昨日までとうって変わって、晴れ渡る青空。
3日間に亘る「愛知とし子×近藤恵三子コラボレートコンサート」が好評裡に無事終了した。最終日となる本日は好天に恵まれ、かつ日曜日の午後ということも相俟って一席の猶予もないほど超満員御礼という状況で、一時は席が間に合わなかったらどうしようと冷や冷やしたほど。お蔭様でご来場いただいた皆様に喜んでいただけたようで、終了後のミニパーティーも盛況であった。音楽好きのお客様が多かったようで、最後には涙しながら傾聴いただいたお客様もいらしたほど。今日は僕も途中のリスト以外は全曲しっかりと聴かせていただいた。
・ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
もう何度も演奏会や「音浴じかん」で披露している愛知とし子の十八番だけあり、堂に入った揺るぎない名演奏。
・ラヴェル:水の戯れ
20世紀初頭に作曲されたラヴェルの代表作であり、100年後の今聴いても非常に前衛性を感じさせる傑作。テクニック的にも難度の高い音楽だが、本日の愛知の演奏は3日間のベストであったように思う。秋深い午後のひと時にかのようなサロンにてじっくりゆっくりと耳を傾けるに相応しい音楽。
・ドビュッシー:「月の光」~ベルガマスク組曲
ドビュッシーのピアノ音楽でも最右翼の人気曲。泣く子も黙る美しい旋律と「月の光」のキラキラ輝く様がロマンティックで、大人の心を十分にくすぐる。ラヴェル同様、愛知とし子の十八番であり、何度聴いても心を揺さぶられる。
・ドビュッシー:第8曲「亜麻色の髪の乙女」~前奏曲集第1巻
これはもうポピュラーなドビュッシーの名作。ほんの数分のあっという間の音楽だが、これほど機知に富んだ洒落た音楽はなかなか他にあるまい。
・リスト:第4曲「泉のほとりで」、第6曲「オーベルマンの谷」~巡礼の年第1年「スイス」
残念ながらリストは聴けなかった。ドア越しに洩れ聴こえる音から、とても気持ちよく伸び伸びした音楽が奏でられているのがよくわかる。それにしてもリストに関しては苦手意識が拭えない。実は30年以上のクラシック音楽鑑賞歴の中でリストにのめりこんだことがない。決して嫌いなわけではないのだが、かといって集中的に聴く気にもなれない、そういう音楽である。ちなみに、「オーベルマンの谷」にはワーグナーを感じさせる瞬間(特に「パルジファル」が木霊する!)が頻出する。ワーグナーの2番目の妻になったコージマはリストの娘ゆえ、もちろんワーグナーの方が影響を受けているのだろうが・・・。
第1部終了後、近藤画伯によるミニレクチャー。とにかく話が日に日に上手くなり、とても勉強になる。彼女曰く、日本画は基本的に光と影のコントラストを使わないのだと。特に、愛知とし子のピアノから直線的なものを感じとり、本来ならば描かないコントラストを表現するために絵の中に直線を付け足すことで、植物の曲線とそこに交差する陰影を強調したということである。そういう裏話を聞きながら絵を見るとなお一層納得がゆく。15分間の休憩後、第2部。
・ブラームス:3つの間奏曲作品117
いやもうこれは愛知とし子のためにある音楽である。それくらいにブラームスの精神と一体化し、聴く者の涙を誘うような音楽に昇華されていた。大袈裟かもしれないけど、言葉にすると全てが陳腐な表現になってしまうので、これ以上は表現しようがない。今回のリサイタルでその場に居合わせることができた人だけのある意味掛けがえのない「宝」のようなものかもしれない。
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101
ベートーヴェンの後期の入口に位置するこの傑作については何も言うまい。まず音楽が完璧であること。逆に言うなら、その完璧な音楽を「聴かせる」だけのコントロールが実に大変な楽曲だと思うのだが、本日も大熱演。正直に言うと、少しばかりテクニック的にもたつくところはあった。とはいえ、全体の構成力は抜群、旋律もよく歌い、フォルテとピアノのダイナミクスも圧倒的で、観客の度肝を抜くような音楽に仕上がっていた。
アンコールは、ブラームス60歳時の傑作、間奏曲作品118-2。黄昏時の夕闇迫る中、ブラームスの得もいわれぬ孤独感がひしひしと迫り来るピアノの響き。これがまた本当に素晴らしい演奏だった。
今回のコラボレートコンサート成功の一因は、何といってもサローネ・フォンタナという素晴らしい会場に回り逢えたこと、そして近藤恵三子嬢という未来を嘱望される日本画家との出逢えたことであり、偶然とはいえいくつかの引き合わせの元に生まれたのだということを忘れてはなるまい。あらためて感謝である。
おはようございます。
コンサート、3日間通して大成功、おめでとうございます!
愛知とし子さんの演奏が最高なのは当然でしょうが、さらに進化・深化した演奏を聴きたかったです!
それにお話を読みますと、益々このホールも体験してみたかったですね。
ピアノ・コンサート(リサイタル)での演奏者と聴衆の幸せな距離は、一般の音楽ホールは広すぎるということを、私も日頃痛切に感じています。浜離宮ホールでも紀尾井ホールでも、やはり空間が広すぎ、何となく距離感から他人行儀になってしまうことが多いですよね。
サローネ・フォンタナのようなホールは、雰囲気も含めて、真に素晴らしいのでしょうね。多分ピアノにとっては理想的空間なのだと思います。ぜひ私も体験してみたいです。
とにかく、聴きに行かれた皆様が心底羨ましいです。
>雅之様
おはようございます。
サローネ・フォンタナ、本当に素晴らしいホールでした。
お客様の聴後の感想をお聞きしても、またアンケートを拝読させていただいても皆さんホールの素晴らしさに感心されていました。最寄の駅から徒歩で15分、しかも周りにはコンビニすらない住宅地の中ということで、お客様にいらしていただけるか心配しておりましたが、杞憂に終わりました。
おっしゃるとおり、紀尾井ホールや浜離宮でもピアノリサイタルには広すぎますよね。
いずれまた機会をみてここではやる予定です。その際は是非お出かけください。
※今回のコンサートは最も遠方で北海道から、それ以外では多治見からもお客様に駆けつけていただきました。