たかがブログ、されどブログ

ravel_long.jpg先日モーリス・ラヴェルの自作自演集を購入した。1923年~32年に作曲家自身が指揮をした貴重な録音と、ブルーノ・ワルターの指揮で委嘱者のパウル・ヴィトゲンシュタインがソロを弾いた左手のためのピアノ協奏曲の実況録音が収められた貴重な記録だが、思った以上に音質は良く、その洒落た解釈に驚かされながら存分に堪能できた。
先日のコメントにも書いたが、特に「ボレロ」などゆったりとした理想的なテンポで、トロンボーンのソロの分部などポルタメントを効かせた「初めて聴くような」解釈で、なるほどこういうフランス的、あるいは19世紀ロマン主義的な奏法を想定してラヴェルが創作したのだろうことがよくわかり、とても意義深い体験だった。

今日は2ヶ月ぶりに「菜食料理教室」の日。初参加の方が多いのに吃驚。しかもネットで検索してサイト(かんたんベジキッチン)を見つけ、お申し込みいただいた方が意外にも何名かいらっしゃり、1年半以上も継続していると、そういう事が起こり得るんだと、何だか感慨深いものがあった。やっぱり何事も継続なんだな・・・。

時折、このブログでも「書くこと」が咄嗟に思いつかないことがある。そういう日は何も無理して書くこともないのだが、一旦辞めたら、その後ずるずると、結局辞めててしまうのではないかという恐怖感がなきにしもあらず。そう、僕が「好きで始めたこと」を継続するのは、「辞めるのが怖い」ということもあるのかもしれない。毎日日記のように認めるこのブログだって、たとえ少数とはいえ楽しみに見てくれている人たちがいるし、何より自分自身の生活や思考の「振り返り」という意味で、何ヶ月、何年か後になって思い出したように見てみると新しい発見があるのだから、無理をしながらもとにかく毎日書くことを課した方が良さそうだと思って、書いているのである。「たかがブログ、されどブログ」である(まぁ、一旦書き始めたら何て言うことはなくすぐに書けてしまうのだけど・・・)。

ところで、前述の音盤にはマルグリット・ロンがピアノを弾き、作曲者自身が指揮をするピアノ協奏曲ト長調が収録されている(1932年録音)。コンセール・ラムルー管の演奏には瑕や難があるものの、ロンはさすがに初演者らしく(実際に献呈もされている)堂に入った演奏で、第2楽章の愁いを帯びた悲しげな表情など、古い録音の中から湧き立つほどニュアンス豊か。この音盤をおススメいただいた雅之さんには感謝いたしますm(_ _)m。

ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調
マルグリット・ロン(ピアノ)
モーリス・ラヴェル指揮コンセール・ラムルー管弦楽団(1932年録音)

ついでに今日はもうひとつ別の演奏でラヴェルを聴きたくなった。バーンスタインの弾き振りで。

ravel_bernstein_vpo.jpgラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調
レナード・バーンスタイン(ピアノ&指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1971.2.21Live)

バーンスタインという音楽家は実に変幻自在、まさにマルチ・プレーヤーで、ポピュラー音楽などあらゆる音楽に造詣が深かっただけあり、20世紀のこういう音楽を演奏させると天下一品で、誰もマネのできない繊細な音楽を紡ぎ出す。とても豪快で大味なアメリカ人とは思えない。いや、彼の演奏も豪快で大味な時もあるから一概には言えないか・・・。バーンスタインの場合、絶好調と不調の時の差がはっきりとわかるくらい明確だったから、こういう粋な演奏をすること自体稀なのかもしれない。と考えると、ウィーン・フィルとの録音は抜群である(難点はその音質。人工的につけられたであろう不自然な残響といまひとつ芯がはっきりしない録音がもどかしい)。カップリングのハイドン「交響曲第102番」も素晴らしい。

ちなみに、上記の演奏、実際にラヴェルが棒を振ったのではなく、ペトロ・ドゥ・フレータ=ブランコ(聞いたことがない!)の指揮だという情報もあるが、真相はどうなんだろう??


