グレン・グールドのR.シュトラウス「イノック・アーデン」ほかを聴いて思ふ

r_strauss_enoch_arden_gould014男はロマンを追う。対して女は現実的だ。
原田宗典さんが訳した19世紀英国の詩人アルフレッド・ロード・テニスンの散文詩「イノック・アーデン」を読む。

第12節の、イノックの信仰心と勇気に心打たれる。

それから信心深いイノックは
その場にひざまずき、頭をたれて祈りました。
たとえこの身はどうなろうとも

我が妻と子の上には幸いあれ、と。
「アニーよ、俺の神様をどうか信じておくれ。
この航海は俺たちに幸運をもたらしてくれるはず。
炉を清め、火を明るく焚いて、待っていてくれ。
おまえが考えているのよりずっと早く
俺は帰ってくるからな」
テニスン著/原田宗典訳「イノック・アーデン」(岩波書店)P21

とても簡潔でわかりやすい表現だ。しかし、残念なことに原田さんは肝腎の以下の箇所を省略されている。

Yet Enoch as a brave God-fearing man
Bow’d himself down, and in that mystery
Where God-in-man is one with man-in-God,
Pray’d for a blessing on his wife and babes
Whatever came to him:

より原書に忠実に訳される道下匡子さんのものをひもとく。

だが、勇敢で信心深いイノックは、床に跪いて頭を垂れ、
「人間の心の中の神性と、神の中の人間性がひとつになる」
という神秘的な教えを信じて、たとえ我が身はどうなろうとも、
どうか妻と子どもたちには神の祝福がありますようにと祈った。
それから彼はこう言った、
「アニー、神の恩寵によるこの航海は、
我が家に幸運をもたらすだろう。
炉を清め、赤々と火を燃やし、私を待っていてくれ、
愛しい妻よ、お前が知るよりも早く、私は帰ってくるのだから」
テニスン著/道下匡子訳「イノック・アーデン」(愛育社)P17

人々がそれは「真実」だと信じていても、実は幻であり、虚構であった世界での船旅。
18世紀の、産業革命最中の英国でのある一人の女性と二人の男性にまつわる話。
僕たちが、それを「人のため」と信じて行動していても幻の世界では紆余曲折、山あり谷あり、様々起きる。ポジ、ネガを反転させて考えてみるのが良い。「真実」だと思われている世界が「嘘」に塗り固められており、人間には見えない、時に「嘘」だと思れている世にこそ「真実」があるというように。

リヒャルト・シュトラウスが音楽をつけた朗読劇、いわゆるメロドラマ。
後に「金の亡者」と揶揄された彼らしく、18世紀以降の資本主義がもたらした文明社会を全面的に受け容れながら(その意味では存命時から社会的に成功を遂げた類稀な芸術家だった)、しかし、本当のところは決してそうでなく、インスピレーションの赴くまま創造行為を続けていった彼の本性がそのまま音楽に投影されるかのような、優しくありながら時に激高し、また時に深沈と落ち込む「叫びと囁き」のような音楽に感動する。

リヒャルト・シュトラウス:
・ウィリアム・シェイクスピアによる「オフェリアの3つの歌」作品67(1966.1.14&15録音)
・テニスンによるピアノ伴奏付きのメロドラマ「イノック・アーデン」作品38(1961.10.2-4録音)
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
クロード・レインズ(朗読)
グレン・グールド(ピアノ)

ピアノの音色は一見単色に思われるが、「イノック・アーデン」においてはさにあらず。シュトラウスらしい色彩豊かな、まるでオーケストラのような響き。もちろんそれには、グレン・グールドの神がかり的テクニックと解釈による心理描写を見事に突いた演奏があってのこと

無償の愛を提示するイノックの最後の言葉が美しい。しかし僕は思う。もしこれが真実であり本当ならば、イノックは「伝えてくれ」と言うべきではなかった。密かに誰知らずの愛こそが真の無償ゆえ。その意味で、イノックはあまりに人間らしい人間だったということだ。

彼女に会ったら、私は彼女を祝福し、
彼女のために祈りをささげ、彼女を愛しながら、
死んでいったと伝えてくれないか。
ふたりの間に壁はあっても、かつて彼女が私の傍らで
眠りについたときと同じように、彼女を愛しながら。
それから母親に生き写しの、私の娘、アニーには、
彼女を祝福し、彼女のために祈りながら、
私が息を引き取ったと伝えてほしい。
テニスン著/道下匡子訳「イノック・アーデン」(愛育社)P73-74

訳出における翻訳者の個性の違いを比較するのも面白かろう。

もしもアニーと会ったなら
伝えてほしい―私が死んだということを。
いまわの際まで彼女を祝福し
彼女のために祈っていたと。
彼女を愛して死んでいったと。
今は互いに隔てられ、違う人生を歩んでいるけれど
かつて二人が寄りそって、この肩に彼女の髪が触れるのを感じながら
暮らしていた頃と同じように
私はアニーを愛していたと。
そして私の可愛い娘・・・母親そっくりのあの子には
私の最後の一息までも、彼女を祝福する
祈りのために使っていたと伝えてほしい。
テニスン著/原田宗典訳「イノック・アーデン」(岩波書店)P95-96

第一次大戦中の作品である「オフェリアの歌」はシュヴァルツコップの美しい歌唱を伴うせいもあり深い。そもそも大戦中のシュトラウスは、過去30年分の貯蓄を没収されるなど精神的にも相当のダメージを受けたということだから、それらの体験がこの時期の作品に反映されないはずがない。飛び跳ねるピアノとシュヴァルツコップの可憐な歌声による第2曲はもとより、深沈たるピアノを伴奏に、ほとんど深刻過ぎるかのように歌われる第3曲はシュヴァルツコップとグールドの奇蹟だ。

 

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