ハービー・ハンコック

hancock_future_shock.jpg10年前、まだ同時多発テロが起こる前のニューヨークに、当時面倒をみていた学生たちと旅をした。確か2度目のニューヨーク滞在だったと記憶するが、街の至る所が活気に満ちていて、食事をしても音楽を聴いても、あるいはウィンドー・ショッピングをしてみても、とにかく刺激的で、もうしばらくここに居ついてもいいのかなと思ったほどだった。

酷寒のニューヨークでは、いつものようにVillage Vanguardを訪れた。運よく電話がつながり、予約しておいたから良かったものの、オープン直前に行ってみると既に数百メートルの列ができていた(後からわかったことだが、この列はセカンド・ステージを待つ人たちだった!)。信じられないような寒さの中で、オーバーコートを羽織り、二重にも三重にも避寒装備をしている人たちを横目に僕らは階段を降り、店に入った。薄暗い店内には既にいっぱいの観客がひしめいており、Reservedと書かれた狭いテーブルに案内された。今宵の出演者は、ブランフォード・マルサリス・クインテットということだった。プレイヤーが登場する前から観客にも程よい緊張感があり、この有名なクラブの店内はこれから繰り広げられるであろうパフォーマンスへの期待で充満していたように思う。

そうこうするうちメンバーが所定の位置に就き、徐に演奏が始まった。スタンダード・ナンバーあり、自作曲ありという構成で(ただし、どんなナンバーが演奏されたのか、残念ながら記憶にも記録にも残っていない)、普段ジャズなどとは縁のない若者たちもバンドの奏でる音楽の勢いに圧倒され、時に奏される美しいメロディに酔い痴れた。初めてニューヨークを訪れた、そして初めて生のジャズ・ライブを観たという学生たちと最高の一夜を体験できたことが何より楽しく嬉しかった。

翌日、ホテルの部屋で寛ぎながらラジオをつけると、ハービー・ハンコックの音楽が突如流れてきた。それは、ちょうど僕が大学に入りたての頃、マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」やジャーニーの「セパレート・ウェイズ」などとともにディスコでよくかかっていた「ロック・イット」だった。

思わず懐かしさを覚え、このジャズともロックともいえないテクノ風の音楽にしばらく聴き入った。以降の音楽シーンを先取りしたハンコックの先見性はマイルスなどと同様神がかり的だと思うが、どういうわけか不思議に「アナログ的」なものを感じさせるところが面白い。27年前の「あの頃」が一気に蘇る。

Herbie Hancock:Future Shock

6月の、雨が降るのか降らないのか、微妙な曇り空で、しかも蒸し暑い時節には、ハービー・ハンコックの音楽が似合う。じめっとして、どんよりとした雰囲気を一発で吹き飛ばしてくれるような、からっとした直接的な音楽。

スカッとした。これから岐阜に向かう。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。
ハービー・ハンコック「Future Shock」、この1983年の作品は懐かしいですね。
>6月の、雨が降るのか降らないのか、微妙な曇り空で、しかも蒸し暑い時節には、ハービー・ハンコックの音楽が似合う。じめっとして、どんよりとした雰囲気を一発で吹き飛ばしてくれるような、からっとした直接的な音楽。
まったく同感です。当地でも先程再び雨が強く降り始めましたが、すぐに止んだものの、すっきりしない梅雨の天気が続きます。私もこんな日は、からっとした音楽を聴きたいです。
しかし、それでも、1983年の個人的に思い出深いヒット曲といえば、私はやっぱり、ガゼボの、”I Like Chopin”ですね(笑)。
http://www.youtube.com/watch?v=grGjD1rTNyg
http://www.hmv.co.jp/product/detail/836262
翌年、小林麻美が松任谷由実の日本語詞で「雨音はショパンの調べ」というタイトルでカヴァーして、こちらも大ヒットしましたよね(笑)。
ちょうど本日発売の「レコード芸術」2010年7月号で、吉田秀和さん(1913年生まれ!)の連載「之を楽しむ者に如かず」に、こんなことを書いておられました。とても共感しました。
・・・・・・ショパンでひとと違ったひき方をするのは至難の業だ。
でも、それをやった人もいる。
手近な例でいうと、前に書いたフリードリヒ・グルダみたいな人。でも、彼の場合は、ウィーン音楽の伝統という、個人的な好みだけでないものをバックグラウンドにしたものだった。
あるいはポゴレリチ。この人の場合は―――私の推測では、あのグレン・グールドがバッハで敢行した超絶的テンポの変更という冒険に触発されて―――ショパンで、かつて誰も考えなかったようなスロー・テンポの曲芸をやってみせた。この彼の芸当がどこまで彼の魂の深所からの探究だったかは、私は知らない。彼はショパンだけでなく、シューマンの《交響的練習曲》でも、ベートーヴェンの作品111のソナタの第二楽章でも、この超絶的スロー・テンポをやってみせたのだから、話をショパンの曲だけに限ってはいけないのかもしれない。
とにかく、これに関連して思い出されるのは、かつてツィメルマン(ツィマーマン)がショパンの協奏曲の1番と2番をポーランドの若い音楽家たちだけで組織された管弦楽団と組んで、自分で指揮独奏したCDでやってみせた、これまた目立っておそい演奏である。あの時は私は驚いた。と同時に、全くといっていいくらい「新しいショパン」「これまできいたことのないショパン」にそこでぶつかったような気がした。
ツィメルマンのあの比類のない美しい音で、神経がピリピリ刺激されるようなこまかい配慮の行き届いたショパンの若書き的新鮮さにみちた音楽がそこにあった。
あれは「新しい精神」から生まれたショパンだったのかしら?
それならわかる。
「ショパンを新しくひこう」というのなら、それはちょっとやそっとのことではない。あんなによくできた美術品みたいな音楽を新しくひくためには、まず、その人、そのピアニスト自身が「新しい音楽」を求める人、いや、すでに新しい精神の持ち主でなければならない。
かつて、バッハでそれをやったグールドみたいに。
でも、私はツィメルマンがその後どういう音楽をやっているのか、よく知らない。先日(5月27日の朝日新聞の夕刊)で読んだ彼のインタヴュー記事によると、彼はこれからの抱負の中で、来年1年間は休むといっていた。何かすごく疲れている様子だったが、それがどういうことかはわからなかった。・・・・・・(P74~75 『ショパン、ベートーヴェンそれぞれの”新しさ”』 より)
引用した最後の部分、やっぱりなと納得しました。
しっかり休養、充電の後の、リフレッシュしたツィマーマンによる、本当に「新しい精神」から生まれたショパンの実演(特にマズルカ)が聴けることを、私は楽しみに待ちたいと思います。何年でも・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
ガゼボのI Like Chopinは懐かしいですね。
小林麻美バージョンも同様に。
しかし、ショパンにそれほど愛着をもっていない雅之さんも当時はこの曲お好きだったんですね!(笑)
ところで、今月号のレコ芸、僕はまだ読んでおりませんが、吉田先生の言葉さすがですね。(それにしても話題がタイミング良すぎます)
すごく疲れている様子だった・・・
確かに無理してるんでしょうね。
同じく休養後、より一層深い音楽を生み出してもらえるよう期待します。
ところで、今岐阜に向かう車中でこれを書いています。
本当は久しぶりにお会いしたいと思っていたのですが、スケジュール的に厳しそうです。残念ですが・・・。

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