ホメオパシー、シベリウス

sibelius_3_segerstam.jpgホメオパシーについてここ数年勉強し、今後ホメオパスとして活動していこうと考えている友人にホメオパシー概念の大枠を教えてもらった。別件で来宅いただいた際に、お茶を飲みながら30分ほど語っただけなので、僕がホメオパシーのことをどれだけ理解したかあまり自信がないが、「病気など問題を引き起こすものはその問題を取り除ける性質を本来持っており」、「その問題を引き起こす物質と極めて近い物質を最小限まで薄めて(微小なエネルギー体にまで分解するということか・・・)処方することで症状を緩和させたり、治すことができる」というものらしい。しかも、驚きなのは一度処方するだけで、医者のように継続的に掛かりつける必要がないのだという。一旦細胞に記憶させることで自己治癒力が向上し、本来あるべきバランスに戻っていけるというわけだから人間のもつ潜在的なパワーというのはやっぱり大したものである。

久しぶりにセーゲルスタムのシベリウスを聴きたくなった。

シベリウス:交響曲第3番ハ長調作品52
レイフ・セーゲルスタム指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

最小限まで薄めて自らに処方し、シベリウスが本来のシベリウスに戻った瞬間を記録するかのような音楽。
20世紀初頭、ヘルシンキという都会の喧騒の中で酒池肉林の生活に耽溺し、心身ともに疲弊、創作活動までが停滞するという危機に瀕していたシベリウスは、1904年、カルペラン男爵の忠告により郊外のヤルヴェンパーの田園地帯に移り住んだ。そして、心身のリフレッシュを図り、創作意欲も戻ったことで、生まれたのがこの第3交響曲。捨てるべきものを捨て、よりシンプルな生活に向かっていった作曲者の意識は、自ずと自己の内面に向けられることになり、以降シベリウスの創作活動は、簡潔な書法で、より凝縮された厳粛な様式に移行していく。まさに同じ時期、オーストリアのウィーンではグスタフ・マーラーが巨大な交響曲を書いていたことを考えると、対極の方向で、シベリウスは自分自身を曝け出し、「自己治癒」を促すような音楽を創造し始めたのだと考えても良い。

作曲者の心の内側、そして自分自身の眼に映るヤルヴェンパーの田園風景の両側面を精密に表現する演奏は、名盤の誉れ高いベルグルンド盤でもなければ、有名なヴァンスカ盤、あるいはヤルヴィ盤でもない。まさにセーゲルスタムが手兵ヘルシンキ・フィルと共に機を熟して為したこの偉業こそがその最右翼に位置するものだと近頃の僕は感ずるのである。願わくば、いつの日かこのコンビの実演でシベリウスの交響曲を聴いてみたい。

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