加藤和彦氏が突然亡くなった。いつだったかサディスティック・ミカ・バンドが再結成されるということで巷間期待の噂で盛り上がっていた頃、初めてその名前を意識したと記憶する。
ただし、よくよく考えてみると、実は僕がまだ小学校にも上がらない3歳だか4歳の時、そう保育園の年中だったか年少だったと思うが、もう名前も思い出せない近所の一つ上の先輩(といっても子どもだが・・・笑)が、当時一世を風靡したザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」のEP盤を保育園に持ってきており、先生にポータブル・プレーヤーでその音楽をかけてもらい、皆でわいわいがやがやと踊りながらだったか聴いて楽しんでいたことがあったことを思い出した。もちろん4歳の子どもに詩の内容など明確に認識できるはずはない。大人になってからFMで放送されたのを聴くに及んで、やっと歌われた内容を知り、しかもその曲中にはビートルズの「A Hard Day’s Night」やベートーヴェンの「エリーゼのために」がパロディ的に使用されることもあわせて知り、何てセンス満点の楽曲なんだろうと感心したことまで思い出してしまった。すべて良い思い出である。
ともかく、わずかながら同時代を生き、オンタイムで聴けた(明確に覚えているのだからそう言って良いだろう)、加藤和彦、北山修、そしてはしだのりひこによる不世出のバンド、いわゆるフォークルの音楽はどれも高度成長時代、60年代ニッポンの象徴であり、2009年の今でも決して色褪せない「力」をもつものだと、久しぶりにコンピレーション・アルバムを取り出して聴いてみて感じた。サイコーである。
(『帰って来たヨッパライ』作詞:ザ・フォーク・パロディ・ギャング)
死んだヨッパライは神様にも見捨てられ、結局生き返る。自殺だという加藤氏も生き返るつもりなのか・・・、生き返れると思ったのか・・・。それとも・・・。
1960年代後半の光景はいくつも覚えている。子どもの記憶ゆえあくまで「点」ではあるが。中でも保育園の思い出は多い。書き出したらキリがないほど鮮明なのである。当時のテレビ番組の影響からか「キイハンターごっこ」が子どもの間で流行っていた。懐かしい(ちなみにもうひとつ、その頃のテレビの記憶で忘れられないのが、眠い目をこすり観ていた「巨泉×前武ゲバゲバ90分」。20時頃からスタートする番組だったから最後まで見せてもらえなかったのだが・・・)。
こんばんは。
岡本さんのブログは懐かしい話ばかりで付き合いきれません!(爆発)
もう我慢できません!こうなったら参考書を頼りに、私達だけでタイムマシンを作りましょう!
参考書 「タイムマシンをつくろう!」P.C.W. デイヴィス (著), 林 一 (訳) (草思社)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4794212232/ref=cm_rdp_product
時間監視局に目を付けられると危険なので、計画は秘密裏に慎重に・・・。
加藤和彦さんの訃報、寂しいです。
「帰って来たヨッパライ」、懐かし過ぎます!
「あの素晴らしい愛をもう一度」は、中三の息子も学校で歌わされ好きになった曲だと言っていましたが、我々の子供時代は、遠足の道中の観光バスの中などでも、カラオケ無しのマイクだけで、よくこうしたヒット曲を歌ったものです。
通勤途中に読んでいた「無人島レコード: 2: レコードコレクターズ増刊 」
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1204130
を職場に置き忘れてきました。
生前の加藤和彦さんが、無人島に持って行きたかったレコードは何だったか、思い出せません。気になります。確認して、またご報告いたします。
>雅之様
こんばんは。
>岡本さんのブログは懐かしい話ばかりで付き合いきれません!
失礼しました(笑)。今日はこういうブログを書くつもりでは毛頭なかったのですが、加藤氏の訃報を聞いて、思わずいろいろなことを思い出し、ついつい「懐かしい」シリーズになってしまいました。ご容赦ください。
>私達だけでタイムマシンを作りましょう!
