無知の知

beethoven_10_abq.jpg春らしい休日だった。
夕方、散歩から一旦帰宅して、新居には予め音盤を置いていないので、耳が寂しくなり、ふとラジオのチャンネルをひねった。最近はラジオなど滅多に聴かない。時折聴くとなるとやっぱりNHK-FMになる。バルトークの弦楽四重奏曲第4番から第5楽章の何とも劇的なリズムの攻撃的な音楽が流れてきた。よくよくアナウンスを聴いてみると、作曲者の名前を冠したクワァルテットによる演奏だった。
1928年の作品だが、先日の雅之さんとのコメントのやりとりを思い出した。もはやこういう音楽を聴いても、いわゆる20世紀の古典と化してしまっている感があり、作曲当時の聴衆が感じたであろう「斬新さ」、あるいは野蛮な「荒々しさ」というものはついつい聴き逃してしまう。確か初めて聴いたのは高校生の最後の年だったか、それとも浪人時代だったか・・・。あの頃はまだまだ僕の耳も初心で、それこそKing Crimsonの”Lark’s Tangues in Aspic”を初めて聴いたとき同様、まったく耳障りで、最後までじっと聴いていられなかったことを思い出す。いろいろな音楽を聴き漁ることでもはやそういう新しいものに対する抵抗感はなくなったが、果たしてそれって進化、深化といえるのだろうか?ティーンエイジャーのあの頃の、まだ何も知らないあの頃の、それこそどんな音楽を聴いても衝撃が走った「受け皿」が今や懐かしい。知ることはとても大切なことだが、知らないことの「無我夢中さ」、これから新しく何かを学ぼうとする「好奇心」のようなものっていくつになっても忘れたくないものだ。

バルトークの件の音楽を聴きながらそんなことを考えた。そして、バルトークの四重奏の源流はやっぱりベートーヴェンであることを再確認した。アレンスキーが第2弦楽四重奏曲に挿入したロシア民謡のテーマを、その90年近く前にベートーヴェンも引用していた。

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59「ラズモフスキー第2番」
アルバン・ベルク四重奏団

久しぶりにABQのライブ盤を取り出して聴いてみたが、録音のせいなのか音が軽過ぎていまひとつ感興を削ぐ。旧盤の堂々としてかつ新しく現代風の解釈を試みた音楽作りが理想的だ。ベートーヴェンこそは「無知の知」を謳歌した大芸術家なのではないか、そんなことをついつい思わせられる「音」が散りばめられる。交響曲然り、ソナタ然り。

「知らない」ということを認めた方が良い。わかったつもりでいることが一番危険だ。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
歳を重ねるとは、あるいは人類の文明の発達とは、五感への過激な刺激にどんどん慣れ、無感動、不感症を促進していくものなのかもしれないと思うと、空恐ろしくなることがあります。出始めのころは奇抜さで目を引いた鳥よけの目玉風船に、今や鳥も人も誰も驚かないように・・・。人情の薄い世間になり、国民全体が知るヒット曲は無くなり、映像の過激な性表現にも誰も何とも思わない無機質な社会・・・、そうなっていくのは歴史の必然なのでしょう。
そう考えると、まだ知らないことが沢山ある人ほど、これからの幸せが沢山ある人なんだなあとも実感しますね。でも、自分の経験則が通用しないくらい昔の、まだ誰もが何も知らなかった時代の人々の感情を推し量ることは、非常に困難です。歴史を深く学ぶって、難しいです。
>ベートーヴェンこそは「無知の知」を謳歌した大芸術家なのではないか
なるほど!です。そこで「無知の知」について改めて調べてみます。
・・・・・・他人の無知を指摘することは簡単であるが言うまでもなく人間は世界の全てを知る事は出来ない。ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではない事に気がついている、言い換えれば無知である事を知っている点において、知恵者と自認する相手より僅かに優れていると考えた。また知らない事を知っていると考えるよりも、知らない事は知らないと考える方が優れている、とも考えた。
なお、論語にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という類似した言及がある。・・・・・『ウィキペディア』「無知の知」より
なるほど!
・・・・・・一方で、無知を罪とする見方もある。たとえば文化の異なる集団の間でやりとりをする場合、その違いを把握しておかねば、無用な衝突を生じる場合もある。可能な限り、相手に対する知識を得るのは必要にして当然の処置である。たとえば生麦事件のようなことすら起こりかねず、その場合に「知らなかった」では通用しないことはままある。・・・・・『ウィキペディア』「無知の罪」より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%9F%A5
>久しぶりにABQのライブ盤を取り出して聴いてみたが、録音のせいなのか音が軽過ぎていまひとつ感興を削ぐ。旧盤の堂々としてかつ新しく現代風の解釈を試みた音楽作りが理想的だ。
同感ですが、これもあくまで録音芸術上の話で、この実演に接していたら、おそらくまた違う答えになると思います。お互い「無知の罪」を犯さないよう、気をつけたいものですね(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>自分の経験則が通用しないくらい昔の、まだ誰もが何も知らなかった時代の人々の感情を推し量ることは、非常に困難です。
おっしゃるとおりです。「知らない」ことを想像すること、「知らない」人の気持ちを知ることって難しいですよね。
>「無知の知」について改めて調べてみます。
なるほど、勉強になりました。何事も表裏、二面性がありますね。
>この実演に接していたら、おそらくまた違う答えになると思います。お互い「無知の罪」を犯さないよう、気をつけたいものですね
嗚呼、まさに!!気をつけます(苦笑)。

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