音浴セラピー

chopin_mazurkas_francois.jpg大学の講義を終えて、エルーデ・サロンに戻ったら、ピアニストの児島洋子さんがいらした。「音浴セラピー」体験コースを受けていただいたようで、いろいろとお話を伺うと、ピアノの下で直接「音」を浴びることで、普通では聴けない音楽が聴こえ、得も言われぬ「癒し」が得られるようで、やっぱりこのコンテンツはたくさんの方々に体感していただかなくてはならないものだとあらためて思った。

食事をしながら、音楽の話、日常の話などをさせていただいた。僕が音楽を好きになった原体験の話、いわゆるクラシック・ヲタクになってしまうことの危険性、あらゆるジャンルの音楽を突き詰めていくと共通項が自ずと見つかるものだということ、などなど。そんな中で、話題がショパンに及び、実は最近ショパンの最高傑作は「マズルカ」じゃないかと思うようになったことを伝えた。ピアニストは同じような感覚をもっているのかどうか、それは不明だが愛知とし子も児島さんも「マズルカ」の難しさを同じように語っておられた。確かに技術的には決して難しくないのだと。ただし、表現力という意味でまだまだ自分には弾けないと。ワルツとも違い、貴族の舞曲であるポロネーズとも違い、祖国ポーランドの農民舞曲をベースにしたこの曲集は、実はポーランド人といえどもなかなか体得できない「何か」があるのではないのか、そんなことを思うのである。

最近で言うと、昨年聴いたピリスの実演、これは見事だった。晩年のショパンの孤独な心境が込められたマズルカ。こんな音楽はついぞ聴いたことがなかった・・・。児島さんのおススメはミケランジェリ盤だという(残念ながら僕は未聴)。一昨年リリースされたピリス盤が良い、あるいはアファナシエフ盤も良いよ、しかしやっぱりルービンシュタイン盤が定番かな、などと勝手な意見も述べさせていただいた(つい最近ルイサダ盤が発売された。これも気になる)。

ショパン:マズルカ全集
サンソン・フランソワ(ピアノ)

フランソワのマズルカはやけにこぶしが聴いている(まぁ、まさにそれがマズルカなのだが)。洒落過ぎているゆえ、時に鼻につかないでもないが、疲れた夜半にぼーっと耳を傾けるにはうってつけ。「ん?!」と思わせられる節回しが随所に現れる。ちょっとした刺激になるのだから、これによって逆に頭が冴える。舞曲なんてのは基本的にルールがあってないようなものだろうから、いろんな解釈があって良し。ただし、ショパンのマズルカではなかなか踊りにくいだろうなぁ・・・。

※フランソワのマズルカは以前ごく一部を採り上げた。全曲通しで聴いてみるとまた新たな発見がある。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ショパンの音楽とは、言わば「サロンのシャンデリアのような美しさ」、これが私の持論です。どんなに美しくとも決して彼の本音ではなく、つるつるとすべって心にガチッと食い込まないようなところもありますし、ひと昔前の少女マンガみたいな雰囲気や、彼の音楽が持つ、蒲柳の質、虚弱体質が、何となく居心地悪いです(笑)。
そんな中で、ショパンが真摯に本音を語っていると感じるのは、マズルカと練習曲集(特にOp.25)だという価値観は、学生のころからずっと持ち続けてきました。
マズルカと練習曲集以外のショパンには、普段それほど関心がなく、コンサートやリサイタルにも積極的に聴きに行きたくもないし、CDも買わないのですが、フランソワのショパンだけは昔から別格です。何なのでしょう、あの他では得られない危ない魅力は・・・。
フランソワを聴くときだけ、私のショパンへの興味は、シューマンを上回ります。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>ショパンが真摯に本音を語っていると感じるのは、マズルカと練習曲集(特にOp.25)だという価値観
なるほど、僕はようやく最近になってその真価がわかってきました。僕の音楽原体験はショパンですから、昔は専ら、ワルツやノクターンやポロネーズでしたね。若い頃から「居心地の悪さ」を見抜いてらっしゃる雅之さんの「感覚」はさすがですね!(冗談でなく本当に)
>フランソワのショパンだけは昔から別格です。何なのでしょう、あの他では得られない危ない魅力は・・・。
確かに、何でしょうね?僕も説明ができません。隣にいるピアニストの意見でも聴いてみたいと思います。

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