かつて同時代に生きた人々の心情をこれほど激発させた芸術家もなく、かつてこれほど革命的な影響を与えた作品もありますまい。巨大な愛情と尊崇とはワグナーに向って捧げられました。がそれと同じほど壮大な憎悪と、とてつもない憤懣、激昂した敵意にさらされねばなりませんでした。
「ワグナーの場合」
~フルトヴェングラー/芳賀檀訳「音と言葉」(新潮文庫)P112
まるでジークフリートが生き返るかのよう。
若々しい前のめりの気迫と(大病の後であるがゆえの)老練の冷静さの入り混じった、うねる「葬送行進曲」。たぶん、ここを聴くだけでもこの実況録音の価値は大いにあると僕は思う。
特に、ジークフリートが亡くなった後、第3場のグートルーネとハーゲンのやりとりの音楽は、熱波の如く聴く者を攻め、舞台後方のブリュンヒルデが絡み出すや音楽は一層光輝を放つ。こんな舞台に触れられたらもはや人生に何も言い残すことはないのでは?
ブリュンヒルデ
悲しみをそのように喚くのは
おやめなさい!
あなた方みんなから裏切られた彼の妻が
これから復讐を始めます!
~井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集―《妖精》から《パルジファル》まで―」(水曜社)P222
ブリュンヒルデの内なる愛は正義と表裏一体。実に意味深い響き。
グートルーネ
ブリュンヒルデ!妬み深い邪悪な女よ!
あなたが私たちにこのような災いをもたらしたのよ。
あなたがこの男たちをけしかけ彼に背くようにした!
あなたがこの家に近づいたことが災いのもと!
~同上書P222
本来災いなどない。それぞれの心が出来事を感知し、心が揺れ動いたときにすべてが災いと化すのである。死というものが果たして最後なのか?死はネガティブな現象なのか?たとえジークフリートが殺められたとしても彼は本望でなかったか?
マルタ・メードルが歌う「ブリュンヒルデの自己犠牲」は、キルステン・フラグスタートのそれに比して確かに繊細さを欠く(大味のような)。しかし、この絶叫を伴う迫力の歌唱は、ついにローマの聴衆を打ちのめしたのだろう。終演後の拍手と熱狂がそのことを物語る。
・ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」
ルートヴィヒ・ズートハウス(ジークフリート、テノール)
マルタ・メードル(ブリュンヒルデ、ソプラノ)
アロイス・ペルネルシュトルファー(アルベリッヒ、バリトン)
ヨーゼフ・グラインドル(ハーゲン、バス)
セーナ・ユリナッチ(グートルーネ、ヴォークリンデ&第3のノルン、ソプラノ)
アルフレート・ペル(グンター、バリトン)
マルガレーテ・クローゼ(ヴァルトラウテ&第1のノルン、メゾソプラノ)
マグダ・ガボーリ(ヴェルグンテ、メゾソプラノ)
ヒルデ・レッセル=マイダン(フロースヒルデ&第2のノルン、アルト)
RAIローマ放送合唱団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮RAIローマ交響楽団(1953.11Live)
もちろんRAIローマ交響楽団の繰り出す暗澹たる(そして刃物で切れば血の出るような)音楽は、この愛憎の含む権力闘争の物語に良い意味での翳を落とす。神の使いたるカラスを解き放つ際のブリュンヒルデの嘆きと確信。
あなたのカラスが羽ばたくのも聞こえます。
あなたが以前から待ち望んでいた知らせを持たせて、
その2羽のカラスを帰しましょう。
安らかに休んでください、ヴォータンよ!
~同上書P223
飛んで帰れ、カラスよ!
お前たちの主人にそっと伝えなさい、
このライン河畔で聞いたことを!
まだ炎が燃えているブリュンヒルデの岩山の傍らを
飛んでいき、
ローゲにヴァルハラへ行くように指示しなさい!
なぜなら神々の終末が今や始まっているからです。
~同上書P224
ここでのフルトヴェングラーの、燃えに燃えた壮絶なテンポ設定は僕たちの肺腑を抉り、精神を見事に高揚させる。そして、さすがにイタリアのオーケストラだけある明朗な音楽は、まるで神々の終末を歓喜するかのように悠揚と、また静かに消えゆくのである。
最晩年のフルトヴェングラーの生命力溢れる超絶名演奏。ブリュンヒルデがフラグスタートであればなお良かったかも。
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