赤坂氷川神社

the_tatum_group_masterpieces.jpg乃木坂と赤坂のちょうど真中に位置する赤坂氷川神社。とても静かで厳粛な雰囲気が漂う。東京の中心地にこんな場所があったとは知らなかった。神社を中心にした周囲は時計の針が止まったのではないかと錯覚するほど空気がゆったりと流れる。少し足を延ばすと赤坂サカスTBSなどのある盛り場&オフィス街に辿り着くのだが、もうこのあたりになると空気が重い。
ここのところ、明治神宮の清正井がパワースポットとして一躍有名になり、連日数時間待ちという長蛇の列ができるそうだが、はっきりいって比べ物にならないくらい「氷川神社」は神聖である。あまり有名になってもらっても困るので、こういうところには書きたくないが、この神社はおススメである。
乃木坂駅から神社に向かう途中道に迷ってしまった。近くの住人らしきおばさまに道順を聞いたら、説明できないからと言ってわざわざ車で送り届けてくれた。こういうところも東京っぽくない(笑)。代々赤坂に住んでおられる様子だったが、人情に厚い昔の江戸っ子気質ばりばりの気風のよさそうなおばさまだった。感謝。

久しぶりにおみくじを引いたら「神様を拝む家庭に幸いあり」「敬神の前途に光明あり」と。経済の発展の根本は「奉仕」と「信仰」(単に宗教心をもつという意味ではない)であると聞くが、特定の神を崇拝するというのでなく、まさにsomething great(偉大なる存在)に感謝できるよう精進していきたいと思った。そんなことを考えながら帰路、携帯電話で父のブログを覗いたら本日の日記のお題が「神仏」とある。親子というのは同じようなことを同じタイミングで考えるもんだと吃驚した。シンクロニシティなり。

サラ・ヴォーンがオスカー・ピーターソン、ジョー・パスほかと協演して78年に録音したアルバムを聴いた後、徐にアート・テイタム&ベン・ウェブスターのアルバムを久しぶりに取り出した。

The Tatum Group Masterpieces(1956.9.11録音)

Personnel
Art Tatum(Piano)
Ben Webster(Tenor Sax)
Red Callendar(Bass)
Bill Douglass(Drums)

1956年11月5日に亡くなるアート・テイタム最後の録音。テータムの超絶ピアノとウェブスターのふくよかなサックスの掛け合いが堪らない。フランク・シナトラが歌った”My One And Only Love”は、コルトレーンとジョニー・ハートマンのバージョンも有名だが、テータム&ウェブスターによる浪漫的なこれぞ「モダン!」というインストゥルメンタル・バージョンがおススメ。

