現代音楽の潮流。知性からある種の暴力性。人間の心理に働きかける音楽の力は、陰陽どちらに転ぼうとも結局は一つだ。
ミニマリズムは、ひとつの音の物語というよりは、鎖のようにつながりあった音の物語である。シェーンベルクは一二音音列を考案した。ヴェーベルンはそのパターンのなかに隠れた静止を発見した。ケージとフェルドマンは音列をやめて、静止を際立たせた。ヤングは音列の速度を緩め、催眠的な解釈をした。ライリーは長い音を調性へと引き延ばした。ライヒはプロセスをシステム化し、奥行きを与えた。グラスはそれに駆動的な勢いを加えた。鎖はここで終わったわけではない。60年代末から、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを先頭とした、ポピュラー・アーティストの小さなグループが、ミニマリズムの概念を主流へと運んでいった。ライヒがあとで述べたところによれば、役割の入れ替わりには「詩的な正当性」があった。彼がかつてマイルス・デイヴィスやケニー・クラークにくぎづけになったように、ニューヨークやロンドンのポップ人たちは、逆にライヒに見とれたのだ。
~アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽2」(みすず書房)P534
アレックス・ロスの見立ては鋭い。ミニマリズムを起点として、それを主流へと運んだのがニューヨークやロンドンのポピュラー・アーティストたちだったというのだから実に興味深い。
僕が、新ウィーン楽派の天才たちの音楽にシンパシーを感じるのも、ケージやライヒに同様のものを抱くのも、そして何よりヴェルヴェット・アンダーグラウンドの、特に初期のアルバムたちに通じる抒情と知性、そして破壊力に打ちのめされたのも根っこは同じだったことがわかる。
・The Velvet Underground Peel Slowly and See (1995)
Personnel
John Cale (bass guitar, viola, keyboards)
Sterling Morrison (guitar, bass guitar, backing vocals)
Lou Reed (vocals, guitar, piano, harmonica)
Maureen Tucker (percussion)
Nico (lead vocal; backing vocals)
ボックス・セットからの2枚目にはファースト・アルバムを軸にした、ヘヴィメタルな一面と抒情性を併せ持つ楽曲が並ぶ(名曲”All Tomorrow’s Party”のシングル・バージョンをトップに据え、”Melody Laughter”のライヴ・バージョン、”It was a Pleasure Then”、”Chelsea Girls”が加えられている)。
ルー・リードが逝って早10年が経過しようとしている。
多様に拡がった音楽の概念は、一見あまりの枝葉に分かれたかのように見えるが、その実、20世紀の後半から一つに収斂されていったように思われる。半世紀以上を経て聴かれるヴェルヴェット・アンダーグラウンドの実験的音楽には魂が見事に宿る。この何とも色褪せない激しさ、心に迫る音塊の、浄化や思考を超えた普遍性は一体どういうことか?
“Melody Laughter”を聴き給え。ライヴゆえの熱量に火傷しそうだ。
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