世の中にはいろいろな会社がある。社員が輝き、やりがいを持って仕事をし、右肩上がりの成長を続ける会社。厳しいノルマを持たされて、日々プレッシャーをかけられ、半ベソをかきながら動き続ける営業マン。辞めたいと時には思っても辞めないのには相応の理由がある。上司の厳しい言葉ひとつひとつの根底に「愛」が感じられる場合。そして、一番わかりやすいのは、成果がインセンティブに即反映されるという場合。
何やかんや言っても「お金」は大事である。働いた分、成果をあげた分だけその評価として給料に還ってくるなら人はがんばる。そういう当たり前の「しくみ」があってこその信頼関係だろう。
いわゆる「搾取」型の会社というのもまだまだ多い。上層部が利益のほとんどを独占し、従業員には一般の平均にも満たないほどの給料しか支払わないというケース。例えば、個人事業主契約で、給料はフルコミッション、成果をあげた分だけ報酬として支払うという会社。いわゆる外資系の生命保険会社などはその類だが、それにしても最初の3年間くらいは固定給があり、顧客を獲得するにつれ歩合のパーセンテージがあがっていくというモデルだから厳密には異なる。新卒の最初からいきなり完全歩合で、ほとんど休みがなく、しかも社会保険等も完備されていない、さらには交通費も出ないとなると、これは人として扱われているのかどうか甚だ疑問に感じる、そんな会社があった。
僕のところには若者が様々な相談を持ちかけてくる。転職についても多い。余計なお世話だが、上記のような会社の場合、即辞めるようアドバイスをする。普通、転職の場合「現職」の方が当然有利なのだが、そういう常識をはずしてでも新たな道を探った方が絶対に良いと思えるから。
とはいえ、人生の経験に無駄は一切ない。そういう会社で数年間文句もいわずに続けて来られた根性があるのだから、必ず次にはもっと良い、力が十分発揮できる会社があるだろう。「捨てる神あらば拾う神あり」である。
今日は暖かかった。午前中、成城ホールで開催されたNPOポジティブ心理学研究会の定期勉強会に初参加した後、用事があって「東新宿」と「牛込柳町」を往復した。まだまだ花を咲かせるきれいな桜を見ながら小1時間。ルネサンスの春、そんなようなイメージ・・・。
モンテヴェルディ:倫理的・宗教的な森
ミシェル・コルボ指揮ローザンヌ声楽アンサンブル&ローザンヌ器楽アンサンブル
若い頃、まだクラシック音楽を聴き始めた頃、こういう「辛気臭い」音楽はまったく受けつけなかった。ようやく最近、その「意味・意義」が少しずつわかるようになってきた気がする。とはいえ、6枚組全67曲、演奏時間約7時間に及ぶ作品群をそうそう安易に語れるはずもない。今日も3枚目あたりから順番にただただ流し聴きした程度。聖なる合唱の陶酔的な響きに心打たれながらブログを書く。
信頼関係を維持するには何が必要だろうか。一にも二にも嘘をつかない、誠実であること。そして、いつも初心でいられるような良い意味での緊張感を持ち続けること。
おはようございます。
>いわゆる「搾取」型の会社というのもまだまだ多い。
先日岡本さんがブラームス:ピアノ三重奏曲第3番の話題で、私の昔のコメント
http://classic.opus-3.net/blog/cat29/post-244/#comments
について触れておられたので、私もその日のことを思い出しました。
最初に書いたコメントで私は「アエラ’09.10.12号」の対談《「ふつうの幸せ」に答えはあるか 勝間和代×香山リカ 激論2時間》を大きく引用し、岡本さんは、
>僕も雅之さん同様この二人に関しては好きとはいえないですが、精神医学者というのはこういう人が多いですよね。「出たがり」云々はともかくとして「愛」が感じられないのです。
と切り捨てられ、私はその時同調したのですが、最近、元「戦後最強の外交官」及び「外務省のラスプーチン」、佐藤優さんのいくつかの発言を読んで自分の一面的なものの見方に気付き、他人を色眼鏡や先入観で観ている自分に改めて気が付き、とても恥ずかしくなり反省しました。