今宵、自分を支えてくれるすべてに対して感謝をしながら古き良きジャズの音色に酔い痴れる・・・。


5 COMMENTS

雅之

おはようございます。
さらに信仰についての想いを語ってみましょう。
岡本さんには初めてお話しますが、私は早くに母を亡くしたことが影響しているのかどうかは分かりませんが、霊感はとても強いほうで、多分岡本さんより「不思議な体験」は何十倍も多いと思います(つい、最近もあったばかりです)。宗教もいろいろ体験や勉強をしていますが、「神」については「八百万(やおよろず)の神」、「仏教」については「禅宗」が一番私の気持ちにはピッタリきます(永平寺には何度か参禅しています)。
死後の世界にも興味があり、すでに自分の墓も購入しています。
文化系でもある、その私があえて言うのですが、我々世代の「スピリチュアル」への傾倒には強い不信感・疑念を抱いています。我々は「ノストラダムス世代」であり「オウム世代」でもあるということに無自覚であってはいけません(私は上祐と同い年)。
特に、我々から下の世代の「科学無視・無関心」「似非科学信仰」の傾向の強さが、技術立国日本の国際競争力低下という点からも、一番気になるところです。
例えば、「盛り場&オフィス街の空気が重い」ことに敏感な方が、なぜ日頃使う携帯電話の電磁波の人体への影響については無関心なんでしょうか? CDプレーヤーも、パソコンも、東京タワーも、IHクッキングヒーターも、蛍光灯も、電磁波を出していて、私は街や部屋の「氣」より、その悪影響のほうが余程気になります(同じ見えないものでも、「氣」に比べ、より科学的根拠があるから)。
ついでに、船井氏の「波動」云々についても、「量子力学」と整合性がとれるお話であればどんなに素晴らしいだろうといつも思うのですが、現状では私は納得していません。
今、五木寛之氏の「親鸞」( 講談社)を読んでいます。とても面白く、宗教についていろいろなことを考えさせられ勉強にもなります。
信仰は極めて重要です。モラルの規範は法律・ルールだけでは駄目で、究極的には各自の信仰しかないとさえ思っています。但し、科学に無関心な人は、「カルト」や「ネズミ講」にも引っ掛かる危険が大きいと、現実的な話で締めくくっておきます。
ご紹介の盤、勉強不足の極みで聴いていないですm(__)mすみません、勉強します。
私は、科学を礼讃する立場から、最近カラオケでよく歌い、ウケている曲をご紹介します。子供が見ているアニメのエンディング・テーマです。
「スイヘイリーベ~魔法の呪文~」かっきー&アッシュポテト
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%99~%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AE%E5%91%AA%E6%96%87~-%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%8D%E3%83%BC-%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%88/dp/B002AD9UCE/ref=sr_1_cc_1?ie=UTF8&qid=1264111109&sr=1-1-catcorr
http://www.youtube.com/watch?v=ikt_KDD489g&feature=related
「平和な未来は元素から!」です。
物質を構成するすべての元素には、八百万の神が宿っているかもしれません。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
雅之さんの「想い」まったく同感です。「不思議な体験」についてもそうですが、信仰や神仏についてもお会いした時により深く語ってみたくなりました。
>我々世代の「スピリチュアル」への傾倒には強い不信感・疑念を抱いています。
僕も「バランス」が大事だと思います。
>CDプレーヤーも、パソコンも、東京タワーも、IHクッキングヒーターも、蛍光灯も、電磁波を出していて、私は街や部屋の「氣」より、その悪影響のほうが余程気になります
確かにこういう矛盾がはっきりとありますね。ただし、僕の知る限りでは「氣」に敏感な人は「電磁波」にも敏感なので、携帯電話やパソコンなどの使用に注意を払っているようです。
おっしゃるとおり「科学的根拠」は重要だと思いますが、それをものさしにすると立証できない、あるいはされないものがまだまだ多いゆえ納得できないことが多くなるでしょうね。
このあたりについてはブログ上では誤解を生む議論になってしまいますので、ぜひ次回お会いした時に熱く語りたいですね。
>究極的には各自の信仰しかないとさえ思っています。
同感です。「信仰」というと外に向かって祈ることと思っていらっしゃる方が多いようですが、実は自分自身を振り返ることだと思うのです。その意味では「各自」の問題です。
>科学に無関心な人は、「カルト」や「ネズミ講」にも引っ掛かる危険が大きい
これもバランスだと思うのですが、どちらかというと「直感」の鈍っている人が引っかかりやすいんだ僕は思いますが(オウムなども科学に関心の強い人が引っかかっていたように思います)。
>「スイヘイリーベ~魔法の呪文~」かっきー&アッシュポテト
この歌初めて聴きました。面白いですね。
しかしながら、これをカラオケで歌うとなると大変だと思うのですが、雅之さんはすごいですねぇ。とても歌いにくそうです。

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雅之

>オウムなども科学に関心の強い人が引っかかっていたように思います
私の友人も「歯医者」なのですが、昔、某健康食品の「ネズミ講(ネットワーク・ビジネス)」に引っかかりました。
自戒を込めて言うのですが、やはり何事も他人の言説を無批判に鵜呑みにせず、自分の頭で考える習慣が肝要なのでしょうね。つまり、オーディオ・マニアなら長岡教、クラシック・マニアなら宇野教の、妄信的な信者になっては駄目だということですね(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
うまい比喩ですね。よく理解できます(笑)。
おっしゃるとおり「自分の頭で考える習慣」が大事ですね。あと付け足すなら「直感」を磨くことだと思います。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » ジャズに腰を抜かしたストラヴィンスキー

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