父と娘

faure_piano_quartet_hubeau.jpgまもなく30歳を迎えるkisaraちゃんが自ら誕生を祝う会を企画するというので拙宅を開放し、10数名が集まってのバースデー・パーティーとなった。彼女のこれまでの人生の節目で出逢ってきた仲間が一同に会し、それぞれがそれぞれの想いを語りながら時は流れてゆく。本日の会の圧巻は、何といってもフィリピンから一時帰国されているという彼女のお父上が急遽この会に参加されたことだろう。人生山あり谷あり、彼女との1年半前の出逢い以降、ワークショップZEROをご受講いただき、今に至るまで随所で話を聴き、幼少の頃からの体験や生き様から一筋縄ではいかないような大変な人生を送ってきたことを僕は垣間見てきた。それでも彼女が絆の深い友人諸氏に恵まれているのは明らかで、人間が人間を作り、そして多くの人のサポートを得てこそ人間は安定、成長するんだということを実感させられたひとときでもあった。特に、「父と娘が同じ空間を共にし、娘がその場に居合わせる皆に想いを伝える」ことで父子の間にも目に見えない何かが起こっているのだろうという事実を目の当たりにするに及び、いよいよ「人間力」の根底に流れるものが親子関係であり、家族関係をいかにスムーズに構築するかが「人間力向上」の大いなる鍵だということを確信した。

人にはそれぞれ事情がある。そこには拠所ない理由もあることだろう。過去に起こったこと、あるいは経験したことを消すことはできない。しかし、なぜそういうことが起こったのか、またはその時自分はどんな感情を持っていたのかなどを振り返り、思い起こし、どっぷり浸り、受容することは可能なはずだ。大人になり、やっとそういうことができるような時期に達した時、わだかまりの全てが溶解し、人と人のつながりを強固なものにする突破口が開かれる。

当初、彼女は父親をこの会に招ぶつもりはなかったという。僕はそれを聞いて、偶然にもこのタイミングで帰国している父を招び、誕生会を祝う席に同席することで何かこの親子の間の「関係」に変化が起こるのではないかと直感した。彼女の生き方すらをも変える何かが起こるのではないかと期待もした。実際のところはわからない。それでも、今日のこの一瞬が彼女の人生の大きな転機となりうるならそれは素晴らしいことではないか・・・。

真夜中にガブリエル・フォーレの四重奏曲を聴きながら、一日を回想する。

フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番ハ短調作品15&第2番ト短調作品45
ジャン・ユボー(ピアノ)
レイモン・ガロワ=モンブラン(ヴァイオリン)
コレット・ルキアン(ヴィオラ)
アンドレ・ナヴァラ(チェロ)

フォーレの室内楽を聴くとどうしても連想してしまうのがマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」。そう、あの文庫本13巻にも及ぶ圧倒的大河小説・・・。紅茶に浸したマドレーヌを口にしたことで、過去の記憶が走馬灯のように蘇り、物語が始まるという冒頭のあの有名なシーン・・・。人間の記憶というのは面白い。ふとした出来事から思いも寄らない過去の記憶が噴出する。

プルーストの文章はフォーレの音楽を髣髴とさせる。この天下の名盤こそプルーストに相応しい。

この小説、一度は読破したものの、ただ読み流したといっても良いような雑な読み方で、途中から迷路に入り込み、完全に把握したとはいえない。いつのことになるかは不明だが、折を見て再度挑戦してみようと思っている。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。
今回の内容とは関係無い話題で恐縮です。
今朝、中川昭一氏のローマでの朦朧会見事件当時のブログ本文を改めて読み返してみて、私と違い岡本さんの人間を観る目が温かいことにとても感心しました。
http://classic.opus-3.net/blog/cat29/post-62/
この事件、対照的に私は皮肉たっぷりで冷ややかでしたから・・・。
http://classic.opus-3.net/blog/cat29/post-61/#comments
「レコード芸術」10月号の、「寺島靖国の武蔵野オーディオ日録」(P301)も、選挙落選直後の中川氏のことを取り上げていましたが、寺島氏も岡本さん同様人を観る目が温かい。
・・・・・・テレビを見ていたら落ちた議員の中川昭一がメシを食っていた。議員というのはどんなものを食うのかと思ったらサンマである。黙っているのもどうかと考えたらしく「今の季節はやっぱりサンマだねぇ」などとモソモソ言っている。それにムリがあって可笑しかった。憎めない男である。私は好感を持っている。色男ぶりもいいし、品があって政治屋という感じがしない。
酔っぱらいぐせぐらい可愛いものである。
近頃少し本格的に酒を飲み出して酒飲みの気持ちをわかり出した私だが、ああいうトロンとした酔い方はユーモアがあって悪くない。
日本国民は正義の味方、黄金バット(古いね)だからローマの酔っぱらい会見をここぞとばかり叩いた。水に落ちた犬に石を投げる塩梅で。
世界の人々は、日本にもオモロイ人物がいるじゃないか。朴念仁ばっかりじゃないんだ。気に入ったぞなどと日本人を見直すんじゃないか。ああいう人物は政界に置いておいていい。・・・・・・
>人にはそれぞれ事情がある。そこには拠所ない理由もあることだろう。過去に起こったこと、あるいは経験したことを消すことはできない。しかし、なぜそういうことが起こったのか、またはその時自分はどんな感情を持っていたのかなどを振り返り、思い起こし、どっぷり浸り、受容することは可能なはずだ。
亡くなってから、過去の記憶を美化し、あの人本当はいい人だったなどとは誰でも言えます。その人が生きている間に、リアルタイムで他人を理解、受容できないことが多い私は、まだまだまるで修行が足りないと自覚させられました。岡本さんのブログには、気づき学ぶことばかりです。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
お褒めの言葉をいただきありがとうございます、と言いたいところですが、僕もまだまだですね。「言うは易し」です。こうやってブログに書くのも自分に言い聞かせるという意味合いもありますし・・・。
ただ、どんな人にも事情はあるんだということをいつも肝に銘じるようにはしています。
>その人が生きている間に、リアルタイムで他人を理解、受容できないことが多い私は、まだまだまるで修行が足りないと自覚させられました。
とんでもございません。何度かお会いさせていただいておりますが、雅之さんほど温かみのある方、他人のことを心底考えられる方はそうそういませんよ。こちらこそいつも感謝いたしております。今後ともよろしくお願いします。

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