カラヤン指揮ベルリン・フィルのブラームス交響曲第4番(1988.10録音)ほかを聴いて思ふ

“Animals”がリリースされて40年。このアルバム以降、明らかにPink Floydの音楽は変わった。
バンドの統一感が薄れ、ロジャー・ウォーターズの色が前面に出過ぎるようになったとでも言うのか。それに、このアルバムは何だかとても暗い。それこそロジャーのエゴイスティックな面が、最初と最後を飾る”Pigs On The Wing”から強調され、彼の幼少期の(おそらく)不幸な体験がその音楽に刻み込まれるようで、時々聴いていて辛くなる。

バンドに新しい方向性を示す際に、人間生活に関するウォーターズの擬人的思考は、当時、恐竜ピンク・フロイドが、自分の馴れ親しんだ古巣を打ち破りながら出てきたとする印象をさらに強めることとなった。が、しかし、最終的には嘆かわしい国家・世界政治状況に対するロジャーの先入観(自分自身の精神に関しては、言うまでもないが)は、ピンク・フロイドの音楽を理解し難いところにまで変えようとするものだった。つまり、(「ザ・ウォール」の一部と「ファイナル・カット」のすべてについて言えば)わずかなベテランのフロイド・フリークたちが、これが、ピンク・フロイドの音楽かと疑うほどであった「アニマルズ」に関して言えば、(そして、その後のアルバムも)ピンク・フロイドのサウンドとして、実際長い間定義されてきた幻想的なテンポ、こよなく美しいオルガン伴奏、そしてこの世のものとは思えないヴォーカル・ハーモニーは、明らかに無に等しかった。
「僕が何も書かなかったのは、それが初めてだった」
とリック・ライトが言った。彼のジャズ調の即興演奏は、「アニマルズ」の激しい闘争的なロックの中では、ほとんど意味がなかった。
ニコラス・シャッフナー著/今井幹晴訳「ピンク・フロイド―神秘」(宝島社)P236

今は亡きリックのキーボードの活躍なくしてピンク・フロイドはピンク・フロイドにあらず。実際、ロジャー・ウォーターズを抜きにしたフロイドがリリースした幾枚かのアルバムは、全盛期のフロイドの醸す音調に近い音を繰り出していたのだから、キーマンは・・・、というより、個人が自己の主張をなるべく控えるべき究極のバンドであったのだとあらためて僕は思う。

久しぶりに聴いた”Animals”はとても美しいのだけれど、とても悲しい。

・Pink Floyd:Animals (1977)

Personnel
David Gilmour (lead guitar, co-lead vocals, rhythm and acoustic guitar, bass guitar, talk box)
Nick Mason (drums, percussion, tape effects)
Roger Waters (lead and harmony vocals, acoustic guitar, rhythm guitar, tape effects, vocoder, bass guitar)
Richard Wright (Hammond organ, electric piano, Minimoog, ARP string synthesizer, piano, clavinet, harmony vocals)

支配の意思が働くと、どんなものもいずれ近い将来終焉を迎えるようだ。

ところで、最晩年に手兵ベルリン・フィルと袂を分かったカラヤンが録音したブラームスの交響曲は、確かにいずれもが世評の高い名演奏なのだが、どこか座り心地の悪さを感じるのは僕だけだろうか。カラヤンらしくないその自然さは(皮肉にも)、カラヤンの支配欲求がもはや行き届かなくなり、ある意味オーケストラが自主的に音楽を創造しているからではないのかと思えるほど。

・ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1988.10録音)

どの楽章のどの瞬間も見事に音楽的で、重心のしっかりした堅牢たる音楽が紡がれることに舌を巻く。特に、終楽章アレグロ・エネルギーコ・パッショナート―ピウ・アレグロの文字通り作曲家のエネルギーと情熱を刻印した演奏の奇蹟。第16変奏以降の劇的な調べとうねる旋律の解放こそ醍醐味。

私は音楽家というものを知っているし、この世のオーケストラのメンバーがいかに恩知らずなものかもわかっている。ベルリン・フィルはその恩知らずな点では最たるものだった。彼らはリハーサル、演奏会、ザルツブルクや数百万の利益を私から得たのに。彼らは決してただでは演奏しない。彼らは私の力が衰えたことを認めたくない、これからも何でも欲しいのだ。最も欲しいのは私の首だろう。
ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」(春秋社)P335

この最後のカラヤンのオーケストラに対する恨み辛みの真相について僕はその詳細を知らない。これに対し、オーケストラはどのように反論したのか知りたいところだが、このブラームスのような優れた自然体の演奏を聴くと、34年にわたって仕えてきたオーケストラに対し、カラヤンももう少し歩み寄る余裕があっても良かったのではないのかと僕には思える。
ただし、メンバーを統率し、その上絶対的調和を図れるリーダーが果たしてどれほどいるのか?現実にはとても困難な課題であろうことは確か。

トロンボーンが吹きはじめるのや、私の気をそらすようなことを見たくないのがその(目をつぶって指揮する)理由です。私の心のなかで広がる音楽を見つめていたいのです。楽員が〈入り〉のところで神経質になっていたり、長いパッセージで息切れしたりしているようなときに、私の手がそれを助けるのです。
千蔵八郎著「名指揮者があなたに伝えたいこと(100のリーダーシップ)」(春秋社)P119

オーケストラは、楽員は、あくまで自身の音楽を奏でる道具だということだろう。ナルシスト、カラヤンの本性ここにあり。

 

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