感謝と素直

SaintSaens_Cello_du_pre.jpg感謝される人間になることも大切だが、日々感謝できる人間になることはもっと重要だ。十数年という時間、何千人という若者に対峙してきたお蔭で、よく相談を受ける。迷ったとき、壁に当たったとき、辛いとき、状況は様々だが、そういう時にはできるだけ力を貸そうと努力してきた。数年経ってみると「あの時はありがとう」という意味の感謝の言葉をいつもいただく。

部下にいつも感謝の意を表現、「ありがとう」という言葉をことある毎に伝えるのだと。普通ならそこまで表現しなくても良いときにもあえてそうするのだと。そのお蔭でスタッフ間の人間関係が見違えるように良くなり、仕事もスムーズに、売上も右肩上がりで好調になる。それはそうだろう。感謝されて嬉しくない人はいまい。より一層頑張ろうと思えるのが人間というものだから。

愚痴を言わず「感謝」と「喜び」の言葉を表すよう努めること。それによってお金では決して買えない贈物をたくさんいただける。

今月の「早わかりクラシック音楽講座」のテーマがフランスの大作曲家サン=サーンスゆえ、久しぶりに彼の音楽をいろいろと聴いてみている。どちらかというと性格は皮肉屋で、いわゆる「近代音楽」
に関しては否定的な見解を持ち続けたことからも推測できるように、サン=サーンスの音楽は、メンデルスゾーンの音楽にも似た不思議な開放感が全編を包み込む。そう、汚れのない無垢のような明るさと肯定感に満ちているところが素晴らしい。正統派でありながら決して陳腐ではなく、しかも誰もが気に入るであろう旋律がそこかしこに散りばめられており、初演当時常に絶賛を博したであろうことが容易に想像できる。見事としか言いようない。

サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番イ短調作品33
ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)
ダニエル・バレンボイム指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1968.9.24録音)

この音盤にはシューマンの傑作協奏曲が収められているが、それ以上にサン=サーンスの音楽が心に沁みる(もちろんシューマンも超のつく名曲であり、名演奏であるが)。

1873年、作曲者38歳のときに生み出された名曲。子どもの頃から「神童」扱いされたサン=サーンスは、その作曲技法が「初めから」完成していたようで、初期の作品と晩年の作品の間に明確な進歩・発展を見せない珍しいタイプのようだ(そういうところもメンデルスゾーンに近い)。よほどの有名作でない限り、僕自身もサン=サーンスの音楽を熟知しているわけではない。というわけで、生涯や人間性を勉強してゆくにつれ彼の音楽(特に室内楽!)をいろいろと漁ってみたくなった。
ところで、デュ・プレの演奏については何も言うことはあるまい。いつものように魂に訴えかける音楽がそこにはある。何につけても、その「低弦の響き」が心の奥底にまで届く。

