ぶれない自分軸~サン=サーンスの生き様

saint_saens_concerto_collard_previn.jpgコツコツと積み上げてゆく仕事は一見大変な様相を呈するが、継続することで結果的に大きな財産になる。誰が何と言おうと「続けた年月」がものをいう。

毎月特定の作曲家を採り上げクラシック講座なるものを始めてから3年近くが経過するが、長い間クラシック音楽を聴き続けてきても意外に作曲家本人のことを知らなかったり、作品についても表層的に知っているだけで聴き込んでいるわけでなく、よく知らない場合も多い。そういうときに文献をひもといたり、音楽を繰り返し聴いてみたりすることで新しい発見が常にあることが面白くてたまらない。人に何かを教える行為は自分の成長に間違いなくつながるが、毎々10名ほどの参加者であるにも関わらず、ここまで継続してこれているお陰で、知識が増え、興味の範囲が圧倒的に広がり、それがまた喜びに変わるわけだから一石二鳥どころか三鳥くらいの価値はあろう。まさかこんな形でクラシック音楽を勉強するとは思ってもみなかった。

「早わかりクラシック音楽講座」のコンセプトは、単に音楽を聴いて楽しむだけでなく、作曲家の生き様から「人間力向上」のヒントになるであろう「何か」を見つけ出し、講座中にご紹介するというもの。さすがに過去の偉人の周辺には見事な言葉や感動的な生き様が残されており、現代の我々の生き方にも非常に参考になる。

今月のお題のサン=サーンスについてはほとんど無知である。ポピュラーな作品についてはもちろん知っているし、それなりには聴き込んでいる。でも、彼がどんな人生を送ったのかを調べ、神童といわれ、あらゆるジャンルに数多く残した作品を徹底的にものにしようと思ったことはこれまでないし、そんなつもりも全くなかった。それでも、協奏曲や室内楽のいくつかを繰り返し聴くと、彼の音楽がいかによくできているかがわかる。わかりやすいメロディとコンパクトにまとめられた楽曲の展開。それに各楽章が有機的に絡み合い、見事なまでに統一感を持った構成。ほとんど完璧と言っても良いほどの出来の作品が多い。

ちなみに、サン=サーンスは豊かな教養人で、当時フランスではあまり好まれなかったワーグナーやシューマンの音楽を積極的に紹介し、バッハの復興にも力を貸したそうだ。一方、ストラヴィンスキーやドビュッシーなど20世紀の自分が理解できない音楽については激しく批判をしたとも。頑固で偏屈というイメージはこういうところからもあるのだろうが、次のような言葉を見てはっとさせられた。

「私は批評にも賛辞にもあまり気を遣いません。それは自分の値打ちにうぬぼれているからではないのです。もしそうなら滑稽なことです。そうではなくリンゴの木がリンゴを実らせるように、自分の天職を果たすために作品を制作するのに、私は私について他人がどんな意見を抱こうと、そんなことを案ずる必要はないからなのです。」
浅井香織著『音楽の「現代」が始まったとき―第二帝政下の音楽家たち』(中公新書)

いや、参った。彼はただの頑固親父ではない。よく知りもしないで勝手なイメージを持つのはある意味犯罪である(笑)。まさに「ぶれない自分軸」!

サン=サーンス:
ピアノ協奏曲第3番変ホ長調作品29
ピアノ協奏曲第5番ヘ長調作品103「エジプト風」
「ウェディング・ケーキ」(カプリース・ワルツ)作品76
幻想曲「アフリカ」作品89
ジャン=フィリップ・コラール(ピアノ)
アンドレ・プレヴィン指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

リストも絶賛したほどのピアノの名手だっただけあり、サン=サーンスの生み出す「ピアノ協奏曲」はヴィルトゥオーゾ的でありながら、決して技巧一辺倒に陥らず、美しく心を揺さぶる瞬間が頻出する。どう考えても彼の心は澄んで、きれいであるようにしか思えない。やはり彼は(融通の利かない)正直者であろう。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
岡本さんの「クラシック講座」3年近く継続は偉業です。敬意を表したいです。私は数回しか参加できませんでしたが、このブログを含め「岡本さんの心」というフィルターを通してみた作曲家像は、「司馬遼太郎の心」というフィルターを通した歴史上の人物と同じく、美化しすぎているかもしれませんが(笑)、知らなかった事実も多く、いつも大変勉強になっています。感謝です。
サン=サーンスは、紛れもなく大作曲家の中の大作曲家です。私が、彼を好きな理由のひとつは、彼が生涯にわたり絵画や詩、哲学の他に、自然科学や数学に興味を持ち続けたところ。シューマンの「謝肉祭」に文学愛好家の目を感じるなら、サン=サーンスの「動物の謝肉祭」は、アマチュア自然科学愛好家の目で観た「謝肉祭」といったところが無きにしも非ずです。
私は、ろくすっぽ本分の研究もしないで大衆に迎合して稼ぎまくる同い年の茂木健一郎のような・クラシック音楽ファン・似非科学者より、アマチュア自然科学愛好家・かのコルトーをも馬鹿にする腕前の名ピアニスト・大作曲家のサン=サーンスのほうが、少なく見積っても1億7千倍くらい偉いと思っています。
サン=サーンスは頑固で偏屈?、皮肉屋? 大いに結構じゃありませんか!
二言目には「お客様は神様です。ありがとうございます」と媚びる、わざとらしいラーメン屋の店主より、
「気に入らなきゃ、とっとと帰れ!」というラーメン屋のオヤジのほうが、ウマそうだし信頼できます。これぞプロ!、職人の鑑です。
ラヴェルは、自らの最晩年の傑作「ピアノ協奏曲」について「モーツァルトやサン=サーンスと同様な美意識のもとに書かれた、あらゆる意味で協奏曲らしい協奏曲」と自画自讃していますよね。
ラヴェルがサン=サーンスをモーツァルトと同じくらい高く評価した気持ちは、私にはよく理解できます。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>「司馬遼太郎の心」というフィルターを通した歴史上の人物と同じく、美化しすぎているかもしれませんが(笑)
司馬さんと比較いただきありがとうございます(笑)。多少美化はしてますかねぇ・・・。できるだけ等身大で捉えようと思っているんですが、二次資料だけを頼りにしているものですから、そのあたりはご勘弁ください。
>彼が生涯にわたり絵画や詩、哲学の他に、自然科学や数学に興味を持ち続けたところ。
このあたりはすごいですよね。ピタゴラスやダ・ヴィンチ並みです。
>サン=サーンスのほうが、少なく見積っても1億7千倍くらい偉いと思っています。
1億7千万倍ですか!!(笑)確かにそうですね。ちなみに、ラヴェルの「水の戯れ」などは「すべて不協和音に満ちている」とサン=サーンスから酷評されています。
わからないものはわからないといえる彼はほんとに偉いです。
>ラヴェルがサン=サーンスをモーツァルトと同じくらい高く評価した気持ちは、私にはよく理解できます。
同感です。ここのところサン=サーンスの作品をいろいろと聴き込んでみてそう思いました。

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