
「魔笛」は間違いなく預言オペラであると思う。
第1幕は、現代の不穏な世の中を表し、第2幕は一転、世界を歓喜に導く人類の覚醒をひも解く鍵が描かれる。
「魔笛」の台本を理解するうえで最も重要な条りは、第2幕で夜の女王がパミーナに語ってきかせる物語である。この条りがしばしば上演カットされるということは、この作品が一般に理解されていないことを裏づけている。
~ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳「魔笛—秘教オペラ」(白水社)P110
ジャック・シャイエは「魔笛」を秘教オペラとし、そう書くが、おそらくしばしばの上演カットは、偶然を装った天の意思であるように見える。真意を包み隠す秘宝がここに刻印されることは間違いない。
第2幕第8場の、夜の女王のパミーナへの語り。
この国の支配者であられたお前のお父さまは、イシスの神に仕える人びとのために7つの光輪をつけた《太陽》をみずからすすんでお捨てになったのです。今では、他のおかたがその権力を象徴する太陽の紋章を胸につけておいでです。そのおかたこそザラストロです。お父さまがお亡くなりになる少し前に、私はそのことでお父さまを咎めたことがありました。するとお父さまは、厳しい口調で次のようにおっしゃったのです―「妻よ、わしはまもなく死ぬ。わし個人の所有になる財宝は全部、お前とお前の娘にくれて遣る」。—「では、宇宙を包囲し、それをみずからの光線で貫いている《太陽の輪》は、どなたにお遺しになるのですか?」と私はいそいでたずねました。するとお父さまのお答えはこうでした―「それは神に仕える男たち(入信者たち)だけにあたえてもらいたい。これからはザラストロがその雄々しい守護者となるだろう、ちょうどこれまでわしがそうであったように。もうこれ以上きかないでくれ。こういうことは、お前ごとき女の才知のうかがい知るところではないのだ。お前の務めは、娘ともども、神に仕える賢明な男たちの導きにすっかり身を委ねることだ」。
~同上書P110
現代の覚醒は、どちらかというと女性性から発せられるもの(すなわち縦のエネルギーから横のエネルギーへの変転)だと僕は思う。その点で、パミーナの父の言葉は男性優位的な意味として捉えられてしまうかもしれないが、あくまで身を委ねるのは女性である夜の女王を指していることが明確であり、そこにこそ重要な示唆があることを知らねばならない。
徹底的に外面を磨かれた、それゆえに人間的要素が削がれた、文字通り秘教音楽。晩年のカラヤンの方法が、モーツァルトの隠された意図を抉り出す。
現代楽器の、あくまで大オーケストラによる「魔笛」は、序曲から聴く者の感性を煽る。「洗練」という言葉がおそらく正しい、カラヤン流の流麗な音が心に優しい。全編を通して一切の乱れなく、ひたすらモーツァルトの孤高の、須高な世界が見事に描かれる。
第2幕が俄然美しい。
第20場「僧侶たちの合唱」の神々しさ。
やがて気高い若者は新しい生命を感じ、
やがて彼は身を捧げてわれわれに仕える。
彼の精神は大胆であり、彼の心は清純である。
やがて彼もわれわれに価するものとなろう。
~「名作オペラブックス5 モーツァルト 魔笛」(音楽之友社)P157
若者タミーノが煌びやかな日本の狩衣をまとっているのがミソ(覚醒は日本から始まることの暗示か)。
最高なるは最終場、夜の女王(カーリン・オット)と3人の侍女(アンナ・トモワ=シントウ、アグネス・バルツァ、ハンナ・シュヴァルツ)、そしてモノスタートス(ハインツ・クルーゼ)による闇の対話から舞台が変転してのジョゼ・ヴァン・ダムによるザラストロの勝利の凱歌。
太陽の光は夜を追いはらい、
偽善者の不正な力を打ち滅ぼした。
~同上書P185
続く、僧侶たちの合唱!
汝ら浄められた人たちよ、ばんざい!
汝らは夜を押しのけた。
オシリスの神よ、汝に感謝する、
イシスの神よ、汝に感謝する!
強いものが勝ち、
むくいとして、
美と叡智には
永遠の王冠が飾られる。
~同上書P185
強いて言うなら、シカネーダーの台本はその時点で西洋二元論的立場を克服できていない点が弱い。すべてを一に包括する東洋的視点に立てと黄泉の国からモーツァルト(の音楽)が叫ぶ。