大学でのキャリア・プランニング講座がスタートした。
初めての授業はいつでも緊張するものだが、今日はいつにも増してその度合いが強かった。まだ高校生に毛の生えたような若者が相手ということもあるのか、あるいはこれまでとまったく勝手の違う人たちを前にびびったのか(笑)、我ながら少しばかり上ずってしまった。反省である。
この歳になって、しかもプロといえる人間がそんなことでいいのかとお叱りを受けそうだが、そういう失敗や反省があるから進歩するものなのである。人間というもの、いつになっても勉強である。
とはいえ、授業の最後に必ずコミュニケーション・シートと称するアンケートをいただくのだが、意外な回答が多くて、学生たちの評価は決して悪くなかったようなので、自分で過小評価するわけでないが、謙虚に自分を振り返れたという意味でよかった。豚もおだてりゃ木に登る、である(笑)。
お陰で午後の授業は随分余裕で対処することができた。それにクラスによって学生の質がこれまた180度違う。少々やんちゃな学生が多いように見受けられたが、講義が進むにつれ俄然大人しくなっていき、最後は真剣な眼差しで聴いてくれるようになった。よし。
いずれにせよ前期期間中の金曜日と水曜日は自分の子どものような年齢の若者とつきあうことになるのだから、気を引き締めると同時に楽しんでやっていこうと誓った次第。
Personnel
Doug Yule(organ, piano, bass, drums, lead guitar, acoustic guitar, vocals, lyrics & song composition)
Sterling Morrison(lead & rhythm guitars & song composition)
Lou Reed(rhythm guitar, piano, vocals, lyrics & song composition)
Moe Tucker(drums)
初期のヴェルヴェットはルー・リードとジョン・ケイルとの間に起こったであろう相克、その緊張と弛緩の繰り返しの連続が「売り」だったと僕は思う。ジョンが去った後、マルチ・プレイヤー、ダグ・ユールを迎えて録音した最後の作品「ローデッド」は、決して評判の高い作品ではないが、コマーシャリズムを移植したような、生まれ変わったヴェルヴェットの名作として僕は評価する(これを聴くとグループ・サウンズの音を思い出してしまう。もちろん和製ロックの方が彼らの影響を受けていたことは間違いないが、逆にヴェルヴェットがタイガースやスパイダースの影響を受けていたのではと思わせる部分もある。気のせいだろうが)。これを最後に散開することになるが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはやっぱり不滅である。ルー・リードかっこよし。
身の回りでは様々な変化が起こっている。
新しい出逢いも多い。
世の中で「人間力」向上のメソッドを求めている企業や個人はとても多
いように感じられる。特に最近はそうだ。何とか少しでも力になれるようアンテナを立てていこう。
おはようございます。
1960年代後半~70年代初頭の、こうした当時の最先端ロックを、当時子供だった我々が今聴くことって、どういう意味があるのでしょうね? 音楽は演奏者と聴き手の相互作用なので、録音された鳴る音自体は変化しなくても、あのころ学生運動やってた革新的だった当時の若い聴き手と、すっかり保守的で体制に従順でおとなしく良い子になった我々聴き手とでは、違う意味合いで同じ音を聴いており、捉え方がまったく変質してしまっており、そこには難しい問題を抱えているのだと思います。
あのころの人間と現在の人間とでは、同じ悩みを抱えている部分もあれば、全く異質な喜びや苦悩もあります。普段慣れ親しんでいる音も変わりました。共通のCommon senseだけを頼りに、次世代がこうした音楽に心底共感することが、果たして可能なのでしょうか。
先日次の記事を目にしました。ご覧になられたとは思いますが、古い記事でサイトから消される可能性がありますので、引用しておきます。
「ロック誌高齢化の波 心は熱く目には優しく活字大きく」(4月2日15時41分配信 産経新聞)
ビートルズやボブ・ディランら欧米のベテランロッカーやミュージシャンの特集記事で人気の老舗月刊音楽誌「レコード・コレクターズ」が、主要読者層の高齢化を受け、4月15日発売の5月号から活字を現在より約10%大きくすることが2日、分かった。「字が細かくて読みにくい」との読者からの要望に応えたという。かつて若者文化の象徴だったロック音楽だが、時の流れには逆らえない?!
