朝比奈隆指揮大阪フィル ブラームス交響曲全集(1979.4&1980.2録音)を聴いて思ふ

第3楽章だって大変上手に出来てると思うんです、商品ですけどね。第2楽章は時間は短いけど、やはり大きな表現力が具わっている。ベートーヴェンじゃちょっと、あの手はできないですね。だからまあ、やっぱり立派な交響曲作曲家じゃないでしょうか。
金子建志編/解説「朝比奈隆—交響楽の世界」(早稲田出版)P151

難産の交響曲第1番には、彼なりの革新がある。

〈2番〉シンフォニーはいちばん出来がいいんじゃないですかね。
好き嫌いとかは別にしても、作品としてはスラスラ出来てて、本当にブラームスが、自分の意図で書いたということでしょう。特に第1楽章は大変に出来が良くて、長さも充分ありますしね。
やっぱりね、シンフォニーの第1楽章ってのは、相当な長さが必要なんですよ。いちばん重要な楽章ですからね。

~同上書P168

交響曲第2番は、最も均整取れ、自然体かつ明朗快活な、ブラームスの心意が十分に刻印された、気力漲る傑作だと僕も思う。

〈1番〉〈2番〉は大変オーソドックスで、まあ大規模なシンフォニーになってるんですが、〈3番〉は非常に特殊なものだと思うんです。
時間的にも短くて、中の2つの楽章が、まあ軽いですよね。だけども、あの第1楽章っていうのは、何か特殊な、ブラームスにしてみれば、初期の作品から抜け出している感じです。あれは調子からいってもベートーヴェンの〈エロイカ〉を想像させるんですよね。

~同上書P187

果たしてそれが〈エロイカ〉なのかどうかはさておいて、全楽章がディミヌエンドで終止するその形に、朝比奈御大が言う、ブラームスの「祈り」を思う(その意味ではやっぱり〈エロイカ〉ではない)。

あのフィナーレの終わりは、“祈り”なのでしょうね。ブラームスは、カトリック圏内のウィーンには居ましたけど、生まれはハンブルクでしょ、まあ本来はプロテスタントなのでしょうねえ、〈ドイチェス・レクイエム〉を書いてますから。でもカトリック的な祈りの匂いがあるんですね、あの終わり方は。
~同上書P188

ブラームスの作品には、いずれにも篤い信仰心の顕れがあることを指摘する御大の鑑識眼は本物だと思う。

うん。だけどテンポを変えられないですからね、まず指定が無い限りは、この時代の、シャコンヌでもそうですが、特にパッサカリアの場合には、基本型を変えられないのがひとつの特質になっている。
シャコンヌがかなり自由な装飾をしながら移っていくのに対して、パッサカリア様式は、最初に出た8小節を変えないというのが原則みたいなもので、その中で音色とか、ニュアンスとか、色んなことで変化をつけていかなければならないわけです。
でも、このヴァリエーションで、変奏によって随分遅くしたり、速くしたりして演奏した時代もあったんじゃないかな。メンゲルベルクのレコードを聴いたことあるんですよ。びっくりする程、各変奏ごとにテンポが違うんですね。それはまあ、あの人みたいに強烈なキャラクターの人達の時代の話ですね。

~同上書P230

朝比奈御大が、過去の巨匠の解釈なども参考にし、比較検討しつつ、いかに楽譜に忠実に音楽を構築していたかがこの言葉からもわかる。それにしてもブラームスは偉大だ。潔癖なほどに完璧な指示。それを丁寧に料理する「原典主義者」朝比奈隆の愚直なまでの技。
朝比奈御大は、〈4番〉をして「余りにも名曲」だとする。

ブラームス:交響曲全集
・交響曲第1番ハ短調作品68(1979.4.17録音)
・交響曲第2番ニ長調作品73(1979.4.13録音)
・交響曲第3番ヘ長調作品90(1979.4.14録音)
・交響曲第4番ホ短調作品98(1980.2.9&10録音)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

40年前から朝比奈隆のブラームスの音楽に対する基本姿勢はまったく変わらない。
1990年以降、幾度も耳にしたツィクルスでの名演奏。齢を重ねる毎にスピードアップされ、音楽がますます若返っていく様に吃驚したことが忘れられないが、重心の低い、弦楽器をしっかり鳴らす方法はいつの時代も変わらない。
本人の言葉通り、交響曲第2番が飛び切りの名演奏。あるいはまた、交響曲第4番終楽章パッサカリアの求心力と堂々たる遠心力。そこに、オケと指揮者の充実した集中力が重なり、崩れ落ちることのない類い稀なるバランス感覚を保つマスターピース。

それも全て、理屈じゃなくって、平衡感覚っていうのかな。ただクライマックスで見せ場を作ればいいというんじゃなくて、バランス感覚のよい設計をした上で、山場を作る。〈3番〉にも多分に、そういうところがあるけれど、〈4番〉の場合は、どの楽章もそうですね。
最高に老練な交響曲作家の手になる、ベートーヴェン以後最大のシンフォニーのひとつですよ。まちがいなく、ね。

~同省書P235

交響曲第4番に対する朝比奈隆の手放しの賞賛に納得。
長らく廃盤になっていたビクターの全集がついにSACD化(シングルレイヤー)され、全4曲102分が何と1枚に収まっているという奇蹟。このセットだけ、当時買いそびれていただけに首を長くして待っていた由、感無量。

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