シュパヌンゲン音楽祭 メンデルスゾーン八重奏曲ほか(2008.6Live)を聴いて思ふ

天才フェリックス・メンデルスゾーンがわずか16歳で書き上げた八重奏曲を、現代の名手たちが繰り広げた堅実な名演奏。

幼少から宗教的差別に苦しんでいたメンデルスゾーン。才能開花には多少のストレスは必須なのかもしれない。

それにしても、にわか仕立てのアンサンブルとは思えない縦横完璧で緊密な音楽。それでいて、十分「ゆらぎ」が感じられ、一世一代の音楽が創出される。
第1楽章アレグロ・モデラート・コン・フォーコの柔らかな響き。フレーズ毎の最後に向かってうねる熱波のような弦楽器の多重に聴く緊張感。明るさの中に垣間見える暗さ。おそらくここには、(無意識だろうが)少年フェリックスの苦悩が投影される。また、第2楽章アンダンテの、いまだ十代の子どもが作ったとは思えない憂愁。思いの丈を存分に綴るアンサンブルの妙。そして、第3楽章スケルツォの、騒がしい輪舞に心の叫びを思い、終楽章プレストの濃密な解放に作曲家の自信を思うのである。

ふと眼をあけた三輪与志は、おや、あそこにいったい何があったのだろうと、まだ目覚めたばかりの眼をいぶかしげにその一点だけに見据えながら、寝台のなかに横たわったまま、自分でも不思議なほど長いあいだ、部屋の隅を凝っと眺めていた。
それは、いってもみれば、かなり以前にすでに立ち去ってしまった薄闇が夜明けのなかへどうしたわけか取りのこされてしまい、余儀なくそのまま何かを待ちながら、壁の向うにぼんやりたまって誰にも見せたくない面を伏せて蹲っている妙に横拡がりに拡がった薄暗い煙の層のような得体の知れぬ一つの気体風な塊りであった。
(第六章)
埴谷雄高「死霊Ⅱ」(講談社文芸文庫)P258

得体の知れぬ一つの気体風な塊りは、まるでメンデルスゾーンの八重奏曲のよう。

シュパヌンゲン音楽祭2008
・メンデルスゾーン:弦楽のための八重奏曲変ホ長調作品20(1825)(2008.6.11Live)
クリスティアン・テツラフ(ヴァイオリン)
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)
リサ・バティアシヴィリ(ヴァイオリン)
アンティエ・ヴァイトハース(ヴァイオリン)
レイチェル・ロバーツ(ヴィオラ)
オリ・カム(ヴィオラ)
ターニャ・テツラフ(チェロ)
キリーヌ・フィールセン(チェロ)
・エネスコ:弦楽のための八重奏曲ハ長調作品7(1900)(2008.6.12Live)
クリスティアン・テツラフ(ヴァイオリン)
アンティエ・ヴァイトハース(ヴァイオリン)
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)
キャサリン・ゴワーズ(ヴァイオリン)
アントワン・タメスティ(ヴィオラ)
レイチェル・ロバーツ(ヴィオラ)
グスタフ・リヴィニウス(チェロ)
キリーヌ・フィールセン(チェロ)

民族色豊かなジョルジュ・エネスコの八重奏曲の洗練美。こちらは作曲者19歳の作でありながら、メンデルスゾーンとは正反対の外面的暗さに滲み出す内面の明朗さと希望が特長。何という若々しく瑞々しい演奏であることか。ことに第3楽章の緩やかな旋律に秘められた究極の癒しの美しさに涙。そして、アタッカで奏される終楽章の虚ろな哲学性。

何処からか時を敲つ響きが聞こえてきた。三輪与志はその場にちょっと立ち止まった。霧はさらに深く拡がり、遥か天空へまで漂いのぼるような一面の乳白色の霧であった。それは果てもない乳白色の壁であった。湿気をふくんだ小さな乳白色の粒子が絶えまもなく湧き起り、そして、揺れ動いている霧の層であった。霧・・・。そのびっしりとたれ罩めた厚い霧のなかにあらゆるものがその形もなくのみこまれていた。
(第四章)
~同上書P6

なるほど、はっきりとした霧だ。
ソリスト級の名人を集めたアンサンブルだが、聴衆の万雷の拍手喝采が、当日の名演を物語る。

 

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