同誌は昭和57(1982)年にミュージック・マガジン社が創刊した。公称発行部数は約15万部。約10年前から、読者ニーズの取り込みに力を入れるため毎年12月号にアンケートはがきを付け、翌年の2月号に読者が選ぶ「再発CD年間ベスト20」や同誌への意見を掲載するなど活用してきた。
ここ数年、アンケートはがきを送ってくる熱心な読者のほとんどが50代半ば以上で、「字が小さくて読みにくいので大きくしてほしい」という要望が編集部に多数寄せられたという。編集部内で協議した結果、5月号から文字の拡大など大幅な誌面刷新の実施に踏み切ることにした。
同誌の寺田正典編集長(47)は「編集部内では文字拡大による情報量減少を危惧(きぐ)する声もあったが、レイアウトに工夫を凝らし、減少は最小限にとどめた。実は私自身も最近、老眼鏡をかけて編集作業をしていることも影響しています」と話す。
今回の同誌の刷新には、若者の洋楽離れやネットの普及による活字離れの影響もうかがえるが、寺田編集長は「ロック音楽が真に革新的で多くの人をひきつけたのは1980年代半ばまでで、そのころにファンだった若者がロック音楽とともに年を重ねている。読者の高齢化は避けられないが、若い世代にも親しめるようなメディアをめざしたい」と意気込んでいる。
出版科学研究所(東京)の佐々木利春・主任研究員(59)の話「若者の情報源が雑誌からネットに移った昨今、雑誌の読者の平均年齢はどんどん上がっている。今後、若者向けの雑誌は成立しにくい。レココレのような読者の高齢化にきっちり応える取り組みは今後増えていくのでは」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100402-00000060-san-soci
若い世代に、クラシックのようにロックの真の魅力を正しい文脈で伝えていくには、どうしたらよいのでしょうね。
ご紹介の盤、ルー・リードのレコード会社への不満、ポール・マッカートニーの、Beatles 「Let It Be」
http://www.hmv.co.jp/product/detail/690787
でのフィル・スペクターへの不満を連想します。私もよいアルバムだと思いますが・・・。
>雅之様
おはようございます。
>あのころ学生運動やってた革新的だった当時の若い聴き手と、すっかり保守的で体制に従順でおとなしく良い子になった我々聴き手とでは、違う意味合いで同じ音を聴いており、捉え方がまったく変質してしまっており、そこには難しい問題を抱えているのだと思います。
>共通のCommon senseだけを頼りに、次世代がこうした音楽に心底共感することが、果たして可能なのでしょうか。
捉え方が変わることで、より普遍性をもつものだと僕は思います。音楽にせよ文学にせよ、発表された時代には理解されなかったものが後の時代に受け容れられるようにあるということって多々あるじゃないですか。もちろんその逆も起こりえます。
どんな捉え方だろうと、いつの時代にも認知され残っているといるということ自体がやっぱり凄いと思うんです。
それに「常識」そのものも時間と空間によって変わるわけですから、何も「コモンセンス」に共通性を求める必要もないようにも思います。ヴァルヴェットなども新しい聴き手がどういう感性で聴いているのか興味深いですね。意外に同じような感覚で感動しているかもしれませんし・・・。
頭で考えて聴くと「時代性」が重要になってきますが、感じるならそこはあまり関係ないように思います。
「レココレ」の記事はとても興味深いですね。
僕も随分長い間愛読していましたが、7,8年前に買うのをひゃめてしまいました。理由は特にありませんが、何となく不要になったという感じです(「レココレ」のバックナンバーも捨てられず大量に所有しており、これも先日の引っ越しで問題になりました・・・苦笑)。
