局、音楽は宗教の一種だということに尽きるのではないでしょうか。

おっしゃるとおりです。
先日のキョンファの無伴奏リサイタルなどはまさに教祖と信者の関係のようでした。(笑)

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