自分って誰なんだろう?

bach_air_paillard.jpg勝川での1日セミナーが無事終了した。
あっという間の9時間。少人数での深みのある空間はやはり格別のものがある。擬似空間ながら、そこには真実、事実がある。人と人とが交わることで何らかのシナジーが生まれる。人はお互いに支えあって生きているんだということをあらためて実感する。

すべての存在に感謝、月並みな言い方だが、そんなことを想った。

終了後の打ち上げで、ざっくばらんにいろいろなことを話しながら盛り上がる。年代によって感じ方、考え方が違うこと、生まれ育った地域によってもそれが異なること。「へぇー」と唸るような気づきもそこにはある。時代によって受ける教育も違えば、流行っている文化も違うのだからそれは致し方なし。それよりも一人ひとりが大人になり、あらゆる事象を受け容れることが大切。本当に千差万別、だからこそ人間は面白い。

自分って誰なんだろう?
自分って何なんだろう?

結局人間はそのことを一生考え続けて終わるんじゃないか・・・。自分の定義って難しい。なぜなら何千通りも「自分」があるから。日々、場所や時間によって、あるいは出会う人によって人間は変わるから。それだから人って飽きないんだ。

J.S.バッハ:管弦楽組曲第3番~アリア
ジャン=フランソワ・パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団

パイヤールは何度かバロック名曲集を録音していると思うが、これはおそらく最後のもの。洗練された響きが何とも言えず懐かしさと癒しに満ちている。そういえば思い出した。何年か前、パイヤールの指揮でフォーレの「レクイエム」を聴いた。それはそれは神々しい、それでいて人間的な温かみに溢れた音楽だった。静謐で祈りに溢れた音楽をパイヤールは真に上手に表現する。彼はきっと信仰心豊かな人なのだろう。生きとし生けるもの、目に見える存在、目に見えない存在、すべてに感謝できる、そんなフィーリングをもつことができた今日一日に感謝しよう!