・・・・・・10月にマルクスの『資本論』について、経済評論家の勝間和代氏と意見交換をした。筆者には、なぜ勝間氏が新自由主義の礼賛者で、競争をあおる人物のように誤解されているのかがよくわからない。勝間氏の著作を虚心坦懐に読めばそのような誤読はできないはずである。現下資本主義体制の下で、格差を是正し、尊厳のある人間的生活をどのようにすれば現実的に獲得することができるのかを、勝間氏は自分の頭で真剣に考え、実践している。
その意味で、「勝間和代を目指さない」と主張する精神科医の香山リカ氏も新自由主義という宿痾(しゅくあ)から人間がどうやって抜け出すことができるかを自分の頭で真剣に考え、実践している。誠実で優れた知性のぶつかり合いだから香山・勝間論争は面白いのだ。
『資本論』について議論したときに勝間氏が「最近、市民社会に関心を持っている」と述べたので、参考資料としてこの本(『市民社会と社会主義』平田清明)を送った。学生時代に読んだ中で印象には残ったが、それほど強い影響は受けなかった。今回読み直してみて、国家への依存を極力減らした市民社会を強化することの重要性を再認識した。
勝間氏も香山氏も、市民社会論者という形でくくることができるのではないだろうか? この方向で考察を深めてみようと思った。・・・・・・「週刊東洋経済」2009年11月21日号 P.126~ 『知の技法 出世の作法』 佐藤優 より
また、佐藤さんの勝間さんに対する見方については、「ぼくらの頭脳の鍛え方」 (文春新書)立花 隆・佐藤 優 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A0%AD%E8%84%B3%E3%81%AE%E9%8D%9B%E3%81%88%E6%96%B9-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%AB%8B%E8%8A%B1-%E9%9A%86%E3%83%BB%E4%BD%90%E8%97%A4-%E5%84%AA/dp/4166607197/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1270589830&sr=1-1
での、立花さんとの対談も必読ですよ(立ち読み等でチェックしてみてください)。
やはり、気付き、謙虚に反省し、都度正しいと思う方向に軌道修正する、つまり良い意味で「ぶれる」って、人間にとって最も大切なことのひとつだと確信しました。佐藤さんや勝間さんや香山さんは、私の意見とはまた異なりますが、皆傾聴に値するのは事実です。
「みんな悩んで大きくなった」
ご紹介の「倫理的・宗教的な森」、「辛気臭い」プラス「抹香臭い」という感じです(笑)。この私の先入観についても、「気付き、謙虚に反省し、都度正しいと思う方向に軌道修正する」ことが必要です。
私は、コンラート・ユングヘーネル&カントゥス・ケルン、コンチェルト・パラティーノの全曲3枚組のCDを持っています。こちらの方がコルボ盤より研究が行き届いていて、完璧な作品の全体像を示しているようです。但し、苦手意識に加え聴き込む時間が持てず、「積読」状態です。反省しております。
倫理的、宗教的な森(完全版) ユングヘーネル&カントゥス・ケルン
http://www.hmv.co.jp/product/detail/107407
HMVサイトです。
>雅之様
こんばんは。
貴重なコメントをありがとうございます。
確かに「一刀両断」という切り捨て方は反省ですね。
360度の観点でものを見る、あるいは言うというのは口では何とでも言えますが、実践は難しいですね。
実際には、音楽を缶詰で聴くのと実演で触れるのと同じくらい、著者の本だけで判断するかあるいは直接会って話をするか違うものだと思います。反省します。
ご紹介の本もチェックさせていただきます。
>「気付き、謙虚に反省し、都度正しいと思う方向に軌道修正する」
大事ですね、肝に銘じます。
>こちらの方がコルボ盤より研究が行き届いていて、完璧な作品の全体像を示しているようです。
なるほど、僕も勉強不足ですのであわせて聴き込みたいと思います。
いろいろとありがとうございます。