よぉし、やりましょう!!(笑)
「あの素晴らしい愛をもう一度」も良い曲ですよね。そうそう、学校の合唱なんかでよく歌いますね。僕の頃も歌った記憶があります。
レコードコレクターズの増刊シリーズは一時期好きで買って読んでましたが・・・、残念ながらこの本は所有しておりません。
ぜひ加藤和彦氏の推薦盤知りたいので教えてください。よろしくお願いします。
こんにちは。
「’78年に伊勢丹のCMソングを歌う歌手を探していらっしゃたトノバン(加藤和彦さん)と、ある日スタジオのエレベーター前で偶然出会った私が、デビュー曲としてこれを歌うことになったといういきさつは、今考えても運命の不思議としか言いようがありません。訳詞家時代から好きだった安井かずみさんと、フォークル時代からずっと聴いていた加藤さんのコンビによる楽曲でデビューできた自分の幸運を、30年たった今あらためて感じています」
これは、竹内まりやのアルバム『Expressions』
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2766333
より、デビュー曲「戻っておいで・私の時間」についての竹内まりや自身による曲目解説です。この曲をはじめ、「ドリーム・オブ・ユー ~レモンライムの青い風」や「不思議なピーチパイ 」など、彼女の初期のヒット曲に加藤和彦さんが曲を提供していますよね。私が加藤さんの曲で一番愛着があるのも、実はこのあたりかもしれません。
生前の加藤和彦さんが、無人島に持って行きたかったレコード、確認しました。『ウッドストック』などいろいろ悩まれたあげく選ばれていたのは、オリジナルメンバー+木村カエラをフィーチャリング・ヴォーカルに向かえ17年ぶりに再結成されたサディスティック・ミカ・バンドの『Narkissos 』でした。相当な自信作だったようです。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1244286
私はこのアルバム未聴ですが、それにしてもこの参加アーティストの錚錚たる顔ぶれは凄過ぎます!! 聴いてみたくなりました。
アルバムの中の「タイムマシンにおねがい (2006 Version)」は、当時からよくTV・CMやFMでよくかかっていて知っていましたが、一曲目の「Big-Bang, Bang(愛的相対性理論)」なども面白そうです(タイトルが・・・笑)。
タイムマシンにおねがい!!、 戻っておいで・私の時間!!!
>雅之様
こんばんは。
竹内まりやも加藤さんに出会わなかったらどうなっていたことでしょうね。それにしても初期のまりやの楽曲、特に「不思議なピーチパイ」や「レモンライムの青い風」!!など懐かしさでいっぱいです。そうでした、これらも加藤和彦作曲の名曲ですね。
>サディスティック・ミカ・バンドの『Narkissos 』
このアルバムは残念ながら僕も未聴です。こうなるとぜひとも聴きたいですね。
ところで、加藤和彦氏は最近、思うように音楽を創造できない自分に悩み、鬱になっていたようですね。うーん、やっぱり天才は自分の能力の低下を許容できない「弱さ」があるものなんですね(それがまた創造力に結びつくのですが)。凡人の僕などは「できない」とき、いつも「まぁ、いっか・・・」と思ってしまいます(苦笑)。
誰でもスランプの時はあるのだから、その壁を乗り越えていただきたかったなと思ったりしてしまいます。
>加藤和彦氏は最近、思うように音楽を創造できない自分に悩み、鬱になっていたようですね。
>やっぱり天才は自分の能力の低下を許容できない「弱さ」があるものなんですね
加藤さんは、もう62歳ですからね。老いによる創作力の衰えと周囲の期待へのギャップに苦しんだ末の、一般人とは違う芸術家としての美学を優先したのかもしれませんね。
私など、すべての作曲家の人生の中で一番羨ましいのはシベリウスですな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9
創作力が衰えた60歳以降91歳で亡くなるまで、作曲の筆を折りフィンランドの自然豊かな「アイノラ」でひたすら優雅な年金生活。けっこう社交好きの人でもあったようですが、実にいい人生ですねぇ!! 私には、こんな余裕のある人生、100%無理ですな。多分死ぬまで「貧乏暇なし」ですわ(苦笑)。
でも、加藤さんだったら、シベリウスに近い選択の道もあったのではないでしょうか?