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>自分って誰なんだろう?
>自分って何なんだろう?
自分とは、そして全ての人間とは、不完全な存在なのではないでしょうか? ちょうどオーケストラの楽器が、どれひとつ取っても完璧ではないように・・・。だからこそ、不完全なみんなの音が重なりひとつになった時、そこに大きな感動が生まれるのだと思います。オーケストラの醍醐味です。
1年くらい前から、岡本さんに、ぜひ読んでいただきたいお薦めしたい本がありましたが、ご紹介するチャンスがありませんでした。それは、
「ゴンチチの脳内麻薬書簡」(ゴンザレス三上,チチ松村 著 双葉社)です(笑)。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%81%E3%81%AE%E8%84%B3%E5%86%85%E9%BA%BB%E8%96%AC%E6%9B%B8%E7%B0%A1-%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%AC%E3%82%B9%E4%B8%89%E4%B8%8A/dp/4575300756/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1277069402&sr=1-1
私はあまり使いたくない言葉ですが(笑)、とても「癒される」本なのです(笑)。こんな日は、その本の中で、私が最も強く共感し、心に残っている部分を御紹介するのも悪くないかと・・・。そう、今朝の私の気分にぴったりなのです。
2008年1月10日
        ベートーベンのピアノソナタが流れるカフェで
親愛なる松村様
 所謂(いわゆる)、ピアノの発表会というものに行ってきました。友人の知り合いにピアノの先生がいて、その方の生徒さん達の発表会が新年早々にあるということで、案内を頂いていたのです。
 別に義理は無いので、無理して行く必要もなかったのですが、何となく興味がありました。昔から僕は、ギターよりはピアノの方がずっと好きで、本当は小さい頃ピアノを習いたかったのですが、諸々の事情があり、叶わなかったのです。だから、何というのか、淡いあこがれのようなものがピアノに対してあるのです。
 もっとも、これまでも、何度か案内を頂いたことはあったのですが、一度も、そういう発表会というものに足を運んだ事は無かったのです。子供達の演奏を聴く、という事に何処か戸惑いがあったのかもしれません。しかし今回は、正月気分というのも後押ししてか、気付いたら、会場で聴いていた、という流れになりました。
 で、肝心の発表会はどうだったのか?
 でも、その前にピアノの話をもう少し。大体において、楽器の音色というのは、かけがえの無いもので、例えば、松村さんが良く言われるように、「テナーサックスから出る低音の一音が、どんな楽器より体に染み渡る」という瞬間が確かにあります。様々な楽器の音色が、その時々に応じて、強く心に響いてくるのです。しかし、常に響いてくる楽器というものもまたあります。僕にとってそれは、まさしくピアノです。
 ところで、このピアノという楽器が、ロックやポップスに大きく関わりだしたのは、他でもないビートルズのアルバムからです。ビートルズの後期をリアルタイムで経験していた僕の世代は、同時にピアノサウンドにもどっぷり浸った世代でした。そして、シンセサイザーなるものが安価に購入できるようになると、瞬く間に鍵盤楽器が世に普及してゆき、鍵盤音楽が大席巻する現在の音楽状況になっていったのです。
 僕も遅まきながら、15年程前にシンセサイザーを購入し、やっと(ピアノでは無いですが)憧れの鍵盤に触れる事ができました。鍵盤に親しんでみて一番強烈に思うのは、作曲したり編曲したり、音符の確認作業をするのに、これほど便利な楽器は無い。つまり、作曲するために、これほど優れた機能を持つ楽器は他にないのです。過去の名曲の殆どが、この楽器から生まれてきたのは必然というべきでしょうか。
 さて、そんなピアノへの熱い思いを、今でも心の片隅に抱き続けている僕の耳に届いた、生徒達の演奏はというと(大変失礼な表現ではありますが)それはそれは散々なものでした。20組程の生徒達が入れ替わり立ち替わり舞台に現れて演奏しましたが、極度の緊張のためか、誰一人として一曲を間違えずに弾けた人はいませんでした。
 ところが何故か、聴いていくうちに、僕の心はどんどん高揚していったのです。緊張してもつれた生徒達の指の先からは、ジクソーパズルより難解な音の破片が散らばり放題でしたが、時折その瞬間から、大作曲家達の横顔が、そして彼等の思いが聴こえてくるように感じました。そう、8歳の子供の手からこぼれ落ちたベートーベンのフレーズの破片が、僕の心を強く震わせたのです。
 アシュケナージやアルゲリッチを聴いて、このアルバムの出来はどうのこうの、という聴き方の正反対に、生徒達の音楽はありました。表現というものをまだ体得していない、稚拙というレベルにも達していない、しかし、緊張と戦い、真摯に演奏しようとする小さな音楽家達の音の彼方に、強く、過去の偉大な作曲家達の息遣いを感じたのは何故でしょう? そして、その音に触れて、心がどんどん軽くなっていったのは何故でしょう?
 音楽とは不思議なものです。音楽に関わって30年以上が経つのに、未だに驚かされることが多いのです。新年早々、僕はまた音楽の奥深さの一端に触れたような気がしました。
 生徒の皆さん、お疲れ様。これからも精進して下さい。僕は真の意味で感動しました。有り難う!! そして、音楽というものは、やはり素晴らしい!! これだから音楽はやめられませんね、松村さん。
                                   それでは。
                               ゴンザレス三上
http://www.hmv.co.jp/product/detail/467285

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
>不完全なみんなの音が重なりひとつになった時、そこに大きな感動が生まれるのだと思います。オーケストラの醍醐味です。
まったく同感です。ありがとうございます。
あわせてゴンチチの書籍のご紹介ありがとうございます。
いいですねぇ、癒されますねぇ(笑)。
これはぜひとも読ませていただきます。
三上さんがかいているように、音楽の持つ力って本当に不思議ですよね。
技術には上手い下手は確かにありますが、それを超えた表現がプロアマ問わずあるんでしょうね。

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