グァルネリ四重奏団のベートーヴェン作品127&135

今年の梅雨はやけに短い・・・(笑)。まるで梅雨が明けたかのような心地良く汗ばむ天気。
すごくベートーヴェンが聴きたくなった。それも後期のカルテット。適度な湿度、適度な気温の中、爽快な調べを聴いて思った。

完全に音をなくしたベートーヴェンが聴いた音楽はどんな音楽だったのだろう・・・。
哲学的な解釈が可能、崇高で真っ白な世界などと巷ではいわれる。
でも、そんなのは後世の僕たちの勝手な「理解」なのでは?その裏には間違いなく苦悩はある。音楽を創作することで悶々とした思いが果たして解消したのか?
晩年のピアノ・ソナタも弦楽四重奏曲もいわば自身との闘いだ。数年の闘争の上、ようやく勝利を彼は得た。しかも、自分が執着したそれぞれの分野においてそれをすべて成し遂げ、ベートーヴェンは旅立っていったのだ。

1825年2月、弦楽四重奏曲第12番変ホ長調作品127完成、
1825年7月、弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132完成
1825年11月、弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品130完成、
1826年夏、弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131完成、
1826年10月、弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135完成。

1825年から26年にかけては怒涛の四重奏曲波状攻撃。楽聖の頭には4挺の弦楽器のことしかなかったのか・・・。しかも、楽章数だけをみても、作品127から順番に4、5、6、7とひとつずつ数を増やし、作品131に至って7つの楽章をアタッカでつなげ孤高の「ひとつ」の世界を現出させる。なるほど、少なくともこの期間はベートーヴェンにとって最後の挑戦だった。楽想が湯水のように湧き、同時に新機軸の方法までもがどこまでも閃く。この後はもはや・・・、原点に戻るしかなかった。いや、というか戻された。作品132で掟を「破り」、1年数ヶ月後にベートーヴェンは理想の四重奏曲に到達し、「離れた」。

後期の四重奏曲の中でオーソドックスな形を持つのは変ホ長調作品127とヘ長調作品135の2つ。もちろんベートーヴェンはその翌年に死ぬつもりはなかっただろうから作品135が最後とは思っていなかった。この後をどう続けるつもりだったのか?
僕は思う。このジャンルに関してはここで打ち止めだったはず。短い期間の中で様々なチャレンジをしてみたものの、やっぱり先達ハイドンが作り上げた形しかないのではと・・・。悟ったんだ・・・。そうなると方法はもうこれしかない。
この2つの作品に共通するのは清く澄んだ楽想と何とも言えぬ悲哀と愉悦が同居するところ。そんな性格をグァルネリは見事に音化する。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第12番変ホ長調作品127
・弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135
グァルネリ四重奏団
アーノルト・シュタインハルト(第1ヴァイオリン)
ジョン・ダレイ(第2ヴァイオリン)
マイケル・トゥリー(ヴィオラ)
デヴィッド・ソイヤー(チェロ)

グァルネリの録音を聴きながら虚飾を捨てること、原点に戻ること、首を垂れることなど、傲慢さを排除し、ただあるがままで外とつながることが大切なんだと確信した。とにもかくにも「流れ」の素晴らしさ。と同時に各楽器の強音の力強さと優しく囁かれるような弱音の対比。

我慢ならずジュリアード弦楽四重奏団のフィリアホールでのチケットを押えた。東京クヮルテットのときと同じ席。果たして今度はどんな「世界」が目の前に現れるのだろうか・・・。

 


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