面と向かって「ありがとう」と言われると意外に照れ臭いものである。しかし、そういう「気持ち」を正面から受け取れるようになると、当たり前だが「関係」はより良く深化する。「ワークショップZERO」でも常に教示させていただく点だが、素直になることがやはり一番大事かも。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>愚痴を言わず「感謝」と「喜び」の言葉を表すよう努めること。
その観点からすると、ただ人の演奏を表面的に聴いただけでケチを付ける、クラオタや音楽評論家のやってる横柄な行為は、人間として最低かも(笑)。
「感謝しろ」「友愛精神を持て」などと机上の観念だけで命令されても、中々人は動きません。そんなこと、理屈じゃみんな分かっているのですから・・・。確かに、まず「ありがとう」と言えば、人間関係は改善する場合もあるでしょうが、本心でなければストレスで寿命が縮みそうです。
私が今最も欲しいのは、「観念」や「言葉」ではなく、「本心からの公共心」を養い保つための、誰もができる「実践」や「具体策」です。
その意味で、最も共感でき、見習いたいと心底思ったのは、岡本さんもよく御存知の、イエローハットの創業者、鍵山 秀三郎氏が提唱されている、「トイレ掃除」や「ゴミ拾い」の実践哲学です。東京時代は仕事の関係で、数回、氏の講演を聴く機会がありました。
※参考本「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる―心を洗い、心を磨く生き方」 鍵山 秀三郎著 PHP研究所
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E6%8B%BE%E3%81%88%E3%81%B0%E3%80%81%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%8D%E3%82%8C%E3%81%84%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E2%80%95%E5%BF%83%E3%82%92%E6%B4%97%E3%81%84%E3%80%81%E5%BF%83%E3%82%92%E7%A3%A8%E3%81%8F%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%96%B9-%E9%8D%B5%E5%B1%B1-%E7%A7%80%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/4569652352/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1258490366&sr=1-1
「『ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる』私の信念を込めた言葉です。ゴミを拾っていて感じることは、ゴミを捨てる人は捨てる一方。まず、拾うことはしないということです。反対に、拾う人は無神経に捨てることもしません。この差は年月がたてばたつほど大きな差となって表れてきます。人生はすべてこうしたことの積み重ねですから、ゴミひとつといえども小さなことではありません。第一、足元のゴミひとつ拾えぬほどの人間に何ができましょうか」。「ともすると人間は、平凡なことはバカにしたり、軽くあしらいがちです。難しくて特別なことをしなければ、成果が上がらないように思い込んでいる人が多くいます。そんなことは決してありません。世の中のことは、平凡の積み重ねが非凡を招くようになっています」(出版社/著者からの内容紹介より)
私も、最近、朝、職場付近の道路のゴミ拾いを始めて、人生観が変わってきました。職場のトイレ掃除も、氏を見習って実践してみようかなあと思っている今日この頃です。「感謝」されようが、されまいが、そんなことは二の次です。
御紹介の曲、大好きです。私のお気に入りはフルニエの盤かなあ。
しかし「感謝と素直」の本文とこの曲が、どう結び付くのかまったく意味不明(笑)。
凡人の私の発想ではモーツァルトの「フィガロの結婚」やベートーヴェンの「田園」くらいなんですが、このお題は(笑)・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
おっしゃるとおりですよね。観念論をいくら吠えたところで無意味ですね。
>イエローハットの創業者、鍵山 秀三郎氏が提唱されている、「トイレ掃除」や「ゴミ拾い」の実践哲学です。
同感です。具体的に行動に移すことって簡単なようで難しいですからね。雅之さん、ゴミ拾い始められましたか!!素晴らしいです。人生観変わるでしょうね。実は2年前の冬に一度だけ「掃除の会」に参加しまして、早朝(6時前で、まだ真っ暗でした)新宿駅周辺のゴミ拾いをしました。その後も続けようと意気込んだものの、仕事の関係で1回スルーしてしまい、有耶無耶になってしまいました・・・。
いずれにせよ、掃除というのはとても大事だと思います。公共の場とはいえませんが、僕も毎日掃除機をかけ、拭き掃除、トイレ掃除をしています。気持ち良いですね。
ところで、雅之さんお気に入りのフルニエ盤は未聴ですので、聴いてみます。
>「感謝と素直」の本文とこの曲が、どう結び付くのかまったく意味不明(笑)。
失礼しました。
実はサン=サーンスの生涯をいろいろと振り返ってみると、一般的には「頑固で皮肉屋」、新しいものを受け付けられない偏屈というイメージがあるのですが、弟子のフォーレとの往復書簡をいろいろと読んでいると、根底にとても愛情を感じるんです。例えば1892年1月1日付アルジェのサン=サーンスからフォーレへの手紙は次のようなものです。ようやく世間から認められつつあったフォーレへの愛が感じとれます。
「ガブリエル・フォーレ殿
新年おめでとう、つま先から頭の先までドやソ、レにもさえも!御名の称賛されんことを!成功が絶頂となり、栄光が御身を迎えんことを!いたるところで崇拝されんことを!我が孤独なる岩上にて後方を見れば、遠く、はるか昔に、苦き思い。
しかし、我を魅する思い出、それは君を見守ってきたこと
サン=サーンス」
サン=サーンスも照れずに素直に感謝を伝えればもっと良かったのに(それは僕自身についても言えることなのですが)、なんてことを考えながら思いつきで書いた文章でした。

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