まぁ、若者はこういうメディアを必要としていないのでしょうね。何せダウンロードでOKという世代ですから。とはいえ、小林秀雄先生がどこかで書かれていましたが、ある作家の本を読むときは全部を読めと言われています。全部を読まないと決してわからない、と。僕もその通りだと思います。その作家が書いたものを全部読むと同時に、その時代背景を知る歴史書や伝記、そしてその作家にまつわる論評についても読み切ったときに初めて様々なことが理解できると思うんです。音楽も同じですよね。時代のニーズは確実に変化しており、メディアもそれに合わせて変わっていかなきゃいけないと思いますが、一方で「レココレ」のような雑誌が昔のような個性を失いつつあるのがとても残念です(「レコ芸」についても同じように僕は感じます。昔はよかった、と)。
>ポール・マッカートニーの、Beatles 「Let It Be」でのフィル・スペクターへの不満を連想します。
確かにおっしゃるとおりですね。アーティスト本人の意思とはまったく別物になっているのでしょうが、僕はスペクター盤の方がやっぱり愛着ありますね。以前のやりとりを思い出しました。↓
http://opus-3.net/blog/archives/2008/02/post-244/#comments
>捉え方が変わることで、より普遍性をもつものだと僕は思います。音楽にせよ文学にせよ、発表された時代には理解されなかったものが後の時代に受け容れられるようにあるということって多々あるじゃないですか。もちろんその逆も起こりえます。
どんな捉え方だろうと、いつの時代にも認知され残っているといるということ自体がやっぱり凄いと思うんです。
おっしゃる通りです。おっしゃる通りごもっともなんですが、私の言いたかった趣旨は少し違う意味なんですよね。
つまり当時のロックは前衛であり、不良の音楽であり、若い奴の反抗が原動力の音楽でもあり、それが古典になり、年配者も喧しがらず懐かしがり、音の刺激に慣れた若者もちっとも驚かない聴かれ方っていうのは、本来作り手が狙っていた効果から変質していて、ロック本来の精神からは外れてクラシックになっちまうのではないかな、ということです。つまり、物分かりのよい体制側の大人には舐められたくないのがロックの精神なのではないか、反抗期の音楽なので・・・。その文脈での捉え方を、若い人にも感じてもらえないかと。
まあ、ストラヴィンスキーの「春の祭典」だって、初演の時に聴衆から喰らった罵倒こそ、本来この曲の持ってるエネルギーではないかと思うのです。それに似た話です(笑)。前衛は年寄りが安心して喜んで聴くようになったら古典、それだけの話です。それが善いか悪いかの話ではないですから、はい。
http://www.youtube.com/watch?v=je2Et0XVChs
↑この映像、好きです。
>雅之様
なるほど、早とちりですね。失礼しました。
おっしゃりたいことよくわかります。
>ストラヴィンスキーの「春の祭典」だって、初演の時に聴衆から喰らった罵倒こそ、本来この曲の持ってるエネルギーではないかと思うのです。
ということですよね。音楽は時間の芸術ですから、そういう意味で言うと同時代に生きた人にしかわからない何かってありますよね。ご紹介の映像、いいですねぇ。
[…] 久しぶりに外出予定がなかったものだから、先日棚を整理した際発見したボックス・セットを昼からずっと聴いている。60年代後半のニューヨークのアンダーグラウンドの混沌とした雰囲気までもが収められている5枚組。音質は概して良くない。でも、この音の悪さから途轍もないエネルギーが一層発散されるのだから、彼らの音楽の力というのは並大抵でない。第1作バナナのアルバムの調和とカオスが入り乱れる独自の世界。”Sunday Morning”も”All Tomorrow’s Parties”も”Heroin”も・・・。音盤を順番に取り換えてゆくと、John Caleの個性が前面に出るセカンドの異様な破壊力が際立つ。このバンドの核心というのは実に2枚目”White Light/White Heat”にあったのかと思わせるほど。そして、Lou ReedとJohn Caleが袂を分かった後にリリースされた3枚目の、気が遠くなるような静謐ながら力強い抒情的美的センスよ。4枚目”Loaded”にはもはや求心力が明らかに欠けている。もちろんこのアルバムだけを採り上げれば非常に優れた作品なのだけれど・・・。 […]