鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン J.S.バッハ マタイ受難曲BWV244(1999.3録音)

武満徹の最愛の曲は、バッハの「マタイ受難曲」だったというのは有名な話だ。
そして彼が、死の直前に偶々FM放送で流れていて聴いた音楽が「マタイ受難曲」だったというのもまた有名な話だ。

その前の17日の晩に別れるときも、普通は夜はテレビを見るか、ビデオを見るかして時間をすごすので、セットしようとすると、どちらも見たくないというんです。どちらも見ないときは、普通はCDを聞くんですが、それも聞きたくないというので、おやと思ったんですが、やはり相当気力が落ちていたのかもしれません。それでとりあえず、ラジオだけセットして帰ったんです。そしたら、18日の晩に、FMでマタイ受難曲が全曲放送されたそうなんです。徹さんは、マタイ受難曲が大好きで、いつも新しい曲の作曲にとりかかるときは、「これで心を洗いきよめるんだ」といって、まずそのCDを聞いていました。そして、いつも聞くたびに感動するといってました。そのときもすごく感動したらしくて、19日に会ったときに、さかんにその話をしていました。「いいねえ。やっぱりマタイはすごいよ。心から感動したよ。マタイはいつも心をいやしてくれる」といってました。20日の早朝には容態が急変して、もう意識がなくなってしまうので、結局、ちゃんとした音楽を聞いたのは、あのマタイ受難曲が最後になったわけです。最後にあんなに好きだった曲が聞けて、そしてあんなに感動できて、本当によかったと思いました。
立花隆「武満徹・音楽創造への旅」(文藝春秋)P580-581

浅香夫人の言葉に僕は深い母性を感じる。浅香さんの内助の功あっての天才武満徹だったのだと僕は思う。

武満徹が最後に聴いた「マタイ受難曲」が誰の演奏のどの録音だったのか僕は知らない。しかし、武満が何度聴いても「心が洗いきよめられる」といった言葉には首肯する。何と素晴らしい音楽なのだろう。

ヨハン・セバスティアン・バッハ:マタイ受難曲BWV244
ゲルト・テュルク(福音史家、テノール)
ペーター・コーイ(イエス、バス)
ナンシー・アージェンタ(ソプラノ)
ロビン・ブレイズ(カウンターテナー)
桜田亮(アリア/証人II、テノール)
浦野智行(アリア/ユダ/ペテロ/ピラト/大祭司、バス)
鈴木美登里(女中I/ピラトの妻、ソプラノ)
緋田芳江(女中II、ソプラノ)
キルステン・ソレック=アヴェッラ(証人I、アルト)
萩原潤(大司祭I、バス)
小田川哲也(大司祭II、バス)
静岡児童合唱団
鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン(1999.3録音)

柔らかく透明感溢れる、バッハの神髄に迫る名演奏。
内面を抉り出すような厳しい「マタイ受難曲」も素晴らしいが、BCJの良い意味で気負わない、しかし、バッハへの愛情満ちる歌と演奏に心が(魂までもが)洗われる(時に喜びに溢れ、時に悲しみに打ちひしがれ)。

ところで、「マタイ受難曲」について、礒山雅さんが鋭い論考を種々残されているが、中に次のような件がある。

「慈愛」のもうひとつの源泉を、私は、人間の感情を、ひいては人間そのものを描いていくうえでのバッハのやさしさ、いたわりに求めたいと思う。これは、具体的にいえば、感情を形象化していく手法のうちに、とくによく認められる。バッハは、どんなに痛切な感情、恐ろしい出来事を表現する場合にも、そこに吞みこまれて自分を失うということがなく、いつでもそこに、一種晴れやかな距離を置いている。しかしそれは、一つのものに全身全霊を打ちこめない醒めた人間のやむなく置かざるを得ない距離ではなく、偉大な芸術家が、自己を深く投入しながらも、なおかつ置き得る自覚的な距離、といったものである。それは、自由とよんでもよい。「マタイ受難曲」にあらわれる種々の感情を、バッハは決して生のまま表現せず、つねに、目に見えるような形に鋳直していく。
礒山雅「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」(東京書籍)P177

少なくとも作曲中のバッハは、意識することなく冷静に神とつながれていたのではないか。しかし一方で、間違いなく意図を介した瞬間もあった。

わずか22秒の、合唱による第63曲b「本当にこの方は、神の子だったのだ」における慈しみの音よ!

バッハはこの変イ長調の部分に「二群の合唱のユニゾン」という指示を与え、「シオンの娘」と「信ずる者たち」が、こぞって声を合わせるようにした。先行する2つの合唱句をそれぞれ単独で歌った第1グループと第2グループが、ここで合体する。そして自筆楽譜のこの部分には、明瞭な十字架の形象が出現することが知られている!
礒山雅「マタイ受難曲」(東京書籍)P414

鈴木雅明指揮BCJの「マタイ」は、冒頭合唱から終曲まで息もつかせぬ集中力と緊張感。ただしそれは峻厳な緊張感ではなく、あくまで楽観的で明るい緊張感なのである。

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