本日の「早わかりクラシック音楽講座」で採り上げたのは、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』。特に、標題音楽の場合、その音楽が創造された背景を念入りに把握・理解すると同時に、なるべくモチーフをしっかり覚え、意識しながら聴くと、一層音楽がわかりやすくなる。何も考えず、絶対音楽としてただ聴くことに集中してもいっこうに構わないのだが、やっぱりその「音」の裏に潜む「想い」や「思考」をわかった上で享受するのとそうでないのとでは理解に雲泥の差がある。
もともとシュトラウスが触発されたのはフリードリヒ・ニーチェの同名の哲学書。どこからどう読んでみてもそう簡単には理解できない難解な代物である。解説書の類から、辛うじて「永劫回帰」という言葉と「超人」という概念がこの書物の中で語られていることを知る。この概念に関しては、ニーチェ自身も最終的に精神病に仆れたゆえ、結論に至っていないようだが、その意味をじっくりと探り、頭の中で反芻しながら噛み砕いていく中で、少しばかりだが理解できた(ような気がした)。結局、哲学も宗教も、そして心理学も、人間の「心」を扱う学問の目指すところは同じなんだと思った次第。
例えば、ニーチェのいう「超人」とは・・・、要は他者の目を気にして、受身的に人と同じような行動をとろうとする一般大衆に比べ、「ぶれない自分軸」で、自らの意思でもって何事も行動できる人間のことを指しているのだろう。セミナーでもことあるごとに言及するが、とにかく現代人は他者と比べる意識が強すぎて、「自分らしさ」を失くしている。自分がユニークな存在であり、世の中のために何ができるのか?何をするために生まれてきたのかを客観的に、かつ冷静に内省することが大切だ。
そして、「永劫回帰」。ニーチェは、仏教でいう「輪廻転生」とはまた違った考え方を呈した。今まで生きてきた自身の「生」、すなわち過去も現在も、そして未来も、ビデオ・テープをリピートするようにそっくりそのまま繰り返されるものだとするなら、何も怖いものはなくなるだろうと。過去のプラス体験もマイナス体験も、あるいはそういう自分自身の全てをひっくるめて「すべてOK」と思えたとき、過去への復讐心も消え、将来に対する不安も消えるのだというのである。
なるほど・・・、難しい言葉で語られるとさっぱり意味不明だが、噛み砕き、「口語」に翻訳することでやっと理解できる。人はひとりひとりもともとは「ユニーク」な存在なのである。他人と同じでなくとも、自分らしく生き、世のために人のために奉仕できているならそれがベストなのである。
考えを巡らすうち、e.e.カミングスの次の言葉を思い出した。
「あなたをみんなと同じにしてしまおうと日夜励む世の中で、自分以外の何者にもなるまいとするのは人間のでき得る闘争の中で最も厳しい闘いだ。そして、その闘いをやめてはならない」
R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30
ミシェル・シュヴァルベ(ヴァイオリン)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1973)
講座ではトーマス・ブランディスがソロ・ヴァイオリンを務める1983年盤を元ネタに進めようと考えていたが、直前に考えが変わった。マスタリングそのものの問題もあるのかもしれないが、少なくとも僕の装置では73年盤に圧倒的に分があった。音の鮮度といい、音楽の流れといい、この73年盤に一日の長があるように僕には感じられたゆえ、メインCDにはこちらを使ったのである。それにしてもカラヤンのテンポ感、音感は定評どおり。ちょうど10年の間隔があるものの、音楽作りの基本ラインはほとんど変わらず、それどころかタイミングまでもほぼ同じ(あってもほとんど数秒程度の差しか見られない)ところが凄い。本日はカラヤンの新旧両盤で2回この音楽を聴いたが、やっぱり興奮を呼び起こす名曲である。初めて聴くという参加者も多かったが、喜んでもらえたようで良かった。
講座の終了後、またいつものように「懇親会」と称して盛り上がったが、途中オルガン好きだという輩のためにサン=サーンスの交響曲第3番を流したり、あるいはクラシック音楽以外で何かとリクエストされ、いきなりディープ・パープルの「ライブ・イン・ジャパン」をかけてみたり、と支離滅裂の選曲ながら、一貫して「好き」な音楽を流し続けた。
音楽のもつ力は素晴らしい!
