イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル

イーヴォ・ポゴレリッチのリサイタルは、いつも始まる前から始まる。
毎度のこと、彼は開演ギリギリまで指慣らしのためか、観客を余所目に舞台でピアノをひたすら弾き続ける。今夜もいつもと同じ光景がそこにあった。
それは、単なる指慣らしなのか?
否、それよりもむしろ、彼が無心にピアノを鳴らすその姿を食い入るように見つめる観衆を見ていて、なるほど聴く者の心をひとつにするための儀式がここから始まっているのだと僕は悟った。それによってもちろんピアニスト自身も一層の集中力の高まりを体感するのだろう。例によって開演10分前にスタッフがそろそろ上がれという指示に来ても彼はしばらく顧みない。ようやく5分前になって袖に引き上げるのだ。

それにしてもよくできたプログラム。
前半の、古典派の諸曲の、できるだけ音量を抑えた、それでいて重量級の低域を持った演奏の凄みに僕は硬直した。もはやポゴレリッチの演奏は、ピアノという楽器の域を超え、自らの魂と一体になった真理の如くの音楽の創造ゆえ、容易に言葉にすることができない。何とも歯がゆいのだけれど・・・。強いて言うなら、クレメンティもハイドンも、そしてベートーヴェンも、輪郭は濃く明瞭ながら、色彩の極めて淡い(いや、というより濃淡の境の曖昧な、つまり実に美しい自然なグラデーションを持った)絵画のような造形で、心からの賞賛を贈りたい素晴らしさだった。

冒頭のクレメンティのソナチネは無理なく、柔らかい響きに終始した。何と音楽的!
また、ハイドンのソナタもあくまで脱力の中、喜びに満ちた表現が施された。特に第2楽章ラルゴ・エ・ソステヌートでの、時代を超越したあまりに前衛的な解釈に膝を打った。そして、ベートーヴェンの「熱情」ソナタの、これまで聴いたことのないような、まるでオーケストラを聴くかのような交響に僕は心を打たれた。ポゴレリッチの左手がうなる。同様に、右手が弾ける。その音楽的バランスの見事さと、異形ながら決して鬼面でない、天使のような癒しの醸成にここ数年での彼の完成を思った。

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル
2017年10月20日(金)19時開演
サントリーホール
・クレメンティ:ソナチネヘ長調作品36-4
・ハイドン:ピアノ・ソナタニ長調Hob.XVI:37
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」
休憩
・ショパン:バラード第3番変イ長調作品47
・リスト:超絶技巧練習曲集G139
―第10番ヘ短調
—第8番「狩」
—第5番「鬼火」
・ラヴェル:ラ・ヴァルス
~アンコール
・ラフマニノフ:「楽興の時」作品16~第5番変ニ長調
・ショパン:ノクターン第18番ホ長調作品62-2

20分の休憩をはさみ、後半は打って変わってヴィルトゥオーゾの極み。ピアノは軋り、それでいて音は割れることなく、轟音をまき散らし、聴く者を卒倒させるほどのパワーを発動した。奇しくもこの月曜日にメナヘム・プレスラーが弾いたショパンのバラード第3番の、老練の涸れたそれとは正反対の、度肝を抜かれるほどの巨大な交響作品が僕たちの前に堂々たる姿を現したのである。何だ、これは?
そして、これまで少しも良いと感じたことのないリストの超絶技巧練習曲のいくつかが、単なる見栄っ張りのエチュードでなく、真面な芸術作品として機能している姿にも感動した。こういう音楽だったのか?
何より今宵のクライマックスは、モーリス・ラヴェルの「ラ・ヴァルス」!!!
フランス的エスプリ、洒脱さの一切排除された、しかも決して舞踏とはいえない極大の円舞曲の妙。この、いわば哲学的音響を発現した音楽は、たった10本の指で奏でられているとは信じ難い超絶技巧に始まり、超絶技巧に終わった。冒頭の重低音から言葉を失う美しさ、音楽性。

今夜のピアニストはよほど機嫌が良かったのだろう。いや、演奏が満足のいくものだったのだと思う、珍しくアンコールが2曲。いずれも驚くような静けさに溢れる名演奏だった。
ちなみに、偶然だろうか、今日はイーヴォ・ポゴレリッチの59回目の誕生日当日だということで、アンコール後サプライズでバースデー・ケーキの登場と合わせ、聴衆皆で「ハッピー・バースデー」を歌い、お祝いした。その時の彼の驚きと嬉しそうな顔を見て、この人もやっぱり人間なんだと知った。ピアノを前にすると鬼神が乗り移るようだが、実は天使なのかも。

 

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