>雅之様
こんばんは。
>すべての作曲家の人生の中で一番羨ましいのはシベリウスですな。
いいですねぇ、シベリウスの生き方は。理想です。
>加藤さんだったら、シベリウスに近い選択の道もあったのではないでしょうか?
同感です。隠居してゆっくり余生を送りながら時に秀作を生み出すという生き方でもよかったろうにと思えてなりません。
加藤和彦氏自殺の報を聞きまして、9年前の2000年5月30日、グループサウンズでレコード大賞まで受賞したジャッキー吉川とブルーコメッツのメンバーで、作曲家だった井上忠夫氏の自殺を思い出しました。ともに日本のポップス界の大物だった人でした。
どちらも鬱病がちだったといいます。もっとも、井上さんの場合、奥さんが病気がちだったこともあったため、なおのことだったでしょうか。井上さんの奥さんも自殺したそうです。こちらの方がかなり悲劇だったかもしれませんが。
ザ・フォーククルセイダースはグループサウンズ全盛期に出てきて、「帰ったきたヨッパライ」で注目を集めました。これも大変はやつたとはいえ、1年で解散したことはひとつの考え方だったかもしれません。その後、はしだのりひこ氏がシューベルツ、クライマックスを結成して活躍しましたし、きたやまおさむ氏は精神科医としても活躍、著作もあります。それぞれが個性的だったということを思うと、残念でなりませんね。
>畑山千恵子様
こんばんは。
>ジャッキー吉川とブルーコメッツのメンバーで、作曲家だった井上忠夫氏の自殺を思い出しました。
そういえば、そんなこともありましたね。もう10年近くになるのとは。ただし、残念ながらブルーコメッツに関してはいくつかの楽曲を知るのみでまったく詳しくありません。
いずれにせよ、真のアーティスト、芸術家というのは本当に繊細なんでしょうね。先日朝日新聞紙上できたやまおさむ氏が加藤氏の追悼文を書かれておりましたが、身近な友として、そして精神科医として彼のことを救ってやれなかったことを後悔するという旨の内容でした。心底悔しいでしょうね。
私は1959年生まれで、1967年当時8歳でした。その当時、グループサウンズ全盛期でしたから、テレビと言えばグループサウンズ番組が目立ちました。そして、よく見ましたし、聴きました。
そんな中で音楽ではひときわ素晴らしかったのはブルーコメッツ、スパイダースでした。どちらも大変な名手ばかりでしたし、自分たちで音楽を書きました。ことにブルーコメッツの音楽力は桁違いでした。メンバーたちには作曲力がありましたし、どれをとっても楽曲として通用するものがあって、今でも素晴らしいものがいくつかあります。
ちなみに岩崎宏美さんが「すみれ色の涙」を歌っていますが、これはブルーコメッツの曲をカヴァーしたものです。それだけ素晴らしい音楽力を持っていた人たちでした。
>畑山千恵子様
畑山様はまさにグループサウンズ世代なんですね。羨ましいです。
>ことにブルーコメッツの音楽力は桁違いでした。
なるほど、そうなんですね!
>ちなみに岩崎宏美さんが「すみれ色の涙」を歌っていますが
岩崎宏美はデビューの頃よくテレビに出てましたよね。あえて時分では聴くことがないので、残念ながらこれについても知りませんでした・・・。
[…] ※産経新聞・話の肖像画「精神科医・エッセイスト きたやまおさむ<5> 遊びで作った『ヨッパライ』」※過去記事(2009年10月17日) […]