おはようございます。
『ツァラトゥストラ』、ニーチェの同名の哲学書の岡本さんの解説、わかりやすいです。
私が『ツァラトゥストラ』の実演で最も忘れられないの思い出は、比較的最近の昨年1月26日、記録的豪雪の中、仕事で出張の合間に「札幌コンサートホールKitara」で聴いた、第505回札幌交響楽団定期演奏会(高関健 指揮)でした。
http://web.city.sapporo.jp/feature/sakkyoclub/08_01.html
この日のコンサートについての忘れられない思い出は、ここで語ると長くなり場違いなので止めますが、『ツァラトゥストラ』も、実演体験が不可欠な曲だと強く思いました。
ところで私は、この曲の導入部、「ターターター、パッパーン・・・」(普通はそう聞こえる)が、カラヤン盤だけ「ターターター、パパーン・・・」と聞こえるのが、大昔の高校時代からの謎でしたが、2年ほど前、北海道発のクラシック音楽マガジン「季刊ゴーシュ」
http://homepage2.nifty.com/classic-hokkaido/
2006秋 第7号の中の、札響チェロ奏者 荒木 均 さんの連載記事「札響3ちぇんねる”クラヲタへの道”」で、高関健氏のカラヤンのアシスタント時代の話を知って目から鱗でした。とても勉強になりましたので、その部分のみご紹介・引用します。
・・・・・・ほんでな、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラ」をカラヤンが練習しとった時のことや、最初のトランペット に続くパパーンいう和音 は16分音符で書いてあるんやけど、カラヤンが「そこは32分音符で 弾いてんか !」と叫ぶんや。しはると当然オケからは「せやけどオリジナルは16分音符でっせ?」と確認が来るワケや。ほんでカラヤンが「そこ32分音符でたのむわ。シュトラウスのオッサンがそう演奏しとったんや」とはっきり言いはる。ほんで自作自演のレコードを聴いてみると、ほんまに32分音符で演奏しとるがな! せなわけで、楽譜は様々な状況を認識した上で演奏せなあかん、ちう事を実地で教わることができたワケや。・・・・・・
>雅之様
おはようございます。
>「札幌コンサートホールKitara」で聴いた、第505回札幌交響楽団定期演奏会(高関健 指揮)
相当意欲的なプログラムですね。聴いてみたかったです。
>コンサートについての忘れられない思い出は、ここで語ると長くなり場違いなので止めますが
今度お会いした時にぜひお聞かせください。
カラヤンのエピソード、初めて知りましたが興味深いですね。
実は今日のブログでしつこいながらも自作自演の「ツァラトゥストラ」を採り上げようと思っていたのです。R.シュトラウスの演奏は序奏部も含め解釈が、というか色合い、雰囲気がカラヤンに近いと思うんです。
>ほんでカラヤンが「そこ32分音符でたのむわ。シュトラウスのオッサンがそう演奏しとったんや」とはっきり言いはる。
こういう裏話があったとは!!
勉強になります。
>雅之様
ところで、上記で言及されている序奏部に関してですが、「2001年」のサントラに採用されたベーム&ベルリン・フィルの演奏も「ターターター、パパーン・・・」ですよね。
とすると、ベームやカラヤンなど作曲者の実演を目の当たりにした指揮者たち(二人以外の指揮者の解釈は聴いたことがないので不明ですが・・・)に共通の解釈なのかもしれませんね。
>「2001年」のサントラに採用されたベーム&ベルリン・フィルの演奏
その件についてなんですが、私も周りの友人も、長い間そう信じきっていたのですが、最近あちこちでこれが怪しいと言われていることを知り愕然としました。
(例 下2つは、私がこの件で非常に勉強になったサイトです)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:2001%E5%B9%B4%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E6%97%85
http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/ligeti/zara.htm
私はベームの指揮の「ツァラトゥストラ」のCDやLPを聴いたことがないので何とも言いかねますが、真相はどうなんでしょうね?