6 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ラヴェルの自作自演集、物凄く価値がありますし、当時としてはおっしゃるように録音もいいですよね(昔聴いたCDはもっと音が悪かったですが、復刻技術も向上しているのでしょうね)。特にマルグリット・ロンの素晴らしさについてはまったく同感です。ラヴェルとロンの間には秘められた恋があった!、なんて事実はないのでしょうか?(笑)あったら面白いのに・・・。そんなことを空想させられるほどいい雰囲気です。いずれにせよ、何でこのCDは何故クラシック・ファンの間であまり話題にならないのでしょうね?不思議です。
「ボレロ」のラヴェルの自作自演で異彩を放っているトロンボーンの演奏については、以前にもご紹介しました、『名曲の「常識」「非常識」』(2002年 音楽之友社)の中で著者の佐伯茂樹氏 は、・・・・・・(ボレロ)はダンス・バンドの色彩の濃い白人バンド、とりわけ、ガーシュウィンに《ラプソディ・イン・ブルー》を作らせたことで知られる「ポール・ホワイトマン楽団」の影響を強く受けたのではないかと思われる。・・・・・・と指摘され、トロンボーン演奏もそのこととの関連性に言及しておられ興味深いです。
また、氏はこんな指摘もしておられます。
・・・・・・《ボレロ》の旋律は「ハ長調」で書かれているが、ハ長調のブルーノートはB♭とE♭、B♭から始まる見せ掛け上の変ロ長調と考えれば、ブルーノートはD♭とA♭になる。
これら4つの音を不安定な音程と不健康な音色で演奏すると、ラヴェルが憧れた気怠いブルースの感じが出て、二つの世界大戦に挟まれた時代のやるせない空気が表現が表現できるような気がするのだがいかがだろうか?・・・・・・
なお、ジャズとクラシックの関係については、先日読了した『東京大学のアルバート・アイラー ――東大ジャズ講義録』「歴史編」と・同「キーワード編」(菊地 成孔 , 大谷 能生 著 メディア総合研究所)が、ラヴェルの話は出てきませんが、とても面白く私は大いに勉強になりましたので、もし未読でしたら、ぜひ岡本さんにも読んでいただきたい本日の私のお薦め本です!
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%95%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E9%8C%B2%E3%83%BB%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%B7%A8-%E8%8F%8A%E5%9C%B0-%E6%88%90%E5%AD%94/dp/4944124198/ref=pd_cp_b_3
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最後に、もう一枚のご紹介のバーンスタイン盤は残念ながら未聴ですが、上記のジャズとの関連性からの発見もできそうなので、聴いてみます。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>ラヴェルとロンの間には秘められた恋があった!、なんて事実はないのでしょうか?(笑)あったら面白いのに・・・。そんなことを空想させられるほどいい雰囲気です。
おー、いいですね、その空想!!ありえます。ロンは夫を第一次大戦で亡くしてますから、その後急速にモーリスと接近なんてことは十分に考えられます。
>何でこのCDは何故クラシック・ファンの間であまり話題にならないのでしょうね?不思議です。
おっしゃるとおりです。僕も存在は知ってましたが、雅之さんにおすすめいただかなかったら聴いていませんでした。重ね重ねありがとうございます。
>『名曲の「常識」「非常識」』(2002年 音楽之友社)
この本は興味深いですね。読んでみます。
>『東京大学のアルバート・アイラー ――東大ジャズ講義録』
これも書店で見かけて読んでみようかと思ってました。雅之さん一押しなら間違いないですね。ありがとうございます。
バーンスタイン盤はぜひ聴いてみてください。

