フルトヴェングラー、バイロイトの第9(新発見マスター使用盤)が発売された。
タワーレコードで偶然かかっていた音を聴いてぶっ飛んだ。
僕がこれまで聴いていたのは、東芝EMI初期盤(CC35-3165)と同じく東芝EMIの擬似ステレオ盤(TOCE-3007)の2種。あまりにも音が鮮明でかつ力があり彫が深い。とても50年以上前の録音とは思えない。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー。
いわずとしれた20世紀最大の巨匠。ベートーヴェン演奏に関しては間違いなく他の誰の追随も許さない唯一絶対の指揮者(だと勝手に思っている)。彼の場合、録音芸術なるものを信じていなかったこと(つまり録音嫌いだった)と、やっとステレオ録音が商業化され始めた頃(1954年)に亡くなってしまったことから所謂「優秀な音質の」音盤は残されていない。しかしながら、高校生時代初めて聴いた「田園」交響曲にすっかりはまってしまい、以来ほとんどのスタジオ録音、ライブ録音を聴き漁ってきた。最近こそ滅多に聴くことはなくなったが・・・。
ところで、本盤は戦後バイロイト音楽祭が再開された記念のコンサートの実況録音である。発売以来最高の第9交響曲として一般に認知されてきた至高の名盤である。
日本では年末になると相変わらずあちらこちらで「第9」が聴かれる。アマチュア合唱団に入り、毎年第9を歌うという知人もいるくらいポピュラーな音楽である。しかしながら、そうそう頻繁に聴く音楽でもないように僕には思える。内容は非常に重い。表面的に捉えれば人類賛歌である。しかし、晩年のベートーヴェンの境地といえば果たして凡人に理解できるものだっただろうか。耳が聴こえない「無音」の世界でベートーヴェンが「意識」したことは本当に人類賛歌だったのだろうか。むしろ未来の人類に対するある意味では警告であったのかもしれないと、フルトヴェングラーのバイロイト盤を聴いてしみじみと感じるのである。生易しい音楽ではない。それゆえほとんど聴かない。最後に聴いたのは朝比奈隆指揮大阪フィルの東京定期(1998年)だったろうか。。。。
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[…] となっては・・・。 当時EMIがフルトヴェングラーの第9をリリースするにあたり、1951年のバイロイトの演奏と1954年のルツェルンのものを比較、結果的に51年のものを採用したことがよく理 […]
[…] ろというのが一般的見解。予備マスターのデジタルコピーを原盤としたいわゆる「オタケン盤」(TKC-309)は、この足音入りのものだが、冒頭指揮者の登場シーンはやっぱり不自然極まり […]