マタチッチのブルックナー第3交響曲

とある研修に参加した。何だか盲点を突かれた。
よく考えると当たり前のことなのだが、「ありのままの自分」というのは幼少期の、すなわち物心がつき始めた頃の自分というものに最も近いものだということに今更ながら気づいた。天真爛漫で、感じるままに言葉を発し、生きていたあの頃。
人は成長するにつれ環境や経験から様々を学び、いわゆる「性格」というものを決定づけてゆく。そういう物差しの中で自身を測れば、やはり後天的に学習した自分を「等身大の自分」だと思いがちになる。そんなことはとっくにわかっていたと思っていたけれど、灯台下暗しというのか、自分のことには誰しも疎い。
しかも、「ありのまま」だからといって勝手気ままになるということではない。社会にはルールがあり、他人との関係がある。つまり、人と人との「正しい」つながりがある中でしか、真の「個性」は活きず、ということは「ありのままの自分」を表現することは難しいということだ。

傑出した芸術家は時に変人扱いされる。本来は社会との関係の中で「ユニークさ」を発揮してゆくべきなのだろうが、そういう天才はもはや他人とのつながりを無意識に拒絶する場合が多いのか・・・。あまりに自分勝手で、あまりに傲慢で・・・。生きたその時代には決して認められず、後世になってその作品の真価が認められ、ようやく社会的地位を得る。たとえ存命中に名声や地位を得たとしても何かが欠ける。「天は二物を与えず」というがその通りなのかも。

ところで、ワーグナーは人間的に最悪の男だったらしい。その芸術も現代ですら賛否両論。「毒」にはまってワグネリアンになる輩がいるかと思えば、もはや生理的に受け付けないという輩もいる(同時代のニーチェなどはその両方を短い間に体験した)。であるなら、他人とうまくやっていけなかったワーグナーの音楽は「個性的」でないのか?僕が思うに、少なくともコージマとの間には深い(正しい?)「つながり」が間違いなくあっただろうからそうではない。

同じく変人であっただろうアントン・ブルックナーの場合はどうか?
この人にはそういった深い(正しい?)「つながり」を持てる誰かがいなかった。だから、「個性」をユニークと捉えられず、他人の意見の言いなりになった。
ちなみに、ワーグナーがバイロイト祝祭劇場建設中で忙しかった頃、ブルックナーはワーグナー宅を訪れ、第2交響曲と作曲途中の第3交響曲を見せ、献呈の受け入れを請うた。結果、ワーグナーが選択したのは第3番の方。
しかしながら、この交響曲は実際に初演されるまでには時間がかかった。指揮者からの幾度もの拒絶とそのたびの改訂と。やっぱりブルックナーはこの時も振り回された。彼の音楽が最終的に一般大衆に「認められる」のは没後何十年も経てから。
芸術家がその時代に名声を得る方法というのは神と深くつながることと愛する誰かと深くつながることの両方が適えられねばならないということか。

マタチッチ晩年のロイヤル・アルバート・ホールでの実演記録。「プロムス」での一コマ。

ブルックナー:交響曲第3番ニ短調(1877年版)
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮フィルハーモニア管弦楽団(1983.7.23Live)

ブルックナーの交響曲は面白い。作曲者が周囲の意見を聞いて改訂に改訂を重ねるがゆえ版がいくつもある。例えば編曲によりオーケストレーションが変わったり、大幅なカットがあったり、傍若無人なものも相当あるが、僕が思うに、どの版を選択しても通底するブルックナーの「個性」には一切の傷つきがない(それは誰が何と言おうと・・・笑)。楽譜の異同の詳細を云々するのは避けるが、マタチッチが演奏するこの版も相当の「いじり」があるように思う。テンポの動き、楽器のバランスの変化等、聴いていて目くるめく色彩豊かな、それでいて重心の低い、安定感のあるブルックナーの世界に思わず引き摺り込まれる。いかにもマタチッチ節炸裂。

そういえばマタチッチも相当な変人だったらしいが(不器用という意味でも)、夫人をはじめ、周囲との関係は極めて良好だったようだからやっぱり彼の場合も「個性豊か」ということになるか・・・。


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