>雅之様
こんばんは。
これについては、実はカラヤン&ウィーン・フィルの演奏だという噂も耳にしていたので真相はどうなんだろうと僕も思っていましたが、ご紹介いただいた2つのサイトを総合して考えてみると、どうやらカラヤンの最初の録音のようですね(しかし、僕はカラヤン&ウィーン・フィル盤は未聴なので何ともコメントできないのですが)。
確かに映画の最後のクレジットには演奏者名が「ツァラ」だけ表記されておりません。不思議に思っておりました。一度映画とじっくり聴き合わせて検討してみたいものです。
なお、フィルムアート社刊「キューブリック全書」によると、ピンク・フロイドの「エコーズ」の件も、HALの命名の由来についても言及されており、非常に興味深いです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4845901250/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1254053202&sr=8-1
「エコーズ」に関しては映画とシンクロさせて一度実験したいと思ってましたので、近いうちにやってみます。
しかし、そのことは別にしましてもベームの演奏はカラヤンの73年版と同じオーケストラを使って演奏しているゆえ、聴き比べると面白いですね。洗練された響きのカラヤンに対して土臭い匂いを漂わせるベームの演奏はこれはこれで最高だと思います。
>雅之様
※追記です。
ご紹介いただいた2つ目のサイトに書かれていたジョン・カルショウの「レコードはまっすぐに」ですが、確か持っていた記憶があったので本棚から探し出し、該当ページを読んでみました。確かにプロデューサーであるカルショウ自身がカラヤンの演奏だと書いています。よって、「2001年」の演奏はカラヤン&ウィーン・フィルで間違いないと思います。
いろいろ貴重な情報、ありがとうございます。
この件の正確な知識はあやふやだったので、感謝しております。
やはり、カラヤン&ウィーン・フィルでしたか。
でも、確かに昔のサントラ盤にはベーム指揮ベルリン・フィルと書いてありましたよね(私は高校時代にカセット・テープ版を所有しておりました)。それが、皆が映画使用音源もベーム指揮と思い込む根拠になっていたと思います。
岡本さんはベーム&ベルリン・フィルの全曲盤をお持ちのようですが、そうするとベームもカラヤンも「ターターター、パパーン・・・」で間違いないのですね?(そうだとすると、それも皆が混同した理由ですよね、「2001年」で曲の冒頭を覚えた人は皆、「ターターター、パパーン・・・」で刷込みになっているのですから・・・笑)。
>雅之様
おはようございます。
>確かに昔のサントラ盤にはベーム指揮ベルリン・フィルと書いてありましたよね
確かに書いてました!僕はLPの時代からベーム盤を愛聴しておりましたが、それを買った理由は「2001年」に使われているという情報からだったと間違いなく記憶します。
>ベームもカラヤンも「ターターター、パパーン・・・」で間違いないのですね?
間違いないです(僕は物理的に耳があまりよくないので、近くのピアニストさんに聴かせて確認しますが)。
>「2001年」で曲の冒頭を覚えた人は皆、「ターターター、パパーン・・・」で刷込みになっているのですから
そういうことですね・・・(笑)。
[…] 頭を明晰にした状態で本を読んだり音楽を聴くと、そうでない時と比べて確かにキャッチする能力、感度が上がる。昨日のリヒャルト・シュトラウスの音楽に刺激され、何ヶ月か前に仕入れたカラヤンの最初の「ツァラトゥストラ」他のシングルレイヤーSACDを聴きたくなった。そう、冒頭部分がスタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」のテーマに使用され…あの音源である(2年ほど前、「早わかりクラシック音楽講座」でシュトラウスを題材にした際、このブログ上でも何度か件の映画を話題にし、一般的にはベーム&ベルリン・フィル盤だと信じられていたものが実際はカラヤン&ウィーン・フィル盤だったことをいくつかの文献から突き止めた時は感激した)。 […]