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雅之

>ちなみに、上記の演奏、実際にラヴェルが棒を振ったのではなく、ペトロ・ドゥ・フレータ=ブランコ(聞いたことがない!)の指揮だという情報もあるが、真相はどうなんだろう??
ご疑念の件ですが、調べましたところ、残念ながらどうもご指摘の通りのようです。
まず、竹内貴久雄氏の、下のサイトを見つけました。
http://blog.goo.ne.jp/kikuo-takeuchi/s/%A5%D6%A5%E9%A5%F3%A5%B3
「ラヴェルの『ピアノ協奏曲』の1932年4月に録音されたこの曲の初レコードは、マルグリット・ロンのピアノ、オーケストラは録音用の臨時編成、指揮はモーリス・ラヴェル自身と記載されて発売されたが、最近になって、実は、実際にオーケストラの前で指揮をしていたのは、まだ30歳代半ばだったポルトガル出身の指揮者、ペドロ・デ・フレイタス=ブランコという人物だったということが明るみに出た。ラヴェル自身は、録音エンジニアの横で演奏の仕上りを聴き、そして、レコード会社の営業上の理由で「ラヴェル指揮」として発売することに同意した、という。
 ラヴェルとF=ブランコの交友がどの程度のものだったのか、詳しいことがわからないが、ラヴェルの晩年(30年代)にパリで活躍していた劇場指揮者のひとりだから、ラヴェルの時代の音楽のスタイルを吸収していたことは間違いないだろう」
次のサイトにも記載があります。
http://www.geocities.jp/oka99999jp/showasho2.html
「ちなみに現在この演奏は、ラヴェル立ち会いのもとに当時フランスなどで活躍していたポルトガル人フレイタス・ブランコが振ったものとされている」
さて、その問題の指揮者、ペドロ・デ・フレイタス=ブランコについてですが・・・。
岡本さんが講座の参考文献にも使用された「ラヴェル-生涯と作品(アービー・オレンシュタイン著 井上さつき訳) 音楽之友社」には、ラヴェルのピアノ協奏曲初演にまつわる、以下の記載があります(133ページ)。
・・・・・・ラヴェルはみずからがト長調のピアノ協奏曲のソリストをつとめようとしたばかりでなく、世界各地に演奏旅行することまで考えていた。その旅はヨーロッパ、北米、南米、アジアまで含んでいたようだ。しかし、健康状態が悪化したため、ラヴェルは、マグリット・ロンをソリストに据えて自分は指揮に回り、演奏旅行の計画はヨーロッパだけにされた。1931年11月、筆写譜がロン夫人に渡され、彼女に演奏上の細かい指示がその後数週間にわたって注意深く与えられた。
この協奏曲の初演は1932年1月14日にサル・プレイルでラヴェル・フェスティバルの一部としておこなわれ、ラヴェルは若いポルトガルの指揮者ペドロ・デ・フレイタス=ブランコとともに指揮台に立った。フレイタス=ブランコにとっては、このコンサートがパリ・デビューになった。この夕べは華々しい成功を収め、批評家はこぞってこの協奏曲を賞賛した。第一楽章の華やかさ、第二楽章のやさしい詩情、フィナーレ楽章のまばゆいばかりの活気が注目された(注)。エミール・ヴュイエルモーズは熱狂ぶりを抑えつつ以下のように述べている。
「作曲家を、その人には務められない役目で、聴衆の面前になんとしても連れてこようとする習慣に対して、今一度抗議したい。ラヴェル氏はピアニストまたは指揮者としてずっとひっぱり出されているが、彼がこの二つの専門のいずれかで輝くことはどうしてもできないことである。ポルトガル人の指揮者の方が、ラヴェルが自分の分担するスコアを指揮したよりも、よほど効果的に演奏作品を提示した。
(中略)
しかし、作曲家については賞賛あるのみ。(以下略)」
(注)あきらかに少数意見ではあるが、アンリ・プリュニエールはロン夫人の演奏に関して異議を唱え、テクニック的には正確だが、感受性と詩情に欠けると述べた。彼の否定的な批評に対してラヴェルは公式に返答し、彼女の演奏はラヴェルの意図を十分に明らかにしており、先々の演奏の規範としてみなされるべきであると主張した。(以下略)・・・・・・・
ところで、「ボレロ」オイレンブルクスコア (全音楽譜出版社)アービー・オレンシュタイン氏解説(遠山菜穂美 訳)より、ご参考までに「ボレロ」のレコーディング風景を・・・。
・・・・・・このレコーディング作業に立ち会った人の証言の一部を紹介しよう。ラムルー管弦楽団が(中略)緊張した面持ちの(指揮者)アルベール・ヴォルフのもと、ステージに集合した。(中略)オーケストラは演奏を始め、中断した。ヴォルフはレコーディング・ブースに駆け込んだ。(中略)モーリス・ラヴェルもそこにおり、誠実で厳格な態度で演奏を聴いていた。「トランペットは不十分だ、チェレスタは鳴り過ぎている」。ヴォルフは指揮台に戻り、注文を出した。ホルンは移動し、オーボエの前に空間ができた。そしてオーケストラは再び演奏を始めた。ラヴェルはレコーディング・ブースから戻って来た。(中略)ラヴェルは首を横に振り、満足したり不満足を表明したりした。ヴォルフはラヴェルに指揮棒を渡した。現実にこのディスクのレコーディングで指揮をとったのは、作曲家自身であった。ラヴェルはスタートを切った。厳格な身ぶりで、彼の手首は3拍子を刻み、機械的なやり方でハ長調のメロディを指揮した。・・・・・・(A.オレンシュタイン.A.Ravel Reader(Columbia University Press,NewYork,1990, P.535 日本語版ポケット・スコア解説では6ページ)
「ピアノ協奏曲」録音時のラヴェルの立ち会いの件も、ラヴェルが「ボレロ」のレコーディング風景のような感じで指揮者フレイタス=ブランコ等演奏者に指示を出し、「ボレロ」の時と異なり、自分で指揮するまでもなく、無事満足な録音を完了できたというのが真相なのかもしれません。何となく録音時の諸事情が見えてきたような気がします。
なお、フレイタス=ブランコ指揮シャンゼリゼ管の「ボレロ」の録音は18′36″で、録音史上最も遅い「ボレロ」の演奏だそうです(HMVサイト情報)。ラヴェルの意見の無い、自分独自の解釈なのでしょうか?

