直感、または感性

brahms_2_schuricht_stuttgart.jpgラヴェルはコンセール・ラムルーによるいくつかのコンサートについての批評の中で次のように述べている。

「天才」の本質、つまり、芸術創造の本質とは、直感、または感性によってのみ構成されうるものである。・・・さて、芸術においては、ことばの絶対的な意味においての「技能」は存在し得ない。ある作品が均整のとれたプロポーションや、優美な展開をみせるとき、着想が果たしている役割はほとんど限りなく大きい。発展させようという意思は不毛なだけである。
これが、ブラームスの大多数の作品において最も顕著に見られることである。交響曲ニ長調において、主題は親密で柔和な音楽性を示している。旋律の輪郭とリズムは非常に個性的であるが、それらの主題はシューベルトやシューマンのものと直接つながっている。提示された途端に、それらの足取りは重く苦しげになる。この作曲家はベートーヴェンと肩を並べようという欲望にたえずとりつかれていたようだ。・・・ドイツの巨匠の構成は巧みではあるが、しかけが多すぎるように感じられる。~「ラヴェル-生涯と作品(アービー・オレンシュタイン著)」

ブラームスは考えすぎだというのか・・・。なるほど、そういう見方もあるのかも。僕は20代の頃からブラームス党で、彼の音楽のほとんどを様々な音盤で聴き、楽しんできた。そして、そういう僕も「頭で考えすぎだ」としょっちゅう言われ続けてきた(笑)。だからなのか、どこか似たものを感じるのは確か、今でもブラームスの音楽は飛び切り好きである。特に、第2交響曲は前作の第1交響曲で20年以上の年月を費やしたブラームスがわずかひと夏で書き上げた、楽想がふんだんに湧き出ずるまさに「自然」と密接につながるような名曲ゆえ、「ラヴェル!お前わかってないよ!」とついつい本音では言ってしまいたくなる(笑)。

とはいえ、ラヴェルが言いたいことも一方で理解できる。ラヴェルが最も崇拝した作曲家がモーツァルトだったのだという。その明確さ、完璧な技術、純粋な抒情に、ほとんど超人の域に達しているという印象を受けたのだと。なるほど、確かにそれはその通り。彼が指摘するようにベートーヴェンという偉大な影を追い続ける過程の中で、その型に自身をはめこもうとしてしまったところにブラームスの窮屈さがある(逆にそのお陰で社会的地位は保証されたようなものなのだが)。

「ラヴェル~生涯と作品」の該当個所を読みながら、そんなことを考えつつ、一方で昨日の「自由大学」でのコンテストについてちょっと振り返ってみた。結局、あそこが求めているのは新しい切口の「ビジネス」であり、その(自由大学については疎い我々のような人間には)見えない枠組みの中で、限りなく大学側が儲かるような、あるいは有名になるような「しくみ」を提案できるかが鍵だったんだなとあらためて思った。

世に広めたければある一定の枠組みに乗っかる方が手っ取り早いが、それだと独自性が失われてしまいかねない。ましてやそれが「目に見えないもの」ならなおさらだ。独自かつ孤高の路線を貫くやり方は天才だけに許された方法なのだろうか?芸術に限らず、生き方も同じだ。自分のやり方を信じ、それを直感と感性で貫けということなのかも・・・。

ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73
カール・シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送交響楽団(1966.3.16Live)

ラヴェルが重く苦しげだというブラームスの交響曲ニ長調。しかし、これは屈指の名作である。シューリヒト最晩年の孤高の棒がひときわ異彩を放つ(意外にもかなり遅めのテンポ!)。これはやっぱり天才の為せる技だと思うけど・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ブラームスの音楽がモーツァルトやシューベルトの音楽に比べ、霊感より思考の産物であるという感想を抱かせるのは確かだと思います。知識人、いや常識人としてのバランス感覚が煩わしいと感じることもあります。
私も岡本さんのブログにコメントさせていただく時、これでもバランス感覚に気を使っていて、右寄りの論調に傾きすぎた日の翌日は意識的に左寄りのコメントを書いたりしているのですが、そういう行為自体、ブラームス的だなあと、いつも自覚しています(笑)。もっと理性を捨てて徹底的に一方向に突っ走るべきかと・・・。そう、悪く言えば優柔不断なんですよね、ブラームスも私も・・・。ただし我々とブラームスで決定的に異なるのは・・・、
>独自かつ孤高の路線を貫くやり方は天才だけに許された方法なのだろうか?
そう、今までの岡本さんのブログでのブラームス談義で私がもっと欲しかった視点は、偉大なこの部分の踏み込みです。ブラームスというと、何だかいつもクララ・シューマンのことばかり考えているエロ・オヤジだという、ステレオ・タイプ的な見方はもう止めませんか?我々だって、いつも女のことばかり考えて仕事をしているわけではないでしょう(笑)。シューマンでの岡本さんとの議論でも、お互いクララのことばかりに気を取られて、彼の音楽を語る上で肝心な「フロレスタン」と「オイゼビウス」のことなどについては、何もやりとりしていません。ちょっと思考の質を変えるべき時期かも、です。
先日からご紹介の「ラヴェル~生涯と作品(アービー・オレンシュタイン著)」は名著ですよね。ちなみに全音楽譜出版社から出ているオレンシュタイン氏校訂の、オイレンブルク版 ラヴェルの管弦楽曲各種のポケットスコアは、氏の解説、校訂報告等の情報量が多く、内容も充実していて、スコアも既存の版の間違いと思われる箇所も丁寧に訂正されていて、大版で楽譜も読みやすく、大変に価値が高いです。
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シューリヒトのブラームスの2番はいいですよね。でもまたコメントが長くなり過ぎましたので(笑)、この曲については、下手でも自分で演奏に参加した思い出が最高なので、それに匹敵するCDは無いということで、今朝はお茶を濁しておきます。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>右寄りの論調に傾きすぎた日の翌日は意識的に左寄りのコメントを書いたりしているのですが、そういう行為自体、ブラームス的だなあと、いつも自覚しています(笑)
なるほど、「常識人としてのバランス感覚」ですか!おっしゃるとおりです。
>もっと理性を捨てて徹底的に一方向に突っ走るべきかと・・・。
うーん、それは怖いですよね。僕もそういう傾向ありますね。要はビビリなんです(笑)。
>ちょっと思考の質を変えるべき時期かも、です。
あー、確かに。音楽講座などで初心者にわかりやすくといつも考えてきたので、恋愛などの下世話な話(?)を中心に掘り下げる癖がついてしまってたのかもです。
>彼の音楽を語る上で肝心な「フロレスタン」と「オイゼビウス」のことなどについて
そう、このあたりはシューマンを理解する上で避けて通れないですよね。僕はシューマンについては疎いので、シューマン通の雅之さんにぜひいろいろと教えていただきたいと思っております。
>オレンシュタイン氏校訂の、オイレンブルク版 ラヴェルの管弦楽曲各種のポケットスコアは、氏の解説、校訂報告等の情報量が多く、内容も充実していて
これは良い情報をありがとうございます。いくつか仕入れて見てみます。

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