グールドのベートーヴェン バガテル集(1974.5-6録音)を聴いて思ふ

ソリスト級の名人を集めたオーケストラの音は、アインザッツが完璧に揃い、トゥッティでも爆発的豊饒な音を出すと言われるが、果たしてその音楽が聴衆に感動を与えるかどうかはわからない。もちろん聴き手側の感性は十人十色で、そういう音を好む人もいれば、そうでない人もいるだろうから、一概に良し悪しを判断することはできないけれど、自然がゆらぎの中にある以上、音楽にも当然ゆらぎがあり、僕個人としてはそういう完璧でない曖昧さにこそ、つまり不完全さにこそ、人々に大きな共感を喚起する要素があるのだろうと思う。

異分子あってこその調和。
現実の人間関係然り。
その場にあるものはすべて必然で、排除を試みるとどうしても不協和が生じるのである。

再び松岡正剛さんの言葉を引用しよう。

前にも紹介しましたが、ピアニストのグレン・グールドが次のようなことを言っています。「人間が最も感動し共感する芸術は、よく練られた逸脱の様式だ」というふうに。私はこの考え方に全面的に賛成です。逸脱というのは正規分布ではないものであり、場合によっては失敗や、ちょっと寂しいとか、まずいなというものまでを含めたものです。古代から今日に至るまで、ありとあらゆるアート、ありとあらゆる成功、ありとあらゆる共感というものは、ピカソもダリも棟方志功もすべて、ものすごくよく練られた逸脱でおこってきたことなんです。
松岡正剛/ドミニク・チェン「謎床―思考が発酵する編集術」(晶文社)P196

実に納得。グールドの、一見エキセントリックに聴こえる多くの録音が、今もって聴き継がれるという普遍性は、(もちろん賛否両論あれど)彼自身の「よく練られた逸脱の様式感」の賜物だということだ。
松岡さんは続ける。

だとすると、人間の受容のモデルの中では、ピュアに組み立てられて選択されたものだけではなく、何か逸脱していたり不純物が入っていたりする状態があって、それが創発を引きおこしていると見たほうがいい。そしてそれが生まれる瞬間に人は感応しているのだと想定したほうがいい。そこに新たな知能モデル、あるいは欲望モデルというものがジャックインされていけば、それが従来にない何かになっていくと思います。
~同上書P196-197

それこそアウフヘーベンというものだろう。
グレン・グールドのベートーヴェン「バガテル集」。
バガテルとは、「ちょっとしたつまらないもの」という意味を持つが、さすがにグールドの「逸脱の様式」によるベートーヴェンは、一味も二味も他とは違う。バッハを奏でるとき同様、可能な限りペダルを排除し、ぽつぽつと途切れるように、しかし、見事に音楽的に解釈を施す美しさ。ため息が出るほどだ。

ベートーヴェン:
・7つのバガテル作品33
・6つのバガテル作品126
グレン・グールド(ピアノ)(1974.5.10, 11 &6.22, 23録音)

無邪気なグールド、いとも容易く弾き通す作品33の愉悦。晩年の作品126は、虚ろな第1曲から弾ける第2曲の対比が見事。そしてまた、沈思する第3曲と天にも昇る第4曲の完璧な移ろい(可憐な旋律が頭から離れない)。

ところで、ジョナサン・コットはグールドの演奏についてかく語る。

彼は音楽の探求者であって、おのれの芸術の道を切り開き、それを示してくれる。その道で、これまでわずかな人しか知らないものを見つける。それができるのは子供の目と耳の持ち主だからである。19世紀イタリアの詩人レオパルディはこう言った―「子供は何もないところにすべてを見出すが、大人はすべての中に何も見出さない。」
グレン・グールド/ジョナサン・コット/宮澤淳一訳「グレン・グールドは語る」(ちくま学芸文庫)P21

グレン・グールドの逸脱の様式による調和の美しさ。

 

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