ライスター カラヤン指揮ベルリン・フィル モーツァルト クラリネット協奏曲K.622ほか(1971.8録音)

かれこれ30年も前のこと。
新宿文化センターで聴いたカール・ライスターのクラリネットの豊潤な、変幻自在の音色に僕は恍惚となった。愁えるブラームスの五重奏曲が目当てだったが、ふくよかで明朗な、その上深遠な様相を呈したモーツァルトの五重奏曲に惹かれた。
あのときのライスターの音は、表層的な美よりも、深層にある晩年のモーツァルトの真実を照らす永遠の音だった。

中身はもちろん大事だ。
しかし、一方、外面を徹底的に磨くことも重要だとあらためて思う。
側と本質のいずれを重視するのか。両方だ。何事も五感に優しい方が良い。そこに理があるならなお良いことだ。

カラヤンには、その個性をまぎれもなく感じさせるような、解釈のスタイルが存在しない。従ってもっぱら彼の音響イメージについて議論するほかない。するとたいていはリズムの正確さや美的な感覚に話題は限られてくる。当時のソロ・フルート奏者オーレル・ニコレは、この豊かで柔らかい響きを、時代の産物と見た。「破壊されつくしたベルリンに、カラヤンは音楽でもって無傷の世界を作ろうと努力した。彼の演奏は、響きがすべて丸みを帯び、異様に美しかった。けれど私には、いつもほんの少しクリームソースがかかっているように聞えた。
ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」(春秋社)P255-256

過剰とまで言える甘さこそがカラヤン芸術の特長であり、他人が何と言おうと本人が自負する方法だった。そして、その方法に多くの大衆が憧れたのである。

オットー・クレンペラーの言葉―カラヤンは「真実より美を優先する」が決まり文句になった。「カラヤンは常に美しい響きだけを追求している、と陰口を言われますが、確かに同意します。ただし、それは非難ではなく、私が努力して作りあげたことに対する褒め言葉として」。カラヤンはこのように伝記作家フランツ・エントラーに語っている。
~同上書P256

カラヤンのモーツァルト。
文字通りクリームソースのかかった、濃密な美しさを湛えた音楽たち。少々前時代的な雰囲気も醸されるが、しかし、方法の一つとしてはありだ。

モーツァルト:
・クラリネット協奏曲イ長調K.622
・ファゴット協奏欲変ロ長調K.191
カール・ライスター(クラリネット)
ギュンター・ピースク(ファゴット)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1971.8.17-23録音)

表面を錬磨した、本人の主体性よりも、どちらかというとカラヤン色に染まったクラリネット協奏曲。それは決して非ではない。カラヤンのモーツァルトの体現という意味で、カール・ライスターは大いに貢献する。

それから、ヨーゼフに頼んでプリームスを呼び、ブラック・コーヒーを手に入れてきてもらった。それを飲みながら、すてきなパイプで煙草をふかした。それから、シュタードラーのためのロンド楽章のオーケストレーションをほぼし終えた。
(1791年10月7日と8日、モーツァルトからコンスタンツェ宛)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P468

ほんのコーヒーブレイクの合間に生み出された協奏曲を、これほどまでに錬磨する必要が果たしてあるのか。愛情深い第2楽章アダージョが少々薄っぺらく聞こえなくもないが、格好のBGMであることに違いない。

生の現実をほんの少し美化して、世俗を忘れさせるようにし、他方で、人生の醜さを抑えるように演奏する。すなわちマイナスなものを克服するのが彼の美学である。
(ハインツ・ヨーゼフ・ヘルボルト 週刊誌「ツァイト」批評家)
ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」(春秋社)P255

何と的を射た表現か。モーツァルトの晩年の音楽はその意味でカラヤンに相応しい。

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