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雅之

補足
①1932年1月14日、ピアノ協奏曲初演があったコンサート、ペドロ・デ・フレイタス=ブランコが、ラヴェルのどの曲を振ったかは、私の手持ちの資料でははっきりしませんが、「ラヴェル-生涯と作品(アービー・オレンシュタイン著 井上さつき訳) 音楽之友社」で上記引用部以外の133ページの箇所を読むと、少なくとも初演の『ピアノ協奏曲』と、『ボレロ』『パヴァーヌ』はラヴェル自身の指揮だったことがわかります。
②「ボレロ」オイレンブルクスコア (全音楽譜出版社)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%82%A2-%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB-%E3%83%9C%E3%83%AC%E3%83%AD-%E9%81%A0%E5%B1%B1%E8%8F%9C%E7%A9%82%E7%BE%8E/dp/4118941236/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1245710927&sr=1-1
③録音史上最も遅い「ボレロ」他、フレイタス=ブランコ指揮の録音
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1509839

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
さすがです!いつも詳細な回答をありがとうございます。
当時の状況などがよくわかりました。なるほど複雑な事情が絡み合っているようですが、ペドロ・デ・フレイタス=ブランコ指揮とはいえ、ラヴェル自身の示唆も随分反映されているということでしょうね。厳密には作曲者本人の指揮とは言い難いのでしょうが、それでもこの音盤の歴史的、資料的価値は大きいと思います。本当に勉強になります。
あとペドロ・デ・フレイタス=ブランコの史上最も遅い「ボレロ」を聴いてみたいですね。面白そうです。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » ドビュッシーの天才

[…] 1910年代のパリで起こったバレエにまつわる出来事は非常に興味深い。 「聖セバスティアンの殉教」も装置・衣装がレオン・バクスト、振付がミハイル・フォーキンという「火の鳥」同様の布陣ゆえ一層面白い(主役はあの「ボレロ」の初演を行ったイダ・ルビンシテイン!)。それに、上演時間が5時間以上ということ、主役がユダヤ人だったこと、異教的な色彩が用いられたことでパリの大司教の怒りを買い、上演に先立ってカトリック教徒の観覧が禁じられたそうだから、その混乱ぶりと言ったらば、途轍もないものだったことが想像できる。何よりひとつの舞台が宗教まで巻き込んで物議を醸すこと自体が今の我々の感覚からは程遠いものだから、わずか100年前のイベントにもかかわらず、何と刺激的な(?!)時代だったのだろうと羨ましくなる。 これもアナログ的時代だった故の事件なんだろう。 現代だったら周辺はもう少し冷めているのではないか。 そんなことを思っているうち、音楽は「展覧会」になった